第286話 ハイエルフと歴史の真実
「団長殿が対面したというエイル・セスルームニル……彼女を含むハイエルフが秘匿している歴史を解き明かすこと。それが私の目的であり、この任務に志願した理由なのです」
エイル・セスルームニル、ハイエルフ、秘匿された歴史。
大量の情報が詰め込まれていて一度に噛み砕くことができそうにない。
「……ちょっと待ってくれ。一気に飛ばしすぎだ。順を追って説明してくれないか」
「も、申し訳ありません」
一聴では理解しきれなかったことを伝えると、ヒルドは落ち着いて呼吸を整え直してから、改めてひとつひとつ順番に説明し始めた。
「人間社会においては一般的な分類ではありませんが、我々エルフは自分達を『ハイエルフ』とそうではないエルフの二種類に分類しています。もちろんダークエルフはまた別ですが……」
「そんな風に呼ばれるエルフがいるってことは聞いたことがあるけど、理由までは聞いたことがないな」
そもそもエルフという魔族自体、どこのダンジョンでも秘密主義者である傾向が強く、地上からの来訪者を快く迎えつつも内情は明かさないというケースも珍しくない。
だからこそ、エイル議員が何かと『それは機密事項だ』と言及を拒むことも不思議ではなかったのだ。
「ハイエルフと呼ばれる条件はただ一つ。ある特定の時代から現在まで生き永らえていることです。なので新たにハイエルフが生まれることはなく、その人数は常に一定、むしろゆっくりと減少の一途を辿っているのです」
「特定の時代? まさか、それって」
「そのまさかです。人間からは古代魔法文明と呼称される時代、地上が最も栄えていた黄金期を生き続けたエルフ。故に別名を古のエルフとも言います」
やはり全てはそこに収束するのか。
驚きはなく、予想通りだという実感だけがあった。
エイル議員がその時代から生きていることも、以前のやり取りを思えば当然でしかない。
アルファズルが本当に古代魔法文明末期の人間で、エイル議員が奴の瞳を目の当たりにしたことがあるのなら、彼女が当時から生き続けてきたことは当然の帰結だ。
「ハイエルフと普通のエルフの間には決定的な区別が設けられていました。元老院の構成員が全てハイエルフというのもありますが……それすら些事に思えるほどの区別です」
「平民と貴族のような?」
「いえ、そういった経済的特権ではなく、知識的特権とでも言うべきものです」
ヒルドは眉をひそめ、苦々しく続きを口にした。
「何故、古代魔法文明が滅びたのか。何故、かの文明の滅亡と時を同じくして、我々エルフは地上を棄ててダンジョンに潜らなければならなかったのか。それらの歴史の真実を知ることが許されているのは、当時を生きたハイエルフだけなのです」
以前のエイル議員との会合を思い出す。
確かに彼女は、当時を生きたアルファズルの人物像については説明していたが、文明滅亡の前後については全く触れようとしなかった。
「私は真実を知りたかった。秘匿された歴史を解き明かしたかった。ただそれだけだったんです」
自分自身の掌を見下ろしながら、ヒルドは声の震えを必死に抑えながら、胸に淀んだ怒りと悲しみを語り続けた。
「けれど許されなかった。これ以上の調査を禁ずると断ぜられ、集めた資料も処分され、厳しい監視下に置かれることになりました」
掌を強く握り込み、ただでさえ白い肌から更に血の気が引くまで力を込めていく。
「状況が変わったのは、ウェストランド王国が北方にまで勢力を伸ばし、我々『白亜の妖精郷』も地上に力を貸すと決まったときでした」
「北方樹海連合結成のきっかけになった出来事だな」
「はい。私は地上派遣部隊に志願して戦線に立ち、緒戦の混乱に乗じて自分の死を偽装し、ウェストランド王国に降りました。あれ以降は大きな戦いがありませんでしたから、まさに千載一遇の好機を掴めたわけです」
その辺りの経緯は、当事者であるセオドアからも聞いている。
北方に逃れた複数の勢力が『白亜の妖精郷』に救援を求めるも、戦線を任されていたビューフォート家は早い段階で和睦に乗り出し、本格的な戦いが起こることなく収束したのだと。
「やっぱり君が亡命した理由は、隠された歴史の研究を続けたかったからなのか」
「もちろんその通りです。大陸をほぼ統一した王国なら、大陸中に散らばっていた手がかりを集めることも不可能ではないと思ったのです」
何ともスケールの大きな話である。
物理的な意味の広さもそうだが、時間的な意味での広がりも尋常ではない。
「国王陛下は私を快く受け入れてくださいました。私はエルフ側の間者ではないかと疑われて当然の立場、向こう十年は軟禁され聴取と監視を受けてもやむなしと考えていましたが……」
ここにきてようやくヒルドの表情が緩む。
恐らくは、そんな自分を受け入れてくれた人のことを、アルフレッド陛下とアンジェリカ団長のことを思い起こしたからだろう。
「公的な扱いとしては虹霓鱗騎士団が身柄を預かり監視するという形になりましたが、アンジェリカ団長は私に十分な自由と裁量を与えてくださり、成果を団と共有するという条件で歴史の研究も許してくださいました」
疑念を抱く人々への説得材料も兼ねて念の為の監視は置きつつも、軟禁し自由を奪うということはせず、本来の目的である歴史の真実の追及をも許可したわけだ。
もちろん、国王陛下や騎士団長ともあろう方々が、単純な哀れみや同情だけでそんな判断を下したりしないはずだ。
何かしらの確信があったのか、あるいは十二分に行動を監視できる確証があったのか。
もしくは――エルフである彼女が持つ知識を平和裏に取り込みたいがために、多少のリスクには目を瞑ったのか。
そんなことを考えていると、横合いからガーネットが補足説明を加えてきた。
「虹霓鱗は神殿統括だが、同時に神様や信仰とスキルの関わりなんかの研究もやってるんだ。こいつが本当に古代文明のことを調べようとしてるなら、虹霓鱗としては手に入れておきたい人材だったかもな」
「ええ。誤解を恐れずに言えば、私もそうした判断があったのだろうと考えています。それを踏まえてもなお……いえ、だからこそ、陛下と団長の御高配が心に沁み入ったのです」
一連の説明を聞けば、ヒルドが新設騎士団への出向任務に志願した理由もすぐに理解できた。
俺に与えられた本質的な役割は、魔王城地下を探索する冒険者達を統括して、魔王とも浅からぬ関わりがあると思われる古代魔法文明について調べることだ。
これはまさしくヒルドが望んでいることそのものである。
「団長殿。出会ったばかりの私を信頼することは難しいかもしれません。ですが一つだけ……身勝手なお願いを聞き届けてはいただけませんか」
ヒルドは真剣な態度で俺に向き直り、力強く言葉を発した。
「『叡智の右眼』を私の魔法で調べさせてください。本格的な調査や解析には程遠い最低限のことしかできませんが……大きな手がかりを前にして、どうしても我慢ができなくなってしまったんです」
俺は一旦ガーネットに目を向け、アイコンタクトで『お前が好きに判断しろ』との返答を受けてから、すぐさまヒルドの懇願に回答した。
「確かに君のことを信用するには付き合いが浅すぎると思う。だけど陛下のことは心から信頼しているつもりだ。陛下が全てを知った上で君の派遣を了承したのは、つまりそういうことなんだろうな――お手柔らかに頼むよ」
「は、はい! ありがとうございます!」
ヒルドはここに来て初めての笑顔を浮かべ、深々と頭を下げたのだった。




