第3話 脱出の希望が見えてきた
ダンジョン内の迷宮の壁は、破壊が極めて困難であることで知られている。
低ランクダンジョンならまだ辛うじて可能だが、高ランクダンジョンの壁の強度は凄まじく、小さな穴を開けることすら困難である。
そしてこの『奈落の千年回廊』に至っては、勇者の全力の攻撃ですら傷一つつかなかったのだ。
「……夢じゃないよな。俺のスキルで迷宮の壁が……壊れたんだよな……!」
こんな異常過ぎる出来事、十五年間の冒険者生活で一度も聞いたことがない。
俺は心臓の高鳴りを抑えきれず、粉々になった壁の残骸に手を突っ込んで感触を確かめた。
「はははっ! 何だこれ! 石じゃないのか! まるで金属だ! 石みたいなのは表面だけなんだな! どうりで死ぬほど硬いはずだ!」
発光苔の薄明かりの下でも、残骸がきらきらと光り輝いているのが分かる。
まるで純銀の粉末だ。
何という種類の金属なのかは知らないが、目を奪わずにはいられない輝きを放っている。
最初の興奮が収まってきた頃に、また新しいアイディアが頭をよぎった。
「……待てよ。これってつまり、理由は分からないけど【修復】スキルがパワーアップしたってことだよな……ひょっとしたら、他にも使い道が増えてるんじゃないか……?」
壁を破壊した力に有効な使い道がある、という意味ではない。
こんな能力、考えるまでもなく強力に決まっている。
俺が思いついたのは、これとは別のこともできるようになっているのでは、という可能性だ。
【修復】スキルで物体を破壊できるようになるなんて、常識的に考えてありえないことだ。
極限状態に追い込まれた影響か、それとも謎の多い迷宮を長くさまよっていたからか。
今は理由なんかどうでもいい。
考えたって分かるわけがない。
重要なのは、物体の破壊という『ありえないこと』ができるようになってしまったという点だ。
それなら、他の『ありえないこと』もできるようになっている可能性も否定しきれない。
「……試してみる価値はあるよな。どうせやれることは全部やらなきゃ生き残れないんだ。まずは……」
俺は使い倒して刀身が薄くなった鉄剣を、分解された迷宮の壁の残骸の山に突き立てた。
「スキル発動、【修復】開始!」
【修復】スキルは無からモノを生み出せるわけではなく、欠けた部分を塞ぐには同一の素材を使って補う必要がある。
素材を使わなければ、道具の他の部分――剣でいうなら刀身の刃こぼれしていない部分を流用することになる。
そのため、素材なしの【修復】はやればやるほど脆くなる。
しかし、どんなものでも素材にできるわけではない。
最低でも【修復】したい部分と同じ物質であることが求められる。
例えば鉄剣の刃こぼれを銅で補うことはできないのだ。
「(その『ありえないこと』もできるようになっていたら……勇者でも傷つけられない迷宮の壁で、剣を【修復】できたとしたら……)」
きっとこの剣は強力な武器となるに違いない。
――素材なしの【修復】とは違う手応えがあった。
こればかりは同じスキルの習得者にしか理解できない感覚だ。
誰にでも分かる説明は難しい。
とにかく、素材が破損部分を補っていくときの感覚が伝わってくる。
やがて何の変哲もない鉄の剣が、俺のスキルによって迷宮の壁との合金に変化した。
「できた……はず、だよな」
刀身の輝きがさっきまでとは段違いのように思える。
試し切りができそうなものを探して、俺はスケルトンになりかけた死体が持っていた長剣に目をつけた。
普通なら鉄剣で鉄剣が斬れるはずがない。
加えて、俺はその手の戦闘スキルを持っていないので、なおさら不可能のはずだ。
だが、今ならできる気がした。
「せいやっ!」
壁に立てかけた長剣に俺の剣を振り下ろす。
刃は刀身の半分くらいまで食い込み、しかも刃こぼれひとつも起こしていなかった。
俺が素人丸出しの動きで振るってもこの結果なのだ。
真っ当な使い手が振るったときの威力を想像するだけで、体が興奮で震えてくる。
「これなら……これなら生き残れる気がしてきたぞ……!」
ずっと消え失せていたやる気が無尽蔵に湧いてくる。
さっきまでのやる気を消えかけのロウソクとするなら、今は雲まで届く火柱だ。
俺は穴の向こうに移動してから、壁に空いた穴を【修復】した。
もちろん、迷宮で拾った小袋に壁の残骸を回収しておくことも忘れない。
「何も大穴を開ける必要はないんだ。小さな穴を開けて、向こう側を確認するだけでも全然違う……!」
新たに目覚めた【修復】スキルの効果を引っさげて、ダンジョン脱出に向けて歩き出す。
俺はそれらを【分解】【合成】と呼ぶことにした。
似たような効果のスキルは存在するかもしれないが、それを【修復】スキルで実現できるのは、きっとこの世で俺だけだろう。
自意識過剰だとか過大評価だとかではない。
こんな風に確信してしまうくらいに、本来はありえないことだったというだけだ。
「そうだ。こういうのはいけるか?」
ふと思いついて、発光苔を【分解】しようと魔力を流してみる。
だが、結果は無反応だった。
「あれ? そうか……生き物には魔力抵抗があるんだよな。【分解】しようとしても抵抗されるか。もう少し出力を上げたらどうだ……?」
気合を入れて魔力を流し込むと、ようやく発光苔が粉末状の物体に【分解】された。
「うーん、効率悪いな。苔でこれなら動物の【分解】は難易度高そうだ。そもそも【修復】は生き物には効かないわけだし、生き物の【分解】が難しくてもしょうがないよな」
とりあえず、少し前に拾ったナイフに発光苔の粉末を【合成】する。
刀身から光を放つナイフ形照明の完成だ。
ナイフを合成材料にした意味は特にない。
たまたまちょうどよく手元にあったから使っただけだ。
そうして何枚目かの壁を破ったところで、眼前に待望のモノが飛び込んでくる。
「あった! 階段だ!」
俺は空腹を忘れ、何度も転びそうになりながら狭い階段を駆け上がった。
階段の先に光が見える。
あれがダンジョンの外の光なのか、それとも明るいだけの階層なのかは分からなかった。
しかし、光の正体がどちらだろうと、俺がやることは変わらない。
全速力で光の中に飛び込むと、そこは――