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第285話 虹霓鱗騎士団のヒルド

「お前さ、ここんとこずっと働き詰めだよな」


 とある日の営業時間の終了後、事務用の机で騎士団本部設立の関連書類の作成をしていると、ガーネットから呆れと心配が混ざった声で話しかけられた。


「あんまり根を詰め過ぎるんじゃねぇぞ。書類仕事ならオレやノワールに振ってもいいんだぜ」


 ガーネットは淹れたてのハーブティーを事務机に置いてから、椅子を持ってきて俺の隣に腰を下ろした。


「ありがとな。けどやっぱり、やれることは自分でやっておかないと」

「何言ってんだ、バーカ」


 振り返った俺の額を、ガーネットの指がぱちんと弾く。


「部下に仕事を割り振るのも騎士団長の役目だぜ。隅から隅まで全部やる団長なんざいねぇっつーか、律儀にやってたら死んじまうぞ」

「……ガーネット」

「つーか、これ前にも言わなかったか? いやお前が言ったんだっけか……ま、どっちにせよ同じことだな。店の経営に関わる書類だってノワールに任せたんだ。騎士団のことだっていい感じに任せちまえよ」


 作業の手を止めてふぅを短く息を吐く。


 確かにガーネットの言う通りだ。

 いくら責任重大だからといって気負い過ぎたら大変なことになる。


 目の前に積み上がった重責に判断を鈍らせて、仲間に頼ることを忘れてしまったらおしまいだ。


「……悪い。それじゃあ、こっちの書類のチェックを頼めるか。項目に記入漏れがないか確かめてくれ」

「おう、任せとけ。オレだって一応は騎士の端くれだからな。書類仕事もよくやってるぜ」

「そういうのも得意なのか」

「いや? 正直げんなりするな。もちろんお前の頼みなら別だぜ」


 ガーネットは調子よく笑いながら、俺の隣で書類の束に目を通し始めた。


 不思議なもので、一人で黙々と作業をしていたときよりも格段に気が楽になっていた。


 それは作業量が減少したという即物的な理由だけではなく――もちろんその理由もあるのだが――こいつが隣にいてくれるという状況が、何よりも大きいように感じられた。


 例えるなら、一歩先も見えない暗闇を歩いていたところに、眩い提燈(ランタン)を差し出されたような。


 暗い道が照らされること以上に、その明るさと温かみが手元にあることが嬉しく感じられるのだ。


「……ん、誰か来たみてぇだな」


 しばらく二人で書類仕事を片付け、もうすぐ今日の分が仕上がるだろうかと思った矢先、不意に勝手口の扉が軽く叩かれる音がした。


 当たり前のように席を立って様子を見に行くガーネット。


 ややあって、ガーネットの怪訝そうな声と、内容は聞き取れないものの知らない女性の声が耳に届く。


「あん? 誰だテメェ」

「――――」

「本当か? なら紹介状の一つくらい……」

「――――」

「……本物みてぇだな。ちょっと待ってろ」


 一体何があったのか気になり始めたところで、ガーネットが一人でリビングまで戻ってきて、立てた親指を肩越しに勝手口の方へと向けた。


虹霓鱗(こうげいりん)から派遣された騎士が挨拶に来たらしいぜ。王宮と騎士団の紹介状は持ってるみてぇだ」

「何だって?」


 予想外のことに驚きつつも、とりあえず話を聞くため家に入ってもらうことにする。


 やって来たのは、旅装束のマントと白い頭巾(フード)を別個に身に着けた、やや細身の女性であった。


「お初にお目にかかります。私は虹霓鱗(こうげいりん)騎士団から派遣されましたヒルド・アーミーフィールドと申します」

「ヒルド卿ですね。自分は白狼の森の……もとい、ルーク・ホワイトウルフです。こちらは銀翼騎士団のガーネット・アージェンティア」


 お互いに自己紹介をし合っていると、ガーネットが横合いから肘で小突いてきた。


「騎士団長が畏まってどうすんだよ。お前は堂々としてろっての」

「んなこと言われてもな……」


 俺とガーネットの普段と大差ないやり取りを前にして、白い頭巾(フード)の下でヒルドがくすりと笑みを浮かべ、すぐに真顔を取り繕ったのが垣間見えた。


「失礼。唐突で申し訳ありませんが、実は一つ謝罪しなければならないことがあります。本来の訪問は明日以降になる予定で、今夜こうしてお邪魔したのは私の独断なのです」

「……? そいつはまた……一体どうして」

「本来の訪問予定日には、私の同行者……各騎士団からの派遣要員の信仰に合わせた祭祀を執り行う、虹霓鱗(こうげいりん)所属の神官達も同席する予定だったからです」


 ヒルドはそう語りながら白い頭巾(フード)を外し、その下の素顔を――否、隠されていた()()()を露わにした。


 そこにあったのは長く尖った細い耳。

 紛れもなくエルフの身体的特徴であった。


「……っ!」

「お待ち下さい!」


 ガーネットが素早く俺の前に割って入るも、ヒルドはこの反応を予想していたかのように、腕を広げて危害を加える意志がないことを表明した。


「私は北方樹海連合を……『白亜の妖精郷』を追われた身。この国へと逃れ、正式に陛下の臣民として認められた身です。国王陛下とアンジェリカ団長は全てを知っておられます」

「亡命者か。騎士に混ざってるのも珍しい話じゃねぇが、エルフの亡命者ってのは初耳だな」

「他に例がないことは自覚しています。耳を隠していたのも、こうして同行者に黙ってお邪魔したのも、私の正体を知れば快く思わない方が多いからです」


 ヒルドの言葉と態度を念入りに観察してから、ガーネットはふんと鼻を鳴らして一歩退いた。


 一触即発の空気も収まり、ヒルドも安堵した様子で胸を撫で下ろした。


「わざわざ俺達に本当のことを教えたのは、正体を隠しているのは不誠実だから……とかいう理由だけじゃなさそうだな。他にも何か意味があるんじゃないのか?」

「御賢察の通りです。私が今回の任務に志願した理由もそこにあります」


 真剣なヒルドの眼差しが俺の顔を僅かに見上げる。


 同じエルフでありながら、北方樹海連合のエイル議員とは明らかに雰囲気が違う。


 あちらは人間に似た形をしているだけで、拭い切れない異物感のようなものを醸し出していたが、こちらは血の通った人間に近いものを感じる。


「団長殿が対面したというエイル・セスルームニル……彼女を含むハイエルフが秘匿している歴史を解き明かすこと。それが私の目的であり、この任務に志願した理由なのです」

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