第318話 アージェンティアの者達
王都の一等地に立つ邸宅――アージェンティア邸。
ルーク・ホワイトウルフとの夕食を終えた後、ガーネットは一応の実家と呼ぶことができるアージェンティア邸に足を運び、父親であるレンブラント・アージェンティアの書斎を訪れていた。
そこで交わされる会話は、仲睦まじい親子のやり取りなどではない。
お互いの関係を割り切った者同士の、いわば一線を引いた現状報告である。
「……して、白狼の森のルーク、もとい、ルーク・ホワイトウルフの現況はどうなっている」
レンブラント卿は手元の資料に視線を落としたまま、ガーネットを一瞥することもなく問いかけた。
「我がアージェンティア家の格を上げるに足るならばそれでよし。力及ばぬのならばそのときは……分かっているだろうな」
今更問われるまでもなかった。
父親がそういう価値観の持ち主であることは、ずっと前から重々承知している。
婚姻による家格の強化――力ある家との婚姻はもちろんのこと、格下の家柄との婚姻によって従属勢力を増やすことも視野に入れた繁栄手段。
戦乱の時代には一般的だったものの、統一が進んで以降は時代遅れと目されるようになっていった価値観を、この人物は頑なに保ち続けていた。
しかし格下の家柄と言っても、アージェンティア家に十分な利益をもたらす相手でなければ、決して首を縦には振らないだろう。
長年に渡って染み付いた価値観を覆すのは容易ではない。
恐らくこの男は、時代遅れの考えを改めることなく一生を終えるに違いない。
縁を切るという選択肢も常に存在してはいたが、母親の仇――ミスリル密売組織アガート・ラムを追うにあたっては、実家との関係を悪化させるのは得策ではなかった。
このため、実家との縁切りは事実上実行することができない手段と化していた。
だが、ルークは全てを知った上で自分を選んでくれた。
その瞬間を思い返すだけで、ガーネットの心にはいつでも暖かな喜びが満ちるのだった。
「当然です。もしかしたら、将来的にはアージェンティア家を越えることになるかもしれませんね」
「面白い冗談だ」
レンブラント卿は笑いもせず憤りもせず、取るに足らない冗談として、ガーネットの発言の後半部分を聞き流した。
ガーネットはこれに対し不服げに目を細めたものの、それ以上の反論や言及はせずに現状報告を続行した。
「……現時点で着任している他騎士団の騎士は、虹霓鱗からの派遣のみです。他には紫蛟騎士団も候補を選定中で、私見ですが恐らく現行の候補で確定になるかと」
グリーンホロウ・タウンにおけるガーネットと親しい者にとっては、耳を疑わざるを得ないほどに丁寧な言動かもしれないが、時と場合に応じた振る舞いを当然に身に着けているというだけのことだ。
時折ルークが軽口の材料にするように、ガーネットは紛れもない令嬢として生まれ、正統な騎士として育ってきたのだから。
「ふむ……やはりそうなるか」
各騎士団から白狼騎士団への人員派遣の話題に対して、レンブラント卿は先程のルークの話題よりも僅かに強い関心を示した様子だった。
「現時点で二人というのは、思っていたよりも低調ですが……」
「無理もないだろう。他団への出向自体が珍しいというのに、ましてや今回は前代未聞の新設騎士団。どこも慎重になろうというものだ」
そう語る間にも、レンブラント卿の目線はガーネットではなく手元の書類に向けられている。
「こちらが独自のルートで仕入れた情報によると、竜王騎士団は派遣を見合わせるつもりのようだ。近衛兵の役割があるため、人員を遠方に割く余裕はない……という名目だな」
「裏を返せば、仮に竜王が騎士を寄越した場合、裏でよほどのことがあったと考えるべきですね。今後も動向を注視します。それでは……」
徹底的なまでに事務的な態度でそう告げて、ガーネットは父親の書斎を辞そうとした。
しかしその背中に、想定外のタイミングでレンブラント卿の声が投げかけられる。
「注意すべきは竜王ではない。キングスウェル公爵だ。奴の行動には必ず裏があると思え」
ガーネットはドアノブに伸ばしていた手を止め、すぐさま振り返った。
「……つまり、公爵が王国を裏切る可能性があると?」
「そうではない。あの男が陛下と王国を裏切ることはありえん。だが……裏切りにはならん範疇で、自らの目的を果たそうとすることは十分に考えられる」
「何となく……そうだろうとは思っていました」
「油断だけはするな。これまでの想定の倍以上の巧みさを想定しろ。何故ならキングスウェル公爵は――」
レンブラント卿は書類を伏せて置き、ここに来て初めてガーネットのことをまっすぐに見据えた。
「――かつて銀翼を決定的に敗北せしめた軍略を、陛下に献策した男なのだからな」
ガーネットが立ち去った後、それと入れ替わるようにして、レンブラント卿の書斎を別の人物が訪れた。
一切の肌の露出がない細身の男。
両手を白い手袋で隠し、騎士の一族に相応しい装いの長袖と長裾で四肢を包み、そして白い布を覆面のように被って頭部を覆っている。
尋常ならざる容姿ではあるが、このアージェンティア家においては極めて当然の存在として受け入れられていた。
「ヴァレンタインか」
「先程、廊下でガーネットとすれ違いましたよ。あの様子から察するに、例の件はまだ伝えていないようですね」
アージェンティア家次男、ヴァレンタイン・アージェンティア。
長男の戦死によって家督を継ぐ立場となりながら、いかなる事情によってかそれを果たせず、白覆面で素顔を隠し続けている人物である。
世間では、戦乱の最中に重傷を負って家長の役目を果たせなくなったとも、病に冒されて肌を晒すことができなくなったとも、あるいは呪いを受けて隠棲を余儀なくされたとも言われている。
確かなことは、アージェンティアの家督を継いだのが彼ではなく、三男のカーマイン・アージェンティアであることだけだった。
「構わないのですか? アレが知れば、間違いなく奮起するでしょうに。何せ、夜の切り裂き魔に凶器を提供したミスリル加工師の工房で押収されたインゴットから――」
「――アガート・ラムが売り捌いていたミスリルの一部と、同成分同比率の不純物が検出された。王都の錬金術師はさすがに優秀だな。よもやこの短期間でそこまで解き明かせるとは」
無論、この場合の不純物とは、精製技術の未熟さによって生じるものではない。
密売組織は純粋なミスリルだけではなく、不適切な混ぜ物によってあえて性能と価格を落とした廉価品をも流通させているのである。
その成分が一致したということは、例の連続殺人犯に凶器を作った加工師が、他でもないアガート・ラムから不法ミスリルの供給を受けていたということであり、更には――
「アレには伝えないので?」
「必要ならばカーマインが教えるだろう。余計な手を打ってリスクを生む必要はあるまい」
レンブラント卿が椅子をゆっくり回して窓の外の夜景に視線を投げる。
その後姿を眺めながら、ヴァレンタインは白覆面の下で短く息を吐いた。
「……俺としては、アレにはもっと頑張ってもらいたいものなんですけどね。俺のためにも……」




