第309話 東方大陸と紫蛟騎士団
「東西貿易……ですか?」
サクラの説明に対してそう聞き返したのは、アルマとして立ち振る舞うガーネットだった。
ガーネットが紫蛟騎士団について詳しくないはずがないので、世間知らずな令嬢であると見せかけるための演技なのだろう。
あるいは話題を自分のことから、完全に紫蛟騎士団のことにずらしてしまおうと考えているのかもしれない。
「東方と西方の関係は複雑なのですが、おおよそ『互いに警戒しつつも交易はしている』という状態が続いています。紫蛟騎士団はいわば西方側の担当者で、私が西方に渡ってきた船も彼らが管理するものでした」
冒険者として、俺は主に大陸中央を活動範囲にしてきたので、西方大陸の東端や東方大陸のことはあまり詳しくない。
しかし大雑把な世界地図くらいは見たことがあるし、大まかな位置関係程度ならすぐに思い浮かべることができる。
二つの大陸は海を挟んで隣り合っているが、複数の海底ダンジョンから現れた海の魔獣によって海路が遮断され、長らく交流が途切れた状態が続いていた。
その断絶状態も近年の造船技術と航海技術の向上によって改善し、三十年くらい前から少しずつ交易が再開していったのだという。
「俺は東方のことには詳しくないんだが、東方大陸にもいくつか国があるんだよな」
「もちろんです。とりわけ有力な国家は『帝国』と『皇国』でしょうね。前者は国土も国力も東方最大ですが、最近は西方大陸を警戒して貿易を控えています。後者は私の故郷で、帝国とは逆に西方貿易を拡大中ですよ」
そういえばサクラの生まれ故郷の国について聞いたのは、これが初めてかもしれない。
別に聞きにくかった理由があったわけではない。
ただ単に機会がなかったというか、改めて尋ねるタイミングを見失っていただけだ。
サクラは興味深そうに話を聞いているシルヴィアに向き直り、彼女に深く関係した話も口にした。
「東方は茶葉の一大産地だから、春の若葉亭にとっても決して無縁な土地ではないんだ。交易が再開していなければ、グリーンホロウで紅茶を楽しむことなどできなかっただろうな」
「へぇ! それなら騎士団の人にはお礼を言っておかないと!」
遥か遠くの東方大陸と、それのみに関わる任務を担う騎士団。
一般市民には関わりが薄いように思われがちだが、実は食生活などを中心に深い関わりがあるのだ。
紫蛟騎士団についての話題が終わろうとしたタイミングで、ガーネットが笑顔を浮かべてぽんと手を叩く。
「そろそろ馬車が到着する時間ですね。今日はお開きということで、皆さんはお部屋でお休みを……」
「お嬢様、お時間はまだ先ですが」
「ですよ! もっとお話しましょう!」
アビゲイルとシルヴィアに左右から挟み込まれ、ガーネットはびくりと肩を震わせて硬直した。
話題を逸らして忘れられようとしていたのだとしたら、作戦は大失敗だ。
少なくともアビゲイルが一緒なら、致命的なボロを出すことはないだろうし、危うくなれば適切な助け舟を出してくれるに違いない。
その辺りについては俺もアビゲイルを信頼している。
俺はサクラと一緒に、ラウンジへ引っ張られていくガーネットを苦笑気味に見送ってから、改めてサクラに質問を投げかけることにした。
「なぁ、サクラ。お前は紫蛟騎士団について詳しいんだよな」
「……専門的なことを尋ねられても困りますが。少なくとも西方の一般市民よりは知識があると思います」
「十分だよ。だったら俺より詳しいな。悪いけど色々と教えてもらえないか」
「それは……やはり弟君のことが気になるのですか」
サクラは即座に俺の意図を見抜き、真摯な声色で聞き返してきた。
完全な図星だ。
マークが修行を積み、これから務めることになる騎士団がどのような組織なのか――その辺りがどうしても気になってしまっていた。
しかし即座に「そうだ」と答えられなかったのは、やはり不甲斐ない兄としての気後れがあったからかもしれない。
何を今更、兄貴面で気にかける素振りなんかしているのか。
そう詰られたって文句を言えそうにない。
「私は構いませんが、騎士団の情報でしたらガーネットや銀翼の方々に尋ねた方が確実だと思います。本当によろしいので?」
無言を肯定と受け取ったのか、サクラは自分から積極的に話を先に進めようとしてくれた。
「ああ。こいつはあくまで個人的な問題だからな。騎士団長の肩書を背負って本職の騎士に尋ねたりしたら、問題が無意味に大きくなるかもしれないだろ?」
「なるほど、了解です。それにガーネットは色々と大変でしょうし、余計な迷惑は掛けられませんね」
サクラは微笑むように表情を緩め、そして紫蛟騎士団について知っていることを説明してくれた。
「騎士団長の氏名はジャスティン・イーストン。主任務は東方諸国に対する警戒を前提とした大陸東端の防衛、並びに東西貿易の護衛および監視です。任務の都合上、団員が東方を訪れることも多く……」
「ちょっと待った。イーストンだって? 俺の弟もその家名を名乗ってたんだが」
「私に尋ねられてもお答えしようがありませんよ」
「……確かにそうだな。悪い、続けてくれ」
一般人出身の新入団員に与えられる家名なのか、それとも団長であるジャスティン卿と密接な関わりがあるのか。
こればかりは四の五の言わずに本職を頼るべき案件だ。
「では続きを。紫蛟騎士団の団員は、貿易船の護衛として東方をよく訪れています。私が『西方の錬金術師であれば緋緋色金の加工を果たせるかもしれない』と考えたきっかけも、彼らから錬金術についての情報を得たからなのです」
なるほど、紫蛟騎士団はサクラが西方を訪れた経緯の根本的なところに関わっていたらしい。
俺が今こうしていられる理由の大部分は、Aランクダンジョンの『奈落の千年回廊』から脱出した直後に、シルヴィアとサクラに出会えたことにある。
さもなければ、きっと無防備なままドラゴンに遭遇して殺されていただろうし、それ以降の戦いの数々を生き残ることもできなかっただろう。
そんな奇縁のある騎士団に、弟のマークが入団していたなんて、何とも奇妙な繋がりである。
「知人と言える団員も数名ですがおりますので、人脈が必要でしたら仰ってください。もっとも、銀翼あたりにお声を掛けていただいた方がずっと確実でしょうけど」
「ありがとな。必要なら頼らせてもらうよ」
俺がそう答えると、サクラは満足げに頷いてみせたのだった。




