第297話 時の流れは早いもので
――ハイエルフのエイルとの一件から数日。
いつも通りに開店準備をしていたところ、まだ鍵を開けていない玄関の扉を外から叩く音が店内に響いた。
「うっせぇな。気が早ぇ奴もいたもんだ」
ガーネットが眉をひそめて玄関に向かっていく。
開店時間はまだ先なのだが、たまに気の早い客がこうしてやってくることがあるのだ。
「はいはい、まだ準備中ですよっと。もうちっとそこで待って……」
対応に向かったガーネットの様子が変わり、何故か客への対応をする雰囲気ではなくなった。
玄関先にいたのは冒険者でもなければ町の人間でもない。
騎士が着用するような上着を羽織った人物だ。
会計カウンターからだと会話がよく聞こえないが、その男はガーネットに何かを手渡すと、店の中には一瞥もくれずに立ち去ってしまった。
「……ガーネット、今のは何だったんだ?」
「お前宛の書状だぜ。用件は封書を見りゃ分かるだろ」
そう言ってガーネットが見せたのは、王宮の紋章である双頭竜の紋章が描かれた封書であった。
確かに一目見ただけで用件を理解できる。
きっとあれは騎士叙勲に関する続報だ。
封書をガーネットから受け取った途端、開店準備をしていた皆がどっと集まってきた。
「ルーク君! それってひょっとして! たはーっ! ついに来ちゃいましたか!」
「……騎士の……こと……?」
「ええっ! ちょ、ちょっと見せてもらっても……!?」
「大事な書類なんですから、そんなに急かすものじゃありませんよ」
たまたま一番近くにいてすぐに反応したノワールを、アレクシアがあっさり追い抜いて詰め寄ってくる。
そして、少し遅れてやって来たエリカがアレクシアの後ろで背伸びをする横で、レイラが一人だけ落ち着いた様子で窘めていた。
何というか、皆の個性がよく現れたリアクションである。
ノワールの反射神経は冒険者でもあるアレクシアほどではなく、そのアレクシアはこの手の最新ニュースに対する食い付きがいい。
エリカも年頃の少女らしくゴシップや噂話に興味津々だが、一番騒がしいこいつほど前のめりにはなれていないようだ。
残るレイラは騎士の家の出身だからか、騎士叙勲に関する通達も珍しいものではないようで、四人の中で唯一好奇心を露わにしていない。
……とまぁ、そんなことを考えながら三方からの圧を受けていると、ガーネットが後ろからアレクシアとノワールの肩を掴んで、俺の側からおもむろに引き剥がした。
「とびっきりの公文書なんだから、いきなり本人以外が覗き込むなっての。オレ達は後でな」
「もうっ、ガードが固いなぁ」
ガーネットのお陰で密集一歩手前の状況から開放されたので、改めて封書を開いて中身を確かめる。
そこに綴られていたのは――
「騎士叙任式ですか?」
その日の昼、食事を取るためにガーネットと二人で春の若葉亭を訪れたので、今朝の封書のことをシルヴィアとサクラ――依頼の合間の昼食で居合わせていた――にも伝えることにした。
「ああ。来月頭に、王都で騎士団合同の大規模な叙任式があるらしい。俺の案件もその機会にやることになったんだそうだ」
要は各騎士団の新人騎士への叙勲を一度にやってしまおうという式典だ。
現代の騎士は全て国王陛下から直接叙任されなければならない。
しかし当の陛下は多忙であり、常に大陸のあちこちを東奔西走しているので、王都に滞在しているタイミングでまとめて叙任するのが効率的なのだろう。
ガーネットやレイラが言うには、もちろん個別に叙任されるケースもあるそうだが、統一後に騎士となった者の大部分は合同の叙任式で任命されたらしい。
「しかし随分と急ですね。来月に執り行う儀式の通達が本日とは」
「もっと後でやる予定だったらしいんだが、せっかくならこの機会にってことで変更になったそうだ」
サクラの質問に答えながら、騎士叙任式という未知の式典を想像して息を詰まらせる。
どうせなら大勢の前でお披露目を、とのことなのだろうが、果たしてどれほどの人数が集まるというのだろうか。
絶え間なく喋りながらだからか、それとも重大な報告を聞いた直後だからか、目の前に置かれた料理が普段と比べてあまり減っていない。
「な? 白狼の、柄にもなく緊張してやがるんだぜ」
「柄にもなくは余計だろ」
隣の席のガーネットがニヤニヤと笑いながら、空っぽになった自分の皿のソースをスプーンで集めている。
ガーネットの指摘通り、今から緊張してしまっているのは事実だ。
とりあえず気分を変えようと思いつつ、シルヴィアとサクラに大事な提案を投げかけることにする。
「叙任式には俺の判断で招待客を呼んでいいらしいんだ。せっかくだから二人もどうだ?」
シルヴィアとサクラは顔を見合わせてから、揃って驚きの声を上げた。
「い、いいんですか! 私達なんかがお邪魔しても!」
「シルヴィアはともかく、私に至っては王国の臣民ですらありませんが……!」
「もちろん、いいに決まってるだろ。二人に会えたことが始まりだったんだ。こっちから頭を下げて来てもらいたいくらいさ」
誰でも招待していいと言われたとき、思い浮かぶ顔は色々ある。
故郷の身内はもちろん、長い付き合いの冒険者の連中や、ホワイトウルフ商店の皆もそうだ。
しかし、真っ先に思い浮かんだのはシルヴィアとサクラであった。
親兄弟を呼ぼうと考えるよりも早かったのは、正直自分でも不思議だ。
肉親は当然過ぎるからそれは別として……という心理が無意識に働いたのかもしれない。
あるいは、俺が今ここにいるのは二人のおかげだと、ごく自然に思い浮かべたからなのだろうか。
「それなら断ったりなんかできませんね。ありがとうございます、ルークさん」
「こちらの儀礼には疎いもので、不躾な真似をしてしまいやしないか不安ではありますが……精一杯、心を込めて立ち会わせていただきます」
シルヴィアはサクラと朗らかな笑みを交わし合い、はたと何かを思い出したような顔でテーブルに身を乗り出し、声を押し殺してガーネットに囁きかけた。
「……ガーネットさん、ひょっとして妹さんも参列したりします? でしたら一度ご挨拶くらいはしたいなーと……」
「お? ……お、おう……まぁ、式典には面くらいは見せるんじゃねぇか? 家の立場とか色々あるしな、色々」
ガーネットは泳ぎそうになる視線をぐっと堪えながら、手にしたままだったスプーンで俺の皿から猿芋のすり潰しをがっつり削ぎ取ると、一気に放り込んで口を閉ざしてしまった。
そう言えば、シルヴィアと酒場兼ギルドハウスのマリーダは、ガーネットにアルマという名前の妹がいるという表向きの話を知っていた。
加えてシルヴィアはガーネットが騎士であることも知っているので、自然とそういう方向性の話題も気になってしまうのだろう。
まだまだ聞き足りなさそうなシルヴィアの隣で、サクラが不意に話題を切り替えた。
「そうだ、シルヴィア。ならば例の件は、いっそ騎士叙勲の前祝いも兼ねることにするのはどうだ?」
「あ、いいかもそれ! もっと豪華にしなくちゃね!」
「例の件……?」
全く覚えのない話題だ。
シルヴィアは自信ありげな笑みを見せながら、期待しろと言わんばかりに胸元に手をやった。
「何を隠そう、ルークさんのグリーンホロウ移住一周年を祝うパーティを計画してたのです。本当はお食事が終わったら教えるつもりだったんですけどね」
一年――もうそんなに経っていたというべきなのか、まだそれだけしか経っていないというべきなのか。
あっという間に時間が過ぎていった気がするし、短期間で色々なことがありすぎたようにも感じる。
だが、とにかく充実した時間を過ごしてきた。
それだけは自身を持って言い切ることができる。
「……ありがとな。本当、この一年で人生が変わったよ」
心の底から自然と笑顔が浮かんでくる。
いつの間にか、のしかかっていた緊張はどこかに消え失せてしまっていた。




