第312話 東方文字の手記
そうして俺達は所定の手続きを踏んで王宮に入り、キングスウェル公爵の執務室を訪れた。
「失礼します」
「急な呼び出しにもかかわらず、よく来てくれた。正式叙任おめでとう、白狼の森のルーク……いや、これからはルーク卿と呼ぶべきだな」
小柄な老人が執務机に座ったまま俺達を迎え入れる。
机の上は山のような書類に占領されていて、ぱっと見では俺達の相手をしている暇は無いように思えてしまう。
「ふむ、だが部下は二人だけか? もう一人くらいは来られるものと思っていたが」
「現時点で派遣が決まっているのは、ここにいる二人だけですが」
「なるほど、紫蛟の候補は本決定には至らなかったか。まぁよい、さっそくだが本題に入るとしよう」
キングスウェル公爵は叙任の祝いをあっさりと済ませ、机の中央の書類を除けてスペースを作り、そこに肘を置いた。
挨拶だけで終わる可能性もあると言ったばかりだが、どうやらそれはハズレだったらしい。
「前に見なかった方の部下……ローブの種別からして虹霓鱗の騎士か?」
「はいっ! ヒルド・アーミーフィールドと申します。信仰上の理由により、閣下の御前でローブを外せぬ不躾、どうかお許しください」
ローブを外せない本当の理由は、信仰などではなくエルフ特有の尖り耳を隠すためなのだが、公爵は気にも留めていない様子であっさり聞き流した。
「構わんとも。虹霓鱗が神殿以外に騎士を送るということは、大方研究目的の派遣だろう。神々に関する研究も彼らの職掌だからな。無論、私にとっても好都合だ」
そして公爵は、俺達を呼びつけた理由を勿体ぶらずに切り出した。
「夜の切り裂き魔事件は忘れておるまい? 王都を騒がした猟奇殺人事件……お主が解決に導いた一件だ。その被害者である、現役あるいは引退済みのAランク冒険者。彼らが狙われた理由の仮説がようやく固まった」
忘れるはずなどない。
犠牲者の死体を無残に解体した連続殺人鬼、夜の切り裂き魔。
その正体は現代文明では製造不可能な自動人形――自我を持つ高性能ゴーレムであり、死体をバラバラにした理由は、自分達が成り代わった人間の身元を誤魔化し、入れ替わりに気付かれないようにするためだった。
自我を持つ精巧な人形という現実離れした代物だったことと、凶器がミスリル製だったことから、古代魔法文明や『奈落の千年回廊』および『魔王城領域』の奥に潜む『魔王軍の真なる敵』との関係が濃厚とされていたが――
「被害者は全て、過去に『奈落の千年回廊』へ挑んだことがある冒険者であり……」
――その仮説は更に強固となり、更に――
「……我が愚兄に雇われて迷宮に挑んだ冒険者であった」
――今まで以上に踏み込んだ領域へと発展した。
「待ってください閣下。それはつまり、夜の切り裂き魔は閣下の兄君から得た情報を元に、襲うべき標的を見繕ったということですか」
「さすがに理解が早いな。迷宮で消息を絶った我が愚兄が、地下に潜む勢力によって捕らえられていたとしても不思議はない」
「その上で、奴らにとって不都合な情報を持っているかもしれない冒険者を、片っ端から殺して回ったと……」
「慚愧に堪えんよ」
公爵は溜息を吐きながら首を横に振った。
その反応の裏にある心境は、果たして罪悪感かただの呆れなのか。
「だがこの情報は、夜の切り裂き魔事件が解決した直後には議題に上がっていたものだ。お主へ伝えるのは正式な叙任がなされてからにすべき、ということになっただけでな」
初めて聞いた話だったが、判断自体は納得だ。
事件解決は俺が新騎士団の件を請け負うと報告した後のことだったし、恐らくはその時点で既に、新騎士団に割り振る公務の内容も見繕われていたはずである。
ならば『詳しい情報は正式に手続きが終わり次第届けよう』と考えるのは、ごく自然な発想だと言えるだろう。
「当然、そんな古い情報を伝えるためだけにお主を呼び出したのではないとも。本当に伝えておきたいことは別にある」
公爵は机に積み上がった書類の山から、手帳サイズの一束を抜き取りながら、視線をさり気なくヒルドへと移した。
「白狼騎士団の正式発足に伴い、魔王城の地下深部および古代魔法文明の調査任務は、お主が率いる騎士団へ移管されることとなった。そして必然的に、今後は私が任された『奈落の千年回廊』の研究分析とも密接な連携を取っていくこととなる」
「『千年回廊』が本当に古代魔法文明の産物だというなら、決して切り離せない案件になるでしょうね」
「然り。故にこちらが保管している資料……我が愚兄の研究資料の一部をそちらの管理下に移すつもりだ。その手の作業を専門とする騎士が派遣されたのは、実に幸運だ」
ヒルドがフードの下で生唾を飲み込む気配がした。
「本音を言えば、いっそ『千年回廊』の方も白狼騎士団に任せてしまいたいのだがな。さすがにいきなり全てを任せるのは荷が重かろうと、陛下に止められてしまったのだよ」
冗談とも本気ともつかないことを言って、公爵は取り出した一束の書類を俺に差し出した。
「手始めに一つ渡しておこう。他の資料と毛色が違う代物でな。私が専門家を探して解読させてもいいのだが、団長の職務に慣れるためと思って、お主の伝手を使って解読してみるといい」
「力試しの課題ということですか。失礼します」
一言断ってから書類を受け取り、最初のページを開く。
実際に触れてみて分かったのだが、単なる書類の束というよりは、紙に複数の穴を開けて紐で縛った手作りの本のような作りをしている。
「……これは、文字なんですか?」
ぱっと見ただけでは、適当にペンを滑らせて黒いうねうねを大量生産しただけにしか思えない。
ガーネットとヒルドも横合いから手帳型の書類を覗き込み、揃って異様なものを見たような顔をした。
「あっ……ちょい待った、白狼の。これサクラが書く文字と似てねぇか? なんつーか、あいつが書く筆記体って妙な癖があるだろ。それと雰囲気が似てるような……」
「それってつまり、東方人が書いた文字ってことか?」
「ふぅむ、さすがにこの程度は即座に見抜けるか」
公爵は俺達のやり取りを眺めて愉快そうに口の端を上げた。
「我が愚兄が雇った冒険者の中に、一人だけ東方人の冒険者がいたらしい。その手記は東方の冒険者が綴り、我が愚兄が後生大事にしまい込んでいたものだ。あるいは重大な記述が潜んでいるかもしれんぞ」




