第301話 運命の日は来たりて
――このウェストランド王国において、騎士とは特別な役割を担う存在である。
軍事活動や治安維持、各地の神殿の警備に監督と、国家の権限の一部を担う重要組織。
名目的な階級は貴族の最下位より低く位置付けられているが、実質的な権限は並の貴族を凌駕し、上級騎士団に至っては最上位の貴族にも迫ると言われている。
ウェストランド王国の騎士とは、このように特別な肩書なのだ。
当然、騎士になりたいと願う者は後を絶たないという。
ではどうやって騎士になるのか? 答えは至って単純明快。
いずれかの騎士団からの推薦を受け、王宮がそれを承認し叙任すれば晴れて騎士の仲間入りだ。
問題は騎士団の推薦を受ける方法だが、こればかりは各騎士団の裁量なので一概には言い切れない。
現役騎士に弟子入りし、下働きを経て従騎士となり、従者として働きながら修行を積んで推薦される……これが最も多いパターンだと聞いている。
このコースで騎士を目指した場合、実力を身に着けて推薦されたらほぼ間違いなく受理されるという。
他にも騎士の身内が下積みなしで推薦されたり、特別な功績を挙げた一般人が推薦されたりということもあるが、それらの推薦は是非を厳しく審査されるらしい。
――さて、そうして推薦が受理された騎士候補は、国王直々に叙勲を受けることで晴れて騎士になれる。
だが国王陛下は多忙であり、一人のために時間を割いて叙任式を執り行うのは現実的に難しい。
なので現在は、各騎士団から推薦された候補を王都に集め、一括で叙勲を行う合同叙任式の形態が採用されているのだ。
それにしても――まさか自分が叙任式に参加することになるとは、去年までは夢にも思わなかった。
会場近くの宿の一室で何度目かの深い息を吐く。
どれだけ落ち着こうとしても緊張が緩まない。
身動ぎするたびに着慣れない礼服の動きにくさを実感し、余計に神経が張り詰めてしまう。
今、俺は合同叙任式に出席するために、会場である大講堂の最寄りの宿で準備を進めていた。
ガーネットからはアージェンティア家所有の物件を使えばいいと提案されたが、どれも大講堂から距離があったし、何よりあまり銀翼騎士団に頼りすぎるのは良くないだろう。
何せ、俺は他の騎士候補達とは違い、既存の騎士団に入るのではなく新たな騎士団をあてがわれるのだから。
しきりに時計を見やっても、ほとんど時間は進んでいない。
会場入りの予定時間はまだまだ先である。
再びピークに迫った緊張を何とかやり過ごしていると、不意に部屋のドアがノックされた。
宿の方にはあらかじめ話を通してあるので、部屋を訪れるのは王宮か騎士団の関係者くらいだ。
「……どうぞ」
「邪魔するぜ。白狼の、ちゃんと準備できてるか?」
聞き間違えるはずもないガーネットの声。
安堵感を覚えながら扉に向き直った俺だったが、扉を開けて入ってきたのは、晴れやかな衣装に身を包んだ可憐な少女であった。
「ははは! 緊張でガチガチじゃねえか! 無理やり服着せられた猫かよオメーは!」
「ああ、びっくりした。どこの御令嬢が迷い込んできたかと思ったら、お前だったか」
からかいへの反撃として率直な感想をぶつけ返す。
下手に皮肉で返すよりもこいつが一番効果的だ。
「アージェンティアの御令嬢だよ。悪かったな、お上品な淑女じゃなくって」
ドレスの腰元に手をやって、ガーネットは照れ混じりに俺を睨み上げながら部屋に入ってきた。
今日のガーネットは目に馴染んだ少年的な格好ではなく、舞踏会でも誰もが振り返らずにはいられないであろう、華やかに着飾った格好をしていた。
普段と違うのは衣装だけではない。
いつもは少年に成りすますために化粧っ気のない顔も、今は上品で無駄のない化粧が施されていて、顔立ちの良さが格段に引き立てられている。
解いた後ろ髪も丁寧に櫛が通されており、口さえ開かなければ男らしさの欠片も感じられなかった。
「ところでその格好、今日は銀翼の騎士じゃなくて末娘の令嬢の名義で出席するのか?」
「合同叙任式にゃ銀翼の新入りも参加するからな。遠方に派遣されてる騎士を呼び戻すほどじゃねぇが、アージェンティア家の人間が出ねぇわけにはいかねぇだろ」
「……と仰っていますが、実はアルマお嬢様としてのご出席は初めてなのですけどね」
「んなっ……!?」
慌てて振り返るガーネット。
扉のところに、黒い服に身を包んだメイドのアビゲイルが立っていた。
「普段から叙任式に参加されていらっしゃったら、団員からもほとんど顔を知られていない深窓の令嬢、なんて扱いはされていないでしょうに」
「おま……下で待ってろって言っただろ!」
今日のアビゲイルの格好はいわゆる給仕服ではなく、式典にも出席できるようなデザインの真っ黒な服だ。
恐らく、アージェンティア家の令嬢であるアルマの付き人として、アビゲイルも合同叙任式に出席する予定なのだろう。
「何と、私も対象に含めたご命令でしたか。ルーク様と二人きりになりたいがために、他の御付き達に待機を命じられたものだとばかり」
「分かってんなら、なおさら何で来てんだよ!」
「正解でしたか……いえ、さすがに御令嬢が一人で歩き回るのは体面が整わないかと思いまして。お嬢様はそういった配慮に不慣れかもしれませんが……」
アビゲイルからまさかの正論で言い返され、ぐぬぬと口籠るガーネット。
相変わらず、二人のやり取りを見ていると主従関係がよく分からなくなってくる。
「……分かったから、部屋の外で待ってろ。それならいいだろ」
「畏まりました。しかし僭越ながら一つだけ申し上げます。お嬢様……ルーク様の礼服姿はお褒めになられましたか?」
「うぐっ……」
ガーネットはさっきとは別の理由で言葉に詰まった。
「お嬢様のことですから、面と向かってお言葉にしづらいのは理解いたします。ですが……」
「い、いいからさっさと外で待ってろ!」
アビゲイルは焦るガーネットに部屋の外へ押し出され、自分で扉を閉めようとしながら、隙間からじっと俺達のことを見つめてきた。
「最後にもう一つ。もうすぐ式典が始まりますので、お召し物が乱れるようなことはなさいま――」
強化スキルを上乗せしたガーネットの前蹴りを食らって、扉が大きな音を立てて完全に閉まる。
そのせいでさっそくスカートの裾が派手に乱れている。
アビゲイルが言っていたのは、むしろこういう行動への忠告だったんじゃないだろうか。
ガーネットは肩を上下させて呼吸を整え、さっきの俺以上に緊張した様子で振り返った。
「……その、何だ。悪くないと思う……っつーか、背ぇ高いし、似合ってんじゃねぇかなって……」
「あ、ありがとな……」
初々しい緊張感が俺にも伝染しそうになってしまう。
そのおかげかは知らないが、叙任式を前にした緊張は不思議と薄れてしまっていた。




