第277話 来たるべき時が来た
北方樹海連合のエイルとの会談からしばらくの時が過ぎた頃。
今日も普段と変わりない営業時間を過ごし、午後の食事休憩を何のトラブルもなく順番に回していく。
その途中、ちょうど俺とレイラが二人でカウンターに詰めていたタイミングで、明らかに冒険者とは異なる雰囲気の客がやってきた。
立ち振舞いは明らかに騎士のそれだが、銀翼でも黄金牙でも見たことがない顔だ。
年齢は俺よりも少し上くらいだろうか。
おおよそレイラの親世代の印象だ。
もっとも全員と面識があるわけではないので、他の土地から新しくやってきた追加の人員なのかもしれない。
そんなことを思っていると、騎士らしき来客はまっすぐにレイラの前まで移動してきた。
「いらっしゃいま――」
「久し振りだな、レイラ」
「――バーソロミュー叔父様……!」
レイラの表情が強張り、来客のことを叔父と呼ぶ。
それだけでもおおよその事情を察することができた。
つまりこの騎士は、近衛兵団たる竜王騎士団を構成する一族の一つ、レイラと同じハインドマン家の人間なのだ。
「これが帰還を拒んでまでしたかったことか。騎士でない以上は帰還命令という形にならないとはいえ、もう少し自覚を持ってもらいたいものだな」
「わ、私には! 譲れない想いがあるんです! 叔父様といえど、騎士ではない私に命令する権限などないはずです!」
何やら急激に雰囲気が不穏なものになっていく。
俺はすぐに席を立って、カウンター越しに睨み合う――攻撃的なのはレイラだけだが――二人の間に割って入った。
「うちの従業員に何か御用ですか。話を聞く限りご親戚のようですけれど、度が過ぎるようならご退店願うことになりますよ」
「……ルーク店長……」
「これは失礼した。君が白狼の森のルークか。無作法をお許し願いたい」
バーソロミューという名の騎士は、この場に店長が居合わせていたことに気付くと、拍子抜けするくらいにあっさりと態度を改めた。
レイラに対する態度は身内だからこそということか。
安堵した様子のレイラに代わって俺が応対を続けようとしたところ、バーソロミューもそのつもりだったとばかりに、俺の方に向き直って本題らしき用件を切り出した。
「不肖バーソロミュー・ロバート・ハインドマン、この書簡をお運びする役目を仰せつかった。私も中身は知らぬが、重要な案件に相違あるまい。部外者の目に入らぬように検めていただきたい」
バーソロミューは俺に書簡を手渡すと、あっさり踵を返して店を出ていってしまった。
「……申し訳ありません、店長。身内がご迷惑をかけてしまって。バーソロミュー叔父様は、その、少々……」
「別にいいさ。馬の合わない奴がいるなんて珍しくもない」
どうにもバーソロミューとは波長が合わない気がしたが、そんな相手は大勢との付き合いがあれば一人や二人はいて当然。
冒険者を本業にしていた頃だって、付き合いやすい同業者とだけ行動を共にするわけにもいかず、お互いに適度な距離感を保って事務的に協力し合うこともよくあった。
嫌な達観と言ってしまえばそれまでだが、そういう割り切りも時と場合によっては重要だ。
「さてと、重要な書簡って言ってたけど――」
バーソロミューから受け取った書簡に視線を落とす。
次の瞬間、俺は思わず息を呑んで言葉を失った。
双頭の竜をモチーフとしたエンブレム。
これを用いることが許されている存在は地上にただ一つ。
「――王宮からだって!?」
結論から言うと、書簡の内容は国王アルフレッド陛下からの召喚状であった。
情報漏洩を危惧してか具体的な理由は記されておらず、場所と日時と同行者の制限だけが記載されている。
「トライブルック・シティ御用邸……グリーンホロウから一番近い都市だな。陛下もあそこに来られるのか」
「巡幸の一環だろうな。国が今の大きさになって間もねぇから、ちょくちょく各地を巡って安定の強化を図ってんだ」
書簡を開封したのは営業終了後であり、同席したのはガーネットただ一人。
今は二人で俺の寝室に籠もり、書簡の内容についてあれこれと意見を交わしているところだった。
「最初に俺が謁見したときは、山を降りてすぐの野営地だったよな。トライブルックからも近かったはずなのに、あのときは御用邸には泊まらなかったのか」
「規模のせいだろ。あんときは黄金牙も引き連れての大所帯だったから、トライブルックの許容量を越えてたんだろうな」
「つまり今回はあれよりも小規模なわけか……どっちにせよ緊張するのは変わらないけどさ」
俺はこれまでに二度の謁見を経験してきたが、慣れる気配は未だに全くない。
大陸をほぼ統一した王にして二十年前の最高クラスの冒険者――そして俺が冒険者を志す理由となった憧れの源。
これだけ揃って緊張しない奴などこの世に存在するだろうか。
「……それはそうと、やっぱり呼び出しの理由は騎士叙勲と新騎士団の件なんだろうな」
まだもうしばらく先の話だというのに、心臓が痛むように竦むのが分かった。
互いに対抗心を抱き合う銀翼騎士団と黄金牙騎士団が、勢力争いの一環として俺を取り込もうとしたことに端を発する、一連の大騒動。
双方からほとんど同時に、俺を騎士に推薦するという伝達を受けた陛下は、騎士団同士の対立激化を回避するため、騎士叙勲の可否の判定を魔王戦争の終結まで先送りすると回答した。
ところが、それから間もなく魔王戦争は終結。
俺も必死であがき続けた結果、王宮からも騎士叙勲が相応しいと思われてしまう成果を挙げてしまった。
評価されることは嬉しいに決まっている。
騎士叙勲だって、それ自体嫌なわけではなく、自分ごときの身に余るから遠慮したいというのが一番の本音だった。
しかし、騎士団の勢力争いという根深い問題に後押しされ、話はどんどん大きくなっていってしまった。
まず最初に持ち上がったのは、全ての騎士団の頂点に立つ竜王騎士団に俺を拾わせ、銀翼と黄金牙を納得ずくで諦めさせるという計画だった。
だが竜王騎士団は、血縁関係や婚姻関係にある者しか入団させない方針であった。
年頃の未婚者であるレイラが『お互いに同意が成立したのなら』という条件で婚約者候補として派遣されたが、俺もレイラもそういう気は全く起こらず、レイラが俺の友人のトラヴィスに惚れたことで、こちらの計画は破綻した。
そしてもう一つの計画は、十三番目の新騎士団を設立し、俺をその騎士団長に据えるというとんでもないものだった。
騎士叙勲だけでも身に余るのに、騎士団長だなんてとんでもない話だ。
当然ながら俺は拒否の意志を伝えるつもりでいたのだが――
「……なんだよ。オレの顔になんかついてるか?」
「いや、別に。何となく見てただけ」
無意識にガーネットへ視線を向けていたらしく、怪訝そうな顔をされてしまった。
――母親の仇を追うべく、性別を隠して銀翼騎士団に加入するために、ガーネットは父親が満足できる地位の男と婚約する条件を背負っていた。
今思えば、その頃には俺もガーネットもお互いに惹かれ合っていたのだろう。
ガーネットが婚約者選びのため貴族の夜会に参加すると知った俺は、居ても立っても居られずに王都へ駆けつけ、新騎士団の団長になることを受け入れると宣言して父親を説き伏せた。
これを受けて、王宮も新騎士団設立に向けた様々な準備を秘密裏に進め――恐らくはようやく完了の目処が立ったのだ。
後悔などあるわけがない。
むしろ、自分がガーネットに相応しい男だと証明するのはこれからが本番だ。
けれどそれでも、不安が湧いてくるのは止められなかった。
「……この書簡によると、どこかの騎士団から騎士一名を借りて同行させていいそうだ。ガーネット、一緒に来てくれるか?」
「あん? 行くに決まってんだろ。つーか、オレ以外を誘おうとかちょっとでも考えたんじゃねぇだろうな」
ガーネットは俺の背後から首に腕を回して体重を載せてきた。
触れ合った素肌を通じて柔らかさと暖かさが伝わり、胸の中の不安が溶けていく感覚がした。
――ああ、きっと大丈夫だ。こいつがいるならやっていける。
俺はそんな確信を抱き、召喚状を丁寧に折り畳んで書簡に戻してから、肩越しにガーネットへ手を伸ばした。




