第335話 負けられないのはお互い様だ
短剣がサクラの背中に深々と食い込んだ瞬間、『右眼』が捉えていた光景に大きな変化が起こった。
水属性の魔力を帯びた魔力の本流が噴出し、サクラの肉体の内外に浸透して熱と光を抑え込んでいく。
突き立てられた一振りだけで成し得た術ではない。
外部の五方向から魔力が流れ込み、短剣を焦点として力を封じ込めようとしているのだ。
皮膚を焼く灼熱が瞬く間に弱まっていくのが分かる。
しかしそれでも、サクラの肉体に顕現した炫日女の意識を揺るがすには至らない。
「邪魔をしないで!」
炎を纏った腕を上げて振り返る炫日女。
その一瞬を見逃さず、俺はサクラの肩越しにその手を掴み取った。
肉と肌を焼く熱が緩んだなら、全身に全力の【修復】を掛け続ける必要はない。
必要最小限の魔力を肉体の【修復】に回し、残り全てをサクラのために叩き込んで――
「――あなたも、邪魔するの?」
氷点下の冷たい声。
次の瞬間、炫日女は巧みに俺の腕を絡め取ると、肩を支点に縦回転させるかのようにして、俺を力強く地面に叩きつけた。
「がはっ……!」
「あなたは後。まずは妙な術を打ち込んだ……っ!?」
標的をガーネットへと切り替えようとする炫日女だったが、その手は俺の片腕を握ったまま離れなかった。
「……これは……あなた、もうそこまで……!」
「【融合】を自分に使うのは、かなり久し振りだな」
二つの物体を、それぞれ混ぜ合わせるのではなく『接合』し、容易には切り離せなくする【合成】の応用法。
仮に俺のスキルがアルファズルの後追いだとしたら、炫日女もこの応用の存在自体は知っていたかもしれないが、実行されるまで気付かなかったのならこちらのものだ。
ガーネットが命懸けで作ってくれたこの好機、何が何でも手放してなるものか。
たとえ首を刎ねられようと、刃が首を通り抜ける側から繋ぎ直してみせる。
「【修復】……発動ッ!」
「あ――あああああっ!」
もう一方の腕も伸ばし、肉体を維持できる分を残した最大限の魔力を注ぎ込む。
俺のスキルは元の形に戻す力。
サクラの体に割り込んだ余計なものだって押し返せるはずだ。
大きな懸念事項だった『出力勝負で押し返される』という可能性も、炎の魔力を押し留めてくれる封印のおかげで限りなく低くなった。
恐らくはナギとメリッサが言っていた、神降ろしの暴走に対する備えだろう。
ならば尚更、俺がヘマを踏むわけにはいかない。
「せっかく、器が、手に入ったのに……!」
神――これは本当に神なんだろうか。
確かに力は凄まじい。
人間の体をあんな形で乗っ取るなんて完全に人智を超えている。
だけど、俺の目には炫日女のことが、必死にあがく少女としか映らなかった。
決して分かり合える価値観ではないのかもしれないが、彼女なりの想いの中で必死になって。
あるいは、この世の誰も知らないだけで、神様も生々しく悩み苦しむ存在なのだろうか。
「(だとしても、手を抜く余裕なんか……!)」
むしろ超越的ではないからこそ、人間臭い感情で強大極まる力を振り回すからこそ恐ろしい。
排除すべき障害などではなく、その辺の石ころ同然の存在とでも思ってくれた方が、まだ付け入る隙があったに違いない。
「後、もう少しで……!」
「くああああああっ!」
「……っ!」
急激に眩さを増した閃光が『右眼』の視界を埋め尽くす。
――突然の衝撃に意識が一瞬だけ途切れた。
気がつくと俺は炫日女から少しばかり離れた場所に転がっていて、ガーネットに上半身を抱き抱えられていた。
「(……何が、あった……?)」
頭を貫くような耳鳴りがする。音が聞こえにくい。
手を見れば皮がちぎれて赤い血が滲んでいる。
そうか、至近距離で爆発が引き起こされたのか。
封印と【修復】によって力を発揮できなくされていった炫日女が、ギリギリのところであがいて魔力を爆発させたのだ。
次にガーネットへ視線を移し、絶句する。
酷い火傷だ。何重もの防護で身を守ってもこれほどのダメージを受けてしまうのか。
「……すぐ、治して、やる……」
「馬鹿! テメェの状況も考えやがれ! さっさと体を【修復】しろよ!」
参ったことに俺もだいぶ酷いことになっているらしい。
痛みをあまり感じないのは運が良かったのか、それとも単に死にかけているからか。
――そうだ、サクラは? 炫日女の状態は?
痛む首を動かすと、疲労困憊といった様子で今にも倒れそうになっている少女の姿が視界に入った。
「約束、したんだから……世界の終わりを、乗り越えたら、また会おうって……!」
「やれやれ……何のことだかさっぱりだけど、負けられないのはお互い様か……」
炫日女をサクラの体から追い出すには、後一歩、最後のひと押しが足りていない。
まだ肉体に馴染みきっていない状態で、このために調整された対立属性の封印術を直接叩き込まれ、更に渾身の【修復】スキルで異物として切り離されていきながら。
ここまでやって尚も届かないなんて軽く絶望しそうになる。
「(魔力が、足りない……予備の、魔力結晶は、どこかに……転がって……)」
爆発で吹き飛ばされた荷物を弄ろうと手を伸ばす。
そのとき、指先にこつりと木製の手触りが伝わった。
「……っ!」
これしかないという一手が脳裏を過る。
だが自己回復すらままならない今の体では追いつかない。
今も炫日女は魔力を練り上げて力を取り戻そうとしているのだから。
瞬き一つの間にガーネットと視線を交わす。
意思疎通はそれだけで十分だった。
ガーネットは俺が思いついたとおりに二つのカートリッジを掴み取り、俺が握り締めた切り札に取り付けた。
それとほぼ同時に、炫日女の背後にナギが高速で出現して刃を振るう。
「不知火ッ!」
しかし完全な不意打ちで放たれたその斬撃も、炫日女の人間離れした反射速度によって防ぎ止められた。
間髪入れずに繰り出された脇差の横薙ぎがナギを斬り裂く。
そのために俺達から意識を逸らしたほんの数瞬。
あまりにも決定的な決着の瞬間。
無防備に振り向けられたその背中に、氷魔法の魔装弾とスクロールカートリッジの二重凍結弾が次々に突き刺さる。
完全ではない顕現で弱りきった炎の神格に撃ち込む、最後のひと押し。
これが通じなければもはや打つ手は何もない。
「……悪いな、サクラ。後で、きちんと、治してやるから……」
炫日女の――サクラの手から大小の刀が滑り落ちる。
「いえ……全ては私の未熟故。申し訳ありません。そして……ありがとうございます」
サクラは肩越しに力なく振り返り、悲しげな微笑を浮かべてから、糸の切れた人形のようにうつ伏せに倒れ込んだのだった。




