第291話 過去の残影との遭遇
俺達を乗せた車両は、馬車の十倍は下らない速度で無人の町を疾走し、あっという間に大樹の麓へと辿り着いた。
しかしそこで停車することなく更に前進を続け、大樹と絡み合うように結合した建造物の中に進入していく。
魔力照明に彩られた通路を走りながら減速していき、昇降場所と思しき広い空間でようやく停止。
そしてここで降りろと言わんばかりに、全ての客車の扉が一斉に開け放たれた。
「……どうする、白狼の」
「ひとまず降りてみよう。誘導されてる感は否めないけど、だからと言ってここに引きこもってるわけにもいかないからな」
ヒルドからも特に反論はなく、三人揃って客車から昇降スペースへと移動する。
その直後、発動したままの『右眼』がささやかな魔力の流れを捉えた。
「何か見えましたか?」
「魔力の流れ……だと思う。香炉の煙が風に流されてるくらいにうっすらと。この広場を横切って向こうの階段の上に続いてるな。いよいよ露骨に誘われてるんじゃないか、これは」
車両が偶然動き出し、行き着いた先で偶然にも意味ありげな魔力の流れが生じている――こんな偶然の連鎖を無邪気に信じられるような純粋さは、十五年前に故郷を飛び出したときに捨ててきた。
一連の出来事に何者かの意図が関わっているのは間違いない。
問題はその意図が一体どんなものかということだ。
「ひとつ、危害を加えるために誘い込もうとしている。ふたつ、俺達を助けたい、あるいはここにいて欲しくないと思って追い出そうとしている。みっつ、他の誰かのための誘導に俺達がうっかり引っかかっただけ……どれが好みだ?」
「好みで言わせていただければ二つ目ですけれど! 正直なところ、一つ目の可能性が高いのでは?」
ヒルドは警戒心も露わに、俺が示した階段の方を睨んでいる。
するとガーネットが率先して前に進み出て、彼女には見えていないであろう魔力の流れの行く先に向かおうとした。
「様子を見てくる。お前らはここで待ってろ」
「待て、駄目だ!」
慌ててその肩を掴んで引き止める。
「まだスキルが使えるようになってないんだろ。そんな状態で行かせるわけにいくか」
「強化が使えなくても技術は消えちゃいねぇよ。第一、多少のリスクがあっても偵察しておかねぇわけにはいかねぇだろ」
「分かってる。だから俺が行く。現状それが最善だ」
ガーネットは犬歯を剥き出しにして睨みながら反論を試みたが、結局は何も言えずにしぶしぶ矛を収めた。
魂だの精神体だの詳しい理屈は知らないけれど、スキルを使えず魔力も引き出せないこの状況だと、三人の中で最も身体能力が高いのは俺のはずだ。
戦闘技術はガーネットに大きく劣るだろう。
しかし万が一の場合に一目散に逃げ切ることだけを考えるなら負けていないはずだ。
それに、スキルを使えなくても『右眼』は問題なく機能し続けている。
あくまで偵察に徹するのであれば、俺が行くのが現状における最善手なのは間違いない。
「……ぜってぇ無茶すんじゃねぇぞ。いいか、絶対だ! やべぇと思ったらすぐに戻ってこい! 分かったな!」
ガーネットは念入りに忠告を重ねながら俺の胸元を何度も小突き、後ろ髪を引かれる思いを振り切るように踵を返した。
「安心しろよ、こういう状況は長いこと冒険者やってたら何度も出くわすものなんだ。引き際は弁えてるさ」
原因不明の【修復】スキルの進化とこの『右眼』を除けば、俺が誇れる能力は冒険者としての十五年で培ってきた経験と直観だけだ。
これらが問われる局面で判断ミスを犯したら、いくらなんでも皆に合わせる顔がなくなってしまう。
「行ってくる。ひょっとしたら敵に追いかけられて戻って来るかもしれないから、即応できるように備えておいてくれ」
ガーネットとヒルドを軌条の側に残し、単独で魔力の流れを辿って階段を上っていく。
外の町並みと同様に、壁も床も未知の素材で作られているようだ。
表面は単なる石材では考えられないほどに滑らかで、繋ぎ目らしき部分もほとんど見当たらない。
靴音の反響だけを聞きながら、慎重に階段を上り切る。
そこもまた、大きなホールのように開けた空間であった。
内装を見る限り、先程の列車に乗り込む予定の乗客達を待たせるスペースなのだろう。
手前には休憩用の椅子らしきものが並び、奥には何らかの商品を売っていると思しき小店舗が軒を連ねている。
俺は階段の入口で立ち止まったまま、眼前の光景を右から左へとゆっくり見渡した。
やはりここも無人なのか――そう思った矢先、休憩スペースの一角に数人分の人影が屯しているのが目に入った。
「…………っ!」
言葉を発することすらせずに身構える。
この空間に引きずり込まれてから、初めて遭遇した自分達以外の人々。
しかし俺はすぐに、彼らが生物ではないことに気がついた。
死体というわけではない。
まるで蝋人形のように動かず、町中の植物や建物と同様のオブジェクトとして、人型のモノが配置されているかのような。
とにかく、彼らもまたこの静止した世界の背景の一部でしかなかったわけだ。
「びっくりした……でもどうして、人間みたいなモノはここにしか見当たらなかったんだ……?」
あれらは何か特別な存在なのだろうか。
危険なものではなさそうだという安堵感と、ちゃんとした住人に遭遇しそこねた残念さを同時に感じながら、少しばかり離れた場所の彼らをまじまじと観察する。
彼らの人数は六人。見たところ人間と魔族が混在しているらしく、どちらかというと魔族が多数派のようだ。
一人はドワーフ。小柄ながら筋肉質で豊かな髭を蓄えた、典型的なドワーフの姿形をしている。
一人は樹人。俺が知るドライアドと同様、半植物の生物で緑色の髪を持ち、動物的な性別が分かりづらい外見だ。
一人はダークエルフ。いわゆるエルフという概念から受ける細身なイメージとは裏腹に、優れた戦士であることが一目で分かる。
腰に下げた剣を『右眼』で見やると、それが金剛鉄という希少金属製であると読み解けた。
そして三人の魔族と向かい合う形で、二人の少女が一人の男を挟んでいる。
一人は年若いエルフだ。見た目が少女のようというだけでなく、エルフとしても若輩であることが伺える。
一人はようやく十歳を越えたかどうかといったところの、東方人の少女だ。
鮮やかな赤にも太陽の煌めきにも見える長髪をなびかせて、反対側に立つエルフの少女に警戒心を向けていた。
そして最後の一人は――装飾的な細工の施された眼帯で右眼を覆い隠し、頭髪の右半分が灰色で残る半分が黒色という、一瞥しただけで記憶に焼き付くほどの特徴的な容姿をした人間の男であった。
「まさか……あれは……」
脳裏に浮かんだ想像に思考回路が止まりそうになる。
その瞬間、どこからともなく聞き覚えのある女の声が響き渡った。
「ああ、よかった。誘導に気付いてくれなかったらどうしようかと思っていました。賢明な判断に感謝します、白狼の森のルーク」




