第324話 謎めく手記の解読 後編
サクラはさっそく今日の本題に入ることを宣言し、手元で束ねていた資料をマークに手渡した。
「……自分が?」
「現場責任者ですから」
「まぁ……それもそうですけど。分かりました、それでは団長殿、自分が中間報告を務めさせていただきます」
マークは軽く呼吸を整えてから、資料の内容を読み上げ始めた。
――マーク曰く、手記の筆者は何らかの理由で東方にいられなくなり、身内への巻き添えを防ぐため、そして解決方法を探すために西方へと逃れたのだと思われるのだそうだ。
何らかの理由というのが具体的に何であるのかは不明だが、恐らくは呪いの類だろうと推測できるとのことだ。
日記に散見される記述を統合すると、筆者はごく不定期に意識を喪失し、まるで夢遊病のように覚えのない行動を取ってしまうらしい。
それだけなら特に問題はない。
だが筆者の場合は、その行動があまりにも血腥かった。
あるときは盗賊を相手に死体の山を築き。
あるときは魔物が繁殖した森を跡形もなく焼き払い。
あるときは小競り合いを続ける二人の領主の手勢を両方とも壊滅させた。
一冊目の日記が失われた理由も、森を焼き払った際に燃えてしまったからだという。
その原因……呪いと推測される『何か』の正体について、筆者は間違いなくこれだろうと確信できる心当たりがあったらしい。
しかし、手記にその『何か』の手掛かりは見つからなかったそうだ――
「自分自身のことだから説明するまでもない……という理由もあったのでしょうが、それ以上に……文字として書き記すことすら恐ろしいと感じていたのだと思います」
――事実、手記はそこかしこに恐れが満ちていた。
内容の大半は、慣れない西方での放浪生活を記した正真正銘の日記だったが、時折思い出したかのように、ひどく震える筆跡で『何か』に対する恐怖が綴られていた。
いずれ知らぬ間に、無辜の民を虐殺することにもなりうるのではないか。
手記には何度も繰り返し、その懸念が書き記されていたという。
それだけでなく、神聖な領域を侵してしまったことへの後悔や、故郷に残してしまった妻子に対する謝罪なども記され、筆者が精神的に追い詰められていたことは誰の目にも明らかであった――
「しかし、こういった記述があったのは手記の前半部分だけで、後半からはあまり見られなくなりました。ちょうど、手記の筆者が『主』と呼称する老人に雇われた前後が境目となっています」
横合いから、サクラが補足を加えるように皇国語で『あるじ』と発音してから、ウェストランドの公用語に訳した表現を添えた。
「老人の名前の発音が『あるじ』と類似していたらしく、雇用主であることも掛けた渾名のようなものだと書かれていました」
「『あるじ』? 『あるじ』……『アルジ』……『アルジー』……ああっ!」
謎掛けじみた連想ゲームの解答が不意に思い浮かび、俺は思わず掌に拳を打ち付けた。
「アルジャーノンか! 短縮形は確かにアルジーだな! それに、公爵の兄の名前もアルジャーノンだ!」
「マーク殿もそう推測しておられました。発音的にも東方人ならではの発想だと」
「……話を戻しましょう。そこはあまり重要ではありません」
――ともかく、筆者の恐怖心が表れた記述は、キングスウェル公爵の兄と思しき人物との遭遇を期に減少していった。
例によって原因は不明だが、今回は日記だからという理由ではなく、本人にもよく分かっていなかったらしい。
公爵の兄は筆者自身にも原理を教えず、何らかの手段によって『呪い』を抑制し、少なくとも自分と行動を共にしている限りは不安を感じることなく過ごせるようにした。
かくして筆者は公爵の兄に付き従い、共に『奈落の千年回廊』に挑むこととなった――
「以上が手記の筆者の素性について判明したことです。ここまでで何かご質問はありますか?」
「いや、大丈夫だ。先に進めてくれ」
「畏まりました。しかしですね……」
マークは書類をめくりながら、深く悩むように眉を歪めた。
「ここから先は酷く翻訳しづらくて難儀しているのです。何と言いますか、専門用語というか独自の単語が多いようで」
具体的に聞いてみると、なるほど確かに、迷宮探索について記述した部分で聞き覚えのない単語が数多く使われている。
冒険者としての十五年間で一度も聞いたことがない単語ばかりだったが、しかしそれらの正体についてはおおよそ察しがついた。
「……そうか、公爵の兄が独自に考えて使っていた表現だな。冒険者でもなければ研究者でもないのに、独自かつ独学で『奈落の千年回廊』を研究していたわけだから、一般的な冒険者の用語とはかなりズレているんだ」
「筆者の方も一般的な知識に疎く、聞かされたことを聞いたまま記しているようです。一部の単語は説明の覚え書きがありましたが、大部分は手記単体では解読困難ですね」
何とも悩ましい事態である。
重要人物である公爵の兄に最も近かったが故に、そうではない人間からは理解しにくい文章になってしまったのだ。
「それでもいくつか判明したことがありました。まず手記に記された日時に加え、アルジャーノン氏と思われる人物が既に老齢であることと、手記に散見される世界情勢の記述から考えて、ここ数年の間に記されたものと考えて間違いないでしょう」
日付がそうなっているからというだけで簡単に断言しないあたり、相当慎重に検討を重ねていることが伺える。
「最も重視すべき点は、手記の最終ページに記載されている文章の一部……『主』が『門を開く術』を身に付け『更なる深淵に至る道を開いた』という部分です」
「門……更なる深淵……まさかそれって」
「断言はできません。単純に能力をより発展させたということを、少々大袈裟に書いているだけの可能性もあります。この手記の文章は全体的に装飾過多な感がありますから。しかし……」
「公爵の兄、アルジャーノンが『奈落の千年回廊』を抜けて『魔王城領域』に到達していた可能性も否定しきれない……」
本当にそうだとしたらかなりの大事だ。
色々な前提がひっくり返ってしまうかもしれない。
「……マーク。その内容が最終ページだって言ったよな。続きが書かれていない理由は分かるか?」
「いえ、手掛かりは何も。ですが手記の残りページ数にはまだ余裕がありましたから、三冊目に移っているだけという可能性は低いでしょう」
「そうか……」
となるとやはり、手記の筆者の身に何かがあったと考えるべきだろう。
荷物だけを残して逸れてしまい、手記は公爵の兄の手に渡ったのかもしれない。
探索の中で命を落とし、手記を遺品として大事にしまっていたのかもしれない。
あるいは、抑えられていたはずの『呪い』によって――
思考をそこまで巡らせたとき、玄関の扉を金属製のドアノッカーで叩く音が響き渡った。




