第294話 最後の勧告
ヒルドを物陰に隠れさせてから間もなく、階段を降りきったエイルの姿が魔力照明の下に現れる。
俺とガーネットは肩を並べ、眼前の強敵と対峙した。
「やれやれ……あの場所から動けないと言ってた割には、あっさりと追いついてきたじゃないか」
「このプラットフォームも行動範囲内だったに過ぎませんわ。そんなことより、諦めていただく気にはなりましたか?」
言葉での返答はしなかったが、それでも俺達の態度に込められた意志はしっかりとエイルに伝わったようだった。
「……そうですか、残念です。では致し方ありませんね」
心にもない態度で残念がりながら、エイルはすっと片腕を前に伸ばした。
「心変わりはお早めに。貴方達は複製ではない精神体。致命傷を負えば死に繋がりますので」
涼やかな態度で放たれる業風。
捻れ荒ぶる風の渦を間一髪で回避するも、その凄まじい風圧でガーネットもろとも床面を転がされてしまう。
「それとも、まさか万に一つでも勝機があるとお思いで? だとしたら別の意味で残念です。現実を見る目がある方だと思っていたのですが」
「勝ち目なら……あるさ」
痛む体に鞭打って、膝に手を突いて身を起こす。
「建物全体の封鎖にその他諸々……これだけ派手にリソースをばら撒いてるんだ……俺達に回せる魔力は多くないんじゃないか?」
「ご自分の過大評価が過ぎますよ? そもそも順序が逆です。制圧にはこの程度の魔力で十分だと判断し、誘導と捕獲に力を割いたのですから」
エイルが軽く手を振るい、視界が歪むほどの密度の風弾が繰り出される。
とっさに前へ出たガーネットが金剛鉄の剣で風弾を切り払うも、弾けた暴風の余波が華奢な体を蹂躙し、それを抱き止めた俺ごと後方へと吹き飛ばした。
列車の先頭車両の側面に背中から激突し、激痛に呼吸すらままならなくなる。
「がはっ……! ごほ……!」
「……ッ! 白狼の! クソッ、体が思い通りに動きさえすりゃ、この程度……!」
なおも飛び出そうとするガーネットの肩を掴み、これからの戦略を耳打ちする。
俺達が逆転の糸口を掴むにはこれしかない。
自分自身を囮にして勝機を生み出すギャンブルだ。
「弱者を甚振って楽しむ趣味嗜好はありませんので、もう終わりにいたしましょう。最後の勧告です。降伏していただけますか? 首肯なさらないのでしたら、もはや強硬手段を取らざるを得ませんよ」
エイルの手元に風と魔力が凝縮し、半透明の魔力の槍を生み出していく。
「貴方達には原因不明の突然死を遂げていただきます。こんなに早くこの世界に来たということは、王国の正式な任務ではないのでしょう? でしたら数名が謎の死を迎えても、残された方々が原因に辿り着く可能性は極めて低いはずです」
「まったく……どこまでお見通しなのやら。もしも誰かが死因に気付いたとしても、俺が死ねば『右眼』も失われると……」
「本当は貴方に死んでいただくわけにはいかないのですけれど。残念ながら情報統制を破るわけにはまいりません。苦渋の決断です」
本当に残念そうな態度で、エイルは小さく首を横に振った。
なるべく俺を死なせたくないというのは本当なのだろう。
ただしそれは、俺個人に対して肯定的な感情があるからではなく、俺の体に宿ったアルファズルの『右眼』を失いたくないからだ。
もしも『右眼』が何よりも重要なら、それを人質にして現状を打破することもできただろうが、生憎とそういうわけにはいかないらしい。
エイルにとって『右眼』は見過ごせない要因だが、過去の秘密を守るというハイエルフの使命に優越するほどではないのだ。
「もしかして『右眼』を惜しんで、何があっても命だけは助けてもらえると期待していましたか?」
「……ちょっとだけな」
「では、最後のご返答を」
ここから先に分岐点は存在しないだろう。
俺達の運命は次の一言で決まることになる。
記憶操作を受け入れて命だけは見逃してもらうのか。
抗い続けて命を危険に晒すのか。
ここにいる三人の意見は既にまとまっている。
だから俺は、ガーネットの口調が感染ったかのように荒っぽい単語選びで、その意志をまっすぐに投げ返した。
「クソくらえ」
「残念です、さようなら」
一切の慈悲も躊躇いもなく、潰すと決めた羽虫を仕留めるも同然に、エイルは風の槍を鮮やかに投擲した。
――『右眼』が示す。あれは躱せないと。
俺はガーネットを左腕で突き放し、自分も精一杯反対側へと身を反らした。
視界の隅で左腕が弾け飛ぶ。
肩と肘の間の骨と肉が粉砕されて飛散し、半分に短くなった左腕が宙を舞う。
最善最高の回避を試みてもこれが限界。
ましてやあちらは二投目も三投目も容易に放ってくるに違いない。
「――――!」
苦悶の声を上げる間もなく、左腕をちぎり落とした風の槍が背後の先頭車両に突き刺さり、凄まじい破壊力で半壊させながら横転させていく。
更には先頭車両の内部に蓄積されていたエネルギー源――即ち高密度の魔力が爆発的に解き放たれ、飛び散った大小の金属片が背後から俺に襲いかかった。
「が、はっ……!」
胸からも腹からも血に濡れた金属片の先端が顔を出す。
俺は爆風に耐えることもできず、前方へ吹き飛ばされて床に肘と膝を突いた。
激痛、失血、歪む視界。
一刻も早く傷を【修復】しなければ意識を保つこともできなくなる。
「おかわいそうに。つまらない意地を張らなければ、こんなにも苦しむことはなかったでしょうに」
「……悪い、な……意地だけは……張り通さねぇと……生きていけねぇ質なんだ」
「そうでしたか。でしたらその遺志を尊重してさしあげましょう」
エイルがこちらに歩み寄ってくる。
恐らくは確実にとどめを刺すために。
これ以上の『右眼』に頼った悪あがきを許さないために。
「貴方の名誉のために申し上げておきます。貴方と護衛騎士がスキルさえ使えれば、ここまで一方的ではなかったでしょう。その場合は私も全力でお相手しなければなりませんでした」
「ああ……スキルが使えれば、今からでも……逆転できるな……」
「かもしれませんね。私は全力を出しきれない状況ですから。ですがそれは叶わぬ夢」
エイルの手に二振り目の風の槍が形成されていく。
次の一撃は対処不可能だ。
少なくとも、今すぐ肉体を【修復】しなければ。
けれど今は【修復】してはいけない。
できないのではなく、するべきときではなかった。
「では改めて。ごきげんよう、さような――」
エイルの背後を高速の影が横切る。
そして金色の長髪が首元ではらりと切れて落ち、首を横切る赤い線が浮き上がり、鮮血の噴出と共に頭がぐらりと傾いた。
「――え?」
傷はまだ【修復】できない――そう、このときまでは。
スキルを取り戻したガーネットが、エイルに致命的な一撃を与える瞬間までは。




