第296話 決着とひとまずの幕切れ 後編
とりあえず、ひとまず戦いの後始末をしておかなければ。
現実に交戦したわけではないので物理的な片付けは必要なく、やるべきことは王宮への報告の下準備だ。
戦いの中で得た情報は多岐に渡り、どれも俺の手元で腐らせていくわけにはいかないものばかりである。
そんなことを考えながら『右眼』を解除しようとしたところで、ヒルドが慌てて俺を引き止めた。
「待ってください! その前に調べておきたいことが!」
ヒルドに頼まれ、発動させっぱなしだった『右眼』を改めて分析してもらうことにする。
前と同じく『右眼』に手をかざして魔力を込め、そして安堵感と残念さが混ざった様子で息を吐くヒルド。
「良い知らせと残念な知らせが一つずつあります。どちらからお聞きになりますか?」
「……それじゃあ、残念な知らせから」
「例の空間へ入る経路が閉ざされてしまっているようなのです。恐らくは私達を弾き出した閃光の作用だと思います」
それを聞いて、ガーネットが不愉快そうに片眉を上げた。
「つーことは、もう二度とあそこの調査はできねぇってことか? だったらあいつの思い通りじゃねぇか」
「いえ、所感ですけれど解除自体は可能なはずです。私以外にも魔法の専門家の協力を仰いで、時間を掛けて術式の解体を進める必要がありそうですが……」
要するに時間稼ぎというわけだ。
封鎖を突破される可能性をエイルが想定していないとは考えにくいので、それも勘定に入れている前提で考えるべきだろう。
「協力してくれる魔法使いなら心当たりがある。今日や明日のうちに解決しないといけない問題でもないんだから、こいつは腰を据えて何とかするとしよう」
「まぁ……それもそうか。急がば回れって言うしな」
もちろん心当たりとは黒魔法使いのノワールのことである。
最新の情報を教える許可を得ておく必要はあるものの、彼女ならきっと俺達の力になってくれるはずだ。
「それで、良い知らせっていうのは?」
「あ、はい! エイル・セスルームニルの精神体の複製は完全に消滅したようです。これで『右眼』の封鎖術式を最後に、あのハイエルフから不都合な干渉を受けることはないはずです」
確かにそいつは良い知らせだった。
自分の眼球に他人の精神体やら何やらが居座っているのは、どう考えてもいい気分はしない。
「んで、精神体が消えたことは本体に伝わってんのかよ。それ次第だとかなりの大事になるぜ」
ガーネットの指摘に対して、ヒルドは小さく首を横に振って答えた。
「これについては百パーセントの断言はできませんが、状況を鑑みるに本体へのフィードバックが行われた可能性は極めて低いと思われます」
「どうしてそう思うんだ?」
「あの精神体は付与された時点で、本体から切り離されたスタンドアロン運用になっていましたから。ええと……事細かに解説すると小冊子が作れる分量になるのですが、説明しましょうか?」
「……やっぱ止めとく」
辟易した様子で、ガーネットはあっさり音を上げた。
魔法使い達が取り扱う知識は門外漢の手に余る代物だ。
「可能な限り端的に表現しますと、瞳を覗き込んだだけで付与できる簡易性の代償として、遠く離れた本体との情報のやり取りをする機能は持たせられなかったに違いない、というわけです」
「複雑なほど仕込みが大変ってのは、オレにも想像できるな」
「違いないと言い切れる理由も説明を……」
「いや、だからそれはいいって」
ノワールからも聞いたことがあるが、呪文を唱えて即物的な効果を発揮するのは、魔法の表層部分に過ぎないらしい。
今回の件も詳しい理屈を語られても理解できない気がする。
「さてと、それじゃあ今夜中に報告書を仕上げてしまおう。一晩置いて記憶が薄れてからじゃもったいないからな。二人も手伝ってくれるか?」
「当たり前だろ」
「是非お手伝いさせてください!」
まず何より真っ先に報告を上げるべきは王宮だ。
陛下と王宮を差し置いて報告をする相手などありはしない。
古代魔法文明の幻視とそこで目にした光景。
ハイエルフにして連合議員のエイルが取った行為の数々。
北方樹海連合と対峙しているビューフォート家にも伝えなければならない情報ではあるが、あちらにはきっと王宮から通達が行くことになるだろう。
俺が報告書を作るための準備をしている間に、ヒルドは興奮を隠しきれない様子でガーネットに話しかけた。
「王宮に報告が届けば、エイル・セスルームニルを捕らえて投獄することも不可能ではありませんね! 卑劣な行いには相応の報いを受けさせなければ!」
「あー……気持ちは分かるけどよ、多分無理だろ」
「ええっ!? ど、どうしてですか!」
ヒルドとは真逆に、ガーネットの反応はとにかく落ち着いたものだった。
「まず何より証拠がねぇ。『右眼』の封鎖だって、誰がやったのか証明できる根拠はないんだろ? あの食わせ者は失敗したときの言い訳の余地も考えて行動してやがったわけだ」
「た、確かに……」
「銀翼の仕事で一番しんどいのは証拠固めなんだぜ。証言だけで圧力を掛けたところで、不当な圧力だ何だと連合の人間達まで逆上させるだけだ。また戦争になったとしても絶対に王国が勝つに決まってるが……まぁ、どちらも大勢死ぬだろうな」
ガーネットの見解を聞いて露骨に落胆するヒルド。
彼女とエイルの直接的な関係性がどの程度なのかは分からない。
あくまでハイエルフの一人として嫌っているのだけなのか、それともエイル個人に恨み辛みを抱えているのか。
どちらにせよ、かなりネガティブな感情を抱いているのは間違いなさそうだ。
落胆ぶりが少し可愛そうになったので、一旦作業の手を止めてフォローを入れておくことにする。
「確かにこの件だけでエイルを追い詰めることはできないけど、それでも十分すぎる成果は得られたと思うぞ。外国への圧力には使えなくても、王宮やビューフォート家が警戒を強める材料にはなるんだ」
悪事を北方樹海連合に突きつけるには証拠が必要だが、王国側がエイルと『白亜の妖精郷』を警戒する根拠とするだけなら証拠は不要だ。
関係各所が俺達の証言を信じてくれたら、それだけで事足りる。
「さすがに外交の場では表に出さないだろうけど、これからは陛下も辺境伯も、エイルの本当の方針と能力を常に考慮して動くことになるはずだ。第一歩としては及第点なんじゃないか?」
「で、ですよね! 白狼騎士団の活動はまだ始まってもいないのですから、成果を焦る必要はありませんよね!」
無事に覇気を取り戻したヒルドを見やって一息ついてから、改めて報告書を綴る準備を再開する。
そう――全ては始まったばかりだ。
今夜の一件は、古代魔法文明の実態解明という新騎士団の目的を大きく後押しするものではあるが、だからといって成果を焦っても意味はない。
エイルの複製体との戦いは決着を迎え、事件はひとまずの幕切れとなったが、これはスタートラインに立つ前の一悶着に過ぎない。
その事実を胸に刻み込みながら、俺はこれから先の新しい人生に対する決意を新たに固めたのだった。
第七章の事件らしい事件はひとまずここまで。
次回からの数話分は第七章のエピローグと第八章の前振りメインになると思います。




