第315話 オリエンタル・ロマン
「……ルーク騎士団長殿。お騒がせして申し訳ありません」
マークは即座に興奮を収め、徹底的なまでに他人行儀な振る舞いに切り替えてきた。
あくまで俺のことを身内としては扱わないということか。
筋が通っていると言えなくもないが、やはり一抹の寂しさは禁じ得ない。
「ええと……紫蛟騎士団の方で何か揉め事でも?」
ひとまず事務的な態度を心がけて事情を尋ねてみる。
ジャスティン騎士団長と思しき中年男は、困惑顔で俺とマークを交互に見やってから名乗りを上げた。
「これはこれは。私、紫蛟騎士団を預かっております、ジャスティン・イーストンと申します」
平服姿の騎士らしい出で立ちをしていなかったら、とても騎士団長だとは気付けないような人物である。
もちろん悪い意味ではなく、浮世離れせず地に足ついた雰囲気をしているという意味だ。
「新設される白狼騎士団に我々からも人員を派遣させていただこうと思ったのですが、見繕った人材の説得が難航しておりまして……」
「団長権限で辞令を出せばいいのでは?」
そう言ったのは、俺ではなく傍らにいたガーネットだ。
俺はまだ、そんな言葉がするりと出てくるほど、騎士としての立ち振る舞いに慣れてはいない。
「これは本来の任務外のことだからねぇ。公務の一環でない以上、できる限り納得尽くで行ってもらいたいんだよ」
困り顔で微笑むジャスティン卿。
回答を受けたガーネットは、ちらりと俺を横目で見上げてから、小さく肩を竦めてみせた。
公務の上で必要ない限りは強権を振るおうとせず、騎士になったばかりの若造にも私情を交えた拒否が許される――何となくだが、紫蛟騎士団という組織の雰囲気が垣間見えた気がした。
その方針の良し悪しは判断する人によって違うのだろうが、俺個人としては好ましいように感じられる。
――ふとジャスティン卿から目線を移すと、マークが信じられないものを見たように目を剥いて、ガーネットのことを唖然と見やっていた。
マークの視線に気付いたガーネットは、意味深に片眉を上げてからニッと笑った。
「悪ぃな。さっきは妹が邪魔したそうじゃねぇか」
「妹……なる、ほど……?」
きっとマークの頭の中では、少し前に会ったアルマと目の前のガーネットの姿形が重なって、酷い混乱が渦巻いているのだろう。
ジャスティン卿は困惑を拭い切れていないマークのことをさておいて、話を速やかに本筋へと戻した。
「マーク卿は、間違いなく白狼騎士団のお役目の役に立つスキルを持っております。しかし、本来の任務に関わる研鑽を積みたいと強く希望し、派遣の同意を得られずにおりまして」
「それに加えて、俺のところで働きたくないというのが主な理由でしょうか」
「……失礼ですが、ご兄弟なのですよね?」
「ええ。愛想を尽かされて当然の不出来な兄ですよ」
率直な言葉を告げると、ジャスティン卿は困り顔で言葉に詰まってしまった。
まさか兄の方からも、弟のスタンスを支持されるとは思っていなかったのだろう。
「とにかく」
思考回路を復帰させたマークが口を挟む。
「自分は冒険者の仕事などに興味はありません。ダンジョンもそうです。そんな時間があるのなら、いずれ東方大陸へ赴く日に備えて知識と経験を……」
「申し訳ありません、ルーク殿。入れ違いになってしまったようで」
マークの発言を少女の声が遮る。
声の主はまさかのサクラであった。
「サクラ!? どうしたんだ、シルヴィアと一緒に出かけてたんじゃないのか」
「先程、用事を終えて宿に帰ってきたところです。そうしたらルーク殿と入れ違いになったと聞きまして、すぐさま【縮地】を駆使して追いかけたという次第です。それで、ご用件とは?」
ついさっきまでドロテア会長のところにいたからか、サクラはいつもと違って防具を身に着けていなかったが、刀だけは普段通りに装備したままだった。
ジャスティン卿の方にちらりと目をやると、そちらの用件を進めるようにと手振りで示されたので、先にサクラへの応対を済ませることにする。
「……キングスウェル公爵の話は前にしたよな? あの大臣から『奈落の千年回廊』に関する資料の一部を引き継ぐことになったんだが、その中にこんなものがあったんだ」
例の古びた手記を取り出してサクラに手渡す。
「過去に『奈落の千年回廊』に挑んだ冒険者の中に東方人がいて、その人物が手記を残していたらしい」
「なるほど……軽く見たところ私の国の言葉で間違いなさそうですね。草書体……こちらで言う筆記体にしても少々悪筆が過ぎますが」
「自分以外に読ませることを想定してなかったんだろうな。解読できそうか?」
「読み解くよりも西方語への翻訳に苦労しそうです。喋る分にはそれなりに自信がありますけど、研究資料に使える精度で訳せるかどうかは、実際にやってみないことには」
頼もしい返答だ。
本人としては、母国語ではないこともあって安請け合いはできないと考えているのだろうが、俺にとってはそれくらいで十分にありがたい。
それに、手記の文章が皇国語だと確認できただけでも収穫だ。
サクラとのやり取りの合間を縫って、紫蛟騎士団の二人の様子を窺うために視線を動かす。
……何やらマークの様子がおかしい気がする。
驚愕と興奮を噛み殺そうとして、結局押し止めることができなかったのを、口元を手で覆い隠して誤魔化そうとしているといった様子だ。
「兄……ル、ルーク団長殿。東方人の店員や団員がいるという情報は伺っていませんでしたが……それに手記というのは……」
「サクラは馴染みの冒険者だからな。必要なときに手伝ってもらう関係だから、騎士団の資料には載ってなかったんだろ。手記はさっきサクラに説明したとおりだよ」
もはやマークは俺のことを視界に入れているかどうかも怪しかった。
マークに何があったのか理解していないのは当のサクラだけで、俺もガーネットも、そして騎士団長のジャスティン卿もおおよそ状況を察したようだ。
「し、失礼、お名前を伺ってもよろしいか……」
「不知火桜ですが……あの、何故そんなに感極まったような顔を……?」
困惑の色を深める一方のサクラ。
努めて冷静になろうと無駄な足掻きを続けるマーク。
ここにいるのが少女のサクラではなく男のナギだったとしても、きっとマークは同じ反応をしていたに違いない。
そろそろ割って入るべきかと考えていると、笑顔のジャスティン卿が後ろからこっそりと俺に声を掛けてきた。
「ルーク卿。これから宿の酒場でお話できませんか。本人の前では喋りづらいこともありますので」