第313話 次にたどるべき道標
キングスウェル公爵の兄と共に『奈落の千年回廊』を探索した、東方人の冒険者の手記。
当事者が残した生の資料であり、遠い異国の言語でありながら解読できる望みがある。
初仕事だとばかりに渡してきたのも納得の好都合ぶりである。
もっとも公爵の発言を信じるなら、まだ誰も手記の内容を解読していないので、何の意味もないただの日記という可能性もあるのだが。
「さて、私が今ここで伝えられることは以上だ。追加の質疑応答は、ひとまずグリーンホロウに資料が届くのを待ってからにしてくれたまえ」
都合のいい情報だけ伝えられた気がしないでもないが、かといって投げかけておきたい疑問も思い浮かばない。
疑問や質問といったものは、最低限の知識があってこそ思いつくものなのだ。
続きは資料を受け取ってからにしろというのはもっともで、もしも公爵が自分にとって好都合な資料だけを送りつけてきたとしても、まずは受け取った資料を精査してから「これはどういうことだ」と言うのが物事の順序というものである。
幸いにもこちらには、資料の扱いを得意とする研究者肌が何人もいる。
俺一人でやるなら絶望的だが、皆の力を借りれば問題ないだろう。
まずは白狼騎士団を組織として本格的に稼働させる。
これを第一に目指すべきであって、キングスウェル公爵との駆け引きやら化かし合いやらはその後だ――後者はする必要があるとも限らないが。
「分かりました。次の連絡は、騎士団の運営が軌道に乗った頃になると思います」
「うむ。いやはや、ようやく肩の荷が下りた気分だよ。いっそ資料を届けるついでに、グリーンホロウで疲れを取るのもいいかもしれないな」
キングスウェル公爵は老いた体を椅子に預け、腹の底から滲み出るような息を吐いた。
「私のように頭が固くなった老人にとって、愚兄が残した研究資料はどれもこれも常軌を逸した代物でな。一刻も早く若人に引き継いでしまいたいと苦悶していたのだ」
「若者……ですか」
「羨ましいものだな。私もお主くらいの頃には……いや、この話は長くなるからよそうか」
これでもホワイトウルフ商店の関係者の中では一番歳上なのだが、やはり公爵くらいの世代から見れば若輩者に過ぎないようだ。
若いと言われたと考えて喜ぶべきか、未熟者だと見なされたと考えて不服に思うべきか。悩ましいところだ。
「では、自分達はこの辺りで――」
執務室を辞すために振り返ろうとした直後、分厚い扉が外から思いっきり開かれて、小さな人影が俺の脇をすり抜けていった。
「おっと!」
「御祖父様!」
その人影――豪奢なドレスに身を包んだ幼い少女は、全身の力で扉を開け放った勢いのまま、執務机の横を転びそうになりながら迂回して、キングスウェル公爵に飛びついた。
「ああ驚いた。お前も来ていたのか、イザベル」
イザベルと呼ばれたその少女は、どうやら公爵の孫娘であるらしい。
年齢的にも地位的にも孫がいるのはごく自然だ。
貴族の当主ならば、跡継ぎを儲けることは当然に求められてきただろう。
「だけど、いきなり飛び込んできたのはいいことじゃないな。ほんの少し前まで私は仕事中だったのだからね。さぁ、お客様にご挨拶なさい」
「はいっ! ええと……私、エリザベスと申します! 皆さんからはイザベルと呼ばれています!」
「ど、どうも……」
呆気に取られた俺達の背後から、見知った顔の少女がくすくす笑いを浮かべながら入室してきた。
「ごめんなさいね。さっきまで私が一緒に遊んであげてたんだけど、お爺さんがいると知ったら止める間もなく走り出しちゃって」
「勇者エゼル……! 君も王宮に用事が?」
「まぁそんなところかな。いやぁ、子供の体力ってほんと油断できないよね」
私服姿のエゼルの存在に気付いたヒルドが、急に驚いた顔で目を丸くする。
「えっ? いや、貴女は……ふぎゅ」
「こんなところで立ち話は公爵にご迷惑でしょうし、続きは外でお話しましょうか。では、失礼いたしますねっ」
エゼルはまるで肩を組むようにヒルドの首に腕を回すと、フードの中に手を入れて口の端に指をかけて引っ張って、言葉になりかけた声の邪魔をした。
そうしてヒルドを部屋の外に引っ張り出していくエゼルに対し、公爵はすっかり祖父の顔になって別れの挨拶を返した。
「孫娘が迷惑をかけたね。お父上にもよろしく言っておいてくれたまえ」
結局、俺達はそんな流れで執務室を後にして、王宮の廊下の片隅へと移動した。
「では改めまして。ルーク卿、叙任おめでとうございます。これから陛下と王国のために尽力なされること、私からも期待させていただきます」
「そんな風に表現されると何だかくすぐったいな……」
「まぁまぁ、きっちり節目を祝うのは大事でしょ。ところで公爵とは仕事の話を?」
気軽に話していい内容なのか一瞬迷ったが、悩む意味などなかったとすぐに思い直す。
勇者エゼルも『魔王城領域』の地下に挑む戦力の一人で、ここは王宮という最も警備が厳重な建物の内部なのだから、軽く伝える程度なら何の問題もないだろう。
「キングスウェル公爵から『奈落の千年回廊』に関する資料を引き継ぐ件について色々と、な。ついでに東方語で書かれた資料も渡されて、小手調べに解読してみろと言外に告げられたところだよ」
「なるほど。ところで東方語と言っても、帝国語と皇国語でかなり違うみたいですけど、その資料ってどっちなんでしょうね」
素朴な疑問を返されて思わず言葉に詰まる。
そう言えば、手記の言語についても冒険者の出身についても、まだ「東方である」というところまでしか特定できていない。
帝国だの皇国だのというのは、普段から全く意識しないものだから考えから外れてしまっていた。
「ま、どっちでもいいんじゃねぇか? とりあえずサクラに聞いてみりゃ、すぐにどっちかくらい分かるだろ」
なるほど、確かにガーネットの言う通りだ。
元から翻訳のためにサクラを頼るつもりだったのだから、帰りに宿に立ち寄ってみて話を聞いてみるとしよう。




