第290話 幻からの脱出を目指して
「……乗り物、だよな。トロッコの化け物というか奇妙な馬車というか」
「この町の正体がオレの想像通りなら、先頭の機巧が後ろの客車を引っ張って走っても違和感ねぇぜ」
「ああ、俺も同意見だ」
どうやらガーネットも俺と同じ仮説に至っていたようだ。
しかし俺達二人が額を突き合わせたところで、残念ながら現状の打破には寄与しそうにない。
とにかく全てはヒルドと合流してから――改めてそう考えた矢先、車両の内部から微かな物音が聞こえた。
「……っ!」
「待ちな、オレが見てくる」
ガーネットは横開きの扉の中央に手をかけ、力尽くでこじ開けて素早く中へ飛び込んだ。
反響する短い悲鳴。
ガーネットのものではない女性の声だ。
俺はその声を聞いてすぐに状況を把握し、ガーネットに続いて広い客車に足を踏み入れた。
「やっぱりか。無事で良かった、ヒルド」
「ル、ルーク団長……!」
呆れた様子のガーネットの眼前で、ヒルドが尻餅を突いたままの格好で俺を見上げた。
「このよく目立つ建物なら、ヒルドとも合流しやすいだろうなって話してたんだ」
「はは……お見通しでしたか。資料で見ただけの鉄道車両を前にして、ついつい注意が散漫になってしまいました。ああ、いえ、これも現物というわけではないのですけれど……」
ヒルドがガーネットに助け起こされるのを待ってから、俺はすぐさま本題に入ることにした。
「俺達は今、古代魔法文明の都市を再現した幻に取り込まれている……そういうことだな?」
現状を客観的に分析すれば自然とこの結論に至るだろう。
異常発生のきっかけが、古代魔法文明を生きたアルファズルと同じ『右眼』だったこと。
高度な技術によって、王都すら及びもつかないほどに発達した巨大都市。
観測できたあらゆる状況がこの仮説を支持している。
もちろん全ては俺個人が見ている夢という可能性も否定できないが、それは考えるだけ無駄というものだ。
「ええ、恐らくその理解で問題ないと思われます。厳密には精神世界や記憶世界に近い性質のようですが」
「……ったく。精神世界だの記憶世界だの、魔法使いって奴は口を開けば珍妙な言葉ばっかりだな。冒険者連中の方がまだ理解しやすいぜ」
ガーネットは考察の主導権をあっさりとヒルドに投げ渡し、自分は広くしっかりした造りの客車の座席に腰を下ろした。
座席に臀部が沈み込む様子を一瞥しただけで、些細なインテリアひとつを取っても現実離れした品質であることが窺える。
実際、ガーネットは座席の座り心地の良さに思わず目を丸くしていた。
「団長殿が『右眼』を得た経緯は、王宮作成の報告書で存じ上げております。想像に過ぎませんが、現在の空間と団長殿が知恵者と遭遇した空間は同一ではないかと……」
「何となく、俺もそんな気がしてるな。だとしたら随分と変わり果てたもんだ。あのときは上も下も分からないくらいに真っ白だったんだが」
「これもただの想像ですけど、団長殿が『右眼』の行使に習熟してきたことと無関係ではないかと」
つまりあの白い空間は『右眼』を得る前だからこそで、その後で知らぬ間にここまで変貌したということなのか。
「もしくは、あのときは俺が見えていなかっただけなのかもな」
「と、言いますと?」
「妙な霧みたいなのが町を覆ってるだろ。こいつはあのときの真っ白さの名残りなのかもって思ったんだ」
「なるほど……最初から町並みは存在したが、団長殿には見えていなかったのでは、と……そちらの可能性もあると思います」
色々と意見を交わしてはみたが、この空間の正体についてはまるで結論が出そうにない。
仮定に仮定を重ねるばかりで、考えても分からないという結論が強化されるばかりだった。
「白狼の。そういや、あんときはどうやって戻ってきたんだ?」
「こう、額の辺りを掴んでから全力で【修復】したんだ。そうやったら戻れるって不思議と確信できたんだが、今思えばそれも『右眼』の力だったのかもな」
「ふぅむ……剥離した精神を【修復】で在るべき場所に戻したのでしょうか。しかし精神のみではスキルを使えないとの報告も……やはり精神と肉体の接続を成立させてから……」
ヒルドは口元に手をやってぶつぶつと考察にのめり込み始めた。
門外漢には理解できそうにない内容だ。
下手に口を挟まず、考えが纏まるのを待った方がいいだろう。
あのときと同じやり方で三人全員元通りにできれば、それに越したことはないのだが。
「そうだ! おい、白狼の! お前いつまで『右眼』使ってんだ。濫用していいもんじゃねぇんだから、一旦引っ込めとけよ」
「おっと、忘れてた」
ガーネットに注意され、うっかり発動させ続けていた『叡智の右眼』を停止させるため、顔の右半分に手をかざして【修復】を発動させようとする。
ところがスキル発動の手応えすらなく、右目は依然として『右眼』のままであった。
「駄目だな……」
「お、おい、どうしたんだよ白狼の! まさか戻らなくなっちまったのか!?」
「心配するなって。あのときと同じだ。肉体とのリンクが不十分とかいう理由で、あのときも最初は【修復】を使えなかったんだよ」
焦るガーネットを宥めながら、魔法使いの知識で何とかできないか尋ねようとヒルドに向き直る。
まさにそのときだった。
客車全体に微かな振動が生じたかと思うと、窓の外の風景が横にスライドし、あまつさえどんどん加速し始めた。
ヒルドが言うところの鉄道車両が、俺達を乗せたまま滑るように走り出したのだ。
「しまった――!」
何もかもが静止したかのように動かない空間だったものだから、列車が動く可能性を無意識に除外してしまっていた。
無人で動き出すなど想定不可能だったとはとても言い切れない。
そもそも古代魔法文明はゴーレム技術に優れていたと聞いているし、関係が疑われる高度なゴーレムと何度も遭遇している。
人形のモノを自由自在に自律動作させることができるくせに、車輪を回すだけの乗り物を無人で動かせないなんてことがあるものか。
「おらぁっ!」
ガーネットが客車の壁を蹴り破ろうとするも、普段と比べて圧倒的に貧弱な音しか聞こえない。
「クソッ、スキルが使えねぇのは俺も同じか……! おい虹霓鱗! お前の魔法はどうだ!」
「意識を取り戻してからずっと、肉体からの魔力供給経路の接続を試みています! ですが一向に繋がる様子がなくて……!」
「つまりテメェもオレと同じで役立たずってわけだ! クソッ!」
扉をこじ開けようとするガーネットだったが、入ってきたときとは打って変わって堅牢にロックされているらしく、指先ほどの隙間も開かなかった。
俺も窓を開けて脱出の可能性を探ってみたものの、転落防止のためか辛うじて頭と肩口がねじ込める程度が限度だった。
これではガーネットの体格でも脱出することはできそうにない。
首を外に出したまま、車両の進行方向を『右眼』で見やる。
理解できた情報はただ一つ。
この車両がどこへ向かおうとしているのかということだけだった。
「大樹だ……植物と機巧……いや、建物が混ざりあった山みたいに大きな樹木……どうやら俺達は、あそこまでノンストップで運ばれるみたいだな」




