第298話 旧友と隣に立つ君と
――噂が広まるのは本当に早いものだ。
それが関心を引いてやまない話題なら尚更である。
「聞いたぞ、ルーク! 叙勲の日取りが決まったそうじゃないか!」
春の若葉亭で昼休憩を済ませてから、仕事の一環で『日時計の森』のホロウボトム支店を訪れた帰り際。
ギルド支部の建物を出ようとしたところで、何の前触れもなくトラヴィスに呼び止められた。
「水臭いじゃないか。俺にも教えてくれたっていいじゃないか」
「情報が早すぎるだろ。書簡が届いたのは今朝だぞ。お前を探してる暇なんかあると思うか?」
「ないな! だが俺の情報収集網を舐めるなよ」
冗談めかした口調で笑いながら、トラヴィスは太い腕でがっしりと肩を組んできた。
他人の昇格を心から喜べるのは、昔からトラヴィスの長所だと思っている。
それが冒険者でなく別分野での成功でも変わらないあたり、やはりこれはこの男の本質に近い要素なのだろう。
「で、お祝いに何か奢ってくれるのか? Aランクなんだから期待してるぞ」
「もちろんそのつもりだったんだがな。春の若葉亭が祝賀会を開くというから、そっちの費用の一部を負担させてもらうことにした。ついでに南方の旨い酒を取り寄せるつもりだから、楽しみにしておけよ」
「ついでというか、お前の場合はそっちがメインじゃないのか」
そういう無遠慮なやり取りをしばらく続けたところで、トラヴィスのパーティメンバーの一人がリーダーを呼びにやって来た。
「おっと、すまんな。次の仕事だ。祝賀会に参加する時間は捻出できるはずだから安心してくれ」
「無理するなよ。お前は探索の主力なんだからな」
今日もAランクらしい忙しさに追われるトラヴィスを見送ると、自主的に一歩退いていたガーネットが俺の隣に戻ってきた。
その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
面白かったとか苦笑してしまったというわけではなく、無意識のうちに湧き上がってくる微笑といった雰囲気だ。
「相変わらず仲いいな、お前ら。羨ましいぜ」
「羨ましいって、どっちがだ?」
「お前と立場入れ替わっても嬉しくねぇよ」
ガーネットは軽く押す程度の力加減で俺の足を蹴り、そしてゆっくり歩き出しながら何かを指折り数え始めた。
「祝賀会には冒険者連中も呼ぶんだろ。メリッサとナギに、支部長親子に……百獣平原のロイもこっちに着いてるんだったよな。魔王狩りにも声は掛けるのか?」
「ダスティンか……呼んではみるつもりだけど、あいつのことだから多分参加しないだろうな」
「当然だ。お前個人の進退に興味はない」
不意打ちで会話に割り込まれ、驚いて振り返る。
ちょうどさっき潜ったばかりの門の壁際に、二槍を携えた幽鬼のような男が佇んでいた。
「……だが、新たな騎士団の設立に関しては祝わせてもらおう」
それを聞いて、ガーネットは俺の隣で意外そうな顔をした。
どうやらダスティンが祝福を口にしたのが想定外だったらしい。
しかしそれに続く発言は、ガーネットにとっては信じ難く、俺にとっては案の定なものであった。
「黄金牙を経由せずに地下探索ができるのは、俺にとっても都合がいい。連中は冒険者の都合を勘案しない傾向にあるからな」
「んだよ、結局は自分の損得じゃねぇか」
「損得を度外視する価値がある人間など、俺にはもういない」
ダスティンはそれだけ言うとガーネットから視線を切り、改めて俺の方を一瞥した。
「お前の騎士団には期待している。ここで言うべきことはそれだけだ」
そう言い残して、ダスティンは踵を返して門を潜り、振り返る素振りすら見せずにギルド支部へと姿を消した。
ガーネットは憤懣に顔を歪めたかと思うと、何か思案するような表情を浮かべ、最終的に何故か落ち込み気味になって眉をひそめた。
ころころと変わる顔色は見ていて飽きない……というには深刻そうな素振りだったので、さすがに声をかけておくことにする。
「どうかしたのか?」
「いや、さ……あいつ、相方を失くしてからああなったんだよな。もしも、もしもの話だけどよ、同じようなことがあったら、オレもああなるかもなって、最近さ……」
頭の中で考えがまとまりきっていないようで、発する言葉の並びが微妙にちぐはぐで、声色にもあまり力が籠もっていない。
しかし言いたいことはよく分かった。
俺はガーネットの頭に手をそっと近付け、金色の髪を撫でるのではなく、髪をかき乱すようにわしゃわしゃと動かした。
「うおわっ!?」
「悪い想像はいくらやったって切りがないぞ。俺だって荒事がある度にそう思ってるんだからな」
何ということはないという態度を取り繕いながら、ガーネットの肩を軽く叩いて歩き出す。
恐るべき敵と戦う度に、俺の眼前で大盾のように立ちはだかる小さな背中。
出会ったばかりなら小柄な割に頼もしいと思えたのかもしれないが、今の俺はその細さを知っている。柔らかさを知っている。
痛めつけられ傷つけられる姿を目の当たりにすれば、自分自身の弱さを完全に棚上げして、心を突き動かされずにはいられなかった。
「……大体、多少のことなら【修復】で何とかなるんだから。あんまりいらない心配しすぎるなよ」
「そりゃ分かってるけどよ……っておい、ちょっと待てって! おーい!」
ガーネットが乱れた髪を手櫛で直しながら後を追いかけてくる。
俺はもうすぐ騎士になり、やがては不相応にも新たな騎士団を率いる立場を与えられる。
その後もガーネットは騎士の一人として俺の隣にいてくれる予定だが、果たして今まで通りの関係を続けることはできるのだろうか。
……いや、きっとできるはずだ。俺達がそう望む限りは。
悪い想像を膨らませて余計な心配をするなと言ったばかりなのに、自分がそんな真似をしたらガーネットに合わせる顔がない。
ガーネットは歩幅の違う俺に駆け足で追いつき、歩調を合わせて早足にまで速度を落とす。
俺も歩幅を小刻みに変えて、ガーネットと肩を並べて歩けるように足を合わせた。




