第330話 少女薬師と新人騎士 後編
「……疲れた」
調合作業がひとまずの完了を迎えたところで、マークは天幕の外に腰を下ろして深々と息を吐いた。
結局あれから、マークは冒険者達と比べて頭一つ抜けた量の材料を粉にしてしまった。
何かと凝り性なのが災いしたのだろう。
次々に任される作業を片っ端からこなしているうちに、いつの間にやら大量の成果物を積み上げることになっていた。
おかげで右腕の筋肉が張り詰めたような痛みを訴えている。
エリカも患者も働きぶりを喜んではいたが、果たしてこの痛みは成果の代償として適当なのかどうか。
ちょうど薬師がいるのだから、これの治療薬も責任持って処方してもらおうか――実際にする予定のない要求を思い浮かべながら腕をさすっていると、肩越しに木製のコップがそっと差し出された。
「お疲れ様です」
「薬師の……」
「ポーションっていうほど強力じゃないですけど、疲れに効く飲み物です。結構甘くて美味しいですよ」
マークは少し戸惑った様子を見せてからコップに口をつけた。
その右隣に、おおよそ人間一人分の距離を挟んで、エリカがスカートの裾を押さえながらゆっくりと腰を下ろす。
「右手、出してください。湿布作ってきました」
まさか本当に治療薬を持ってくるとは思わず、マークは呆気にとられて言われるがままに右袖を捲り上げた。
裏地にペースト状の薬を塗りつけた長方形の布切れが、動かしすぎて痛みと熱を帯びた右前腕に貼り付けられ、ひんやりとした感覚を与えていく。
「さっきはすみません。興奮して変な言葉遣いになってたみたいで。騎士の方なんですからちゃんとした方がいいですよね」
「いや……気楽な喋り方でいいよ。そっちの方が気が楽だ」
マークは腕に貼られた湿布を擦りながら目を細めた。
正直なところ、自分よりも大勢の役に立っている相手から畏まられると、却って自分が惨めで卑屈に思えてきてしまう。
――より正確に言えば、その事実を改めて突きつけられてしまう気がするのだ。
「本当に、凄いな。若いのに大したもんだ。うちの騎士団……紫蛟騎士団の医療担当より腕が良いんじゃないか?」
「んな大袈裟な……あたしなんかまだまだ駆け出しだって」
気恥ずかしげに照れ笑いを浮かべるエリカ。
見たところ、この少女の年齢は十五か十六か。
マークにとっては、ようやく騎士見習いの第一歩を踏み出したばかりの年頃だ。
「それとだな……こっちこそ、さっきは悪かった。あれは手伝いを渋っていい場面じゃなかったな」
「いやいや。結局は一番たくさん手伝ってもらったわけだしさ。でもやっぱり……あーっと、失礼な言い方になってたらほんとに悪いんだけど……あれもルーク店長が嫌いだったからなのかな」
遠慮がちに紡がれた言葉を受け、マークは思わず返答に窮した。
「……どうしてそう思ったんだ?」
その発言自体と発言に至るまでの間隔が、マークの心境を何よりも雄弁に物語っていた。
「だってほら、荷物運びは手伝ってくれただろ? 薬師の仕事で使うものだって説明してさ。なのにあんなこと言って断ろうとするもんだから、最初は何だよこいつ! って思ったんだけど。冷静になって考えてみたら、あれはルーク店長の指示だったから渋ったんだろうなって……」
エリカは一言一言慎重に、マークの反応を伺いながら表現を選び、しかし内容そのものは大胆に本質へと切り込んでいく。
ああそうだとも。まったくもってその通りだ。
特定の命令以外は聞く気がないなどという、新人騎士にあるまじき身の程知らずなことを宣言したのも――そう要求することが許可されていたというのもあるが――全てはあの男に対する嫌悪感に由来する。
だからこそ、緊急事態であるにもかかわらずそんなものを引きずった自分が、惨めで卑屈なモノであるように感じてしまうのだ。
「……だとしたらどうする? 軽蔑でもするか?」
「いやいやそんな! 何というか、あたしは……ありがたいなって、そう思っただけで」
「…………」
想定外の不意打ちに思考が止まる。
どんな過程を経たらそんな答えが導き出されるのか、まるで理解が及ばなかった。
「だってほら。嫌いだから渋ったっていうのは、裏を返せば嫌いなのに結局は手伝ってくれたってことだろ? それもあんなにたくさん。あたしに同じことが出来るかって考えたらさ……」
「……君も肉親と不仲なのか?」
「えっと、まぁ、うん。いわゆる将来の夢とかそういうので、親と派手に対立しちゃって。正直、今も故郷には近付きたくない気分でさ。親に何かあっても手伝いに帰るかっていうと……うん」
エリカは気まずさと自虐が綯い交ぜになった様子で苦笑している。
一方のマークは、考えたこともなかった視点からの意見をぶつけられ、今までにない心境で少女の横顔を眺めていた。
「……俺の親は尊敬できる人達だった。故郷の村長を務めていて、村人からの信頼も厚かった」
様々な思いが胸の内を飛び交った末に、口を突いて出たのは聞かれてもいない過去語りであった。
「団長が故郷を出たのは十五年前だと聞いているだろう? あの頃は陛下の即位から五年経っていて、大陸統一事業が一気に加速し始めた時期だったんだ」
興味のない素振りをされることも覚悟していたが、意外にもエリカは真剣な面持ちで話に耳を傾けているようだった。
「いくら善政で知られる陛下といえど、大規模な戦争中に下々への負担をゼロにするのは不可能だ。あの男が村を出た時期と前後して、両親の忙しさも右肩上がりに増していった」
「……あたしはまだ、物心もついてない頃か……」
「一番酷かった時期には、過労で倒れるんじゃないかと本気で心配だったくらいだ。そして俺は幼心にこう思った」
膝の上でぐっと拳に力を込める。
「どうして兄さんは、父さんと母さんが大変なのに帰ってこないんだろう、と。そして、自分が十五歳になったら父さんと母さんを助けるんだ……とね」
「…………」
「だけど皮肉なもので、俺が十五を目前とした頃には戦況がすっかり安定していて、両親の忙しさも元通りになっていたんだ」
当時のマークは知る由もなかったが、あまりにも迅速に大陸統一が進行したことで、故郷の村はあっという間に最前線から離れていったのである。
「俺は空振りに終わった熱意を別の方向に向けようとした。庶民からの騎士候補の募集が始まった頃合いだったから、騎士になって領地を貰えば両親に思う存分報いることができる……とね」
「だから、いつまで経ってもご両親のところに戻らなかったルーク店長のことは、とてもじゃないけど受け入れられなかった……」
「ところが、ようやく夢が叶って騎士になってみれば、その張本人が俺よりも先を行ってるじゃないか! 騎士団長だぞ騎士団長! しかもうちの両親もそれを喜んでるんだ!」
溜め込んでいたものが次から次に口から溢れ出る。
現実を知らされたときの気分は、今思い出しても胸が締め付けられるかのようだ。
両親と故郷を捨てたとばかり思っていた男が、両親に報いようと思っていた自分を追い越して、自分よりもずっと力強く両親を支えられる立場になっていた。
これを素直に喜べるほど自分は人間ができていない。
東方人という魅力的過ぎる餌がなければ、何があっても首を縦には振らなかったはずだ。
マークは声を荒らげて不満を叫び、そうしてゆっくり呼吸を整えてから、冷静になった頭を何度か横に振った。
「……すまない、取り乱した」
「気にしなくたっていいよ。身内との不仲っぷりを喋ったのはあたしが先なんだし」
それは自分が尋ねたからだろうと言いたかったが、エリカはその暇もなく言葉を続けた。
「ていうかいっそ、さっきの内容をまるごと店長にぶつけちゃえばいいじゃないかな」
「……団長本人に?」
「そうそう。何が不満で気に食わないのか、びしっと伝えないと相手も理解してくれないでしょ。まぁ……あたしは親相手にそれやって、決定的に関係がダメになっちゃったんだけどさ」
強気そうな顔が困り顔に変わり、そして誤魔化すような笑みになる。
だが、エリカの言っていることは間違いなく正しい――マークはそう感じていた。
その先に待っているのが和解だろうと破綻だろうと、自分の思いを伝えなければ先には進めないのだ。
「……それに、ぶちまけられる相手がいるってだけでも幸運だと思うよ。サクラの親御さんみたいに、もう話すらできなくなってからじゃ遅いんだし……」
「不知火桜の親御さん? まさかご両親に不幸があったのか?」
「えっ……?」
エリカがしまったと言わんばかりに顔を強張らせる。
「も、もしかして聞いてない? 本人から全然?」
「肉親の話は俺の方が避けていたからな……」
「じゃ、じゃあ! 今のなし! やっばぁ、あたしが勝手に話しちゃダメじゃんか!」
混乱し取り乱すエリカ。
それをどうにか宥めようとしたマークの視界の隅に、朝日と見紛うばかりの光が立ち上った。
無論、それは朝日などではなく。
丘の向こうにそそり立つ、猛烈な火柱の輝きであった。




