第276話 名もなき者(ネームレス)
――古代魔法文明。かつて地上には、現代の人間からそう呼び習わされる文明が栄えていた。
ゴーレムを『発明』したのもこの文明であるとされ、ダンジョンに存在するゴーレムは魔法文明の遺物か後世の模倣品である……地上の人間の国家では昔からこう考えられてきた。
顔面の魔法文字という分かりやす過ぎる弱点の存在も、魔法文明における作業用ゴーレムが後世に伝わったためであるとされている。
戦闘を想定せず、万が一の場合に緊急停止させやすいことが求められた名残りという仮説だ。
エイルはこれらの説に対して否定も肯定もせず、あくまで俺の認識を確かめるだけに留めたうえで、すぐに本題へと話を移した。
「アルファズルは、あなた方が古代魔法文明と呼ぶ時代の最末期に現れた、名もなき人間の男でした」
――名もなきというのは、文字通り名前がないという意味だった。
どこから来たのか、これまで何をしていたのか。
全てが謎に包まれたその男は、当時の人間達から名無しと渾名され、優れた魔法技術と他者を惹き付ける人柄で瞬く間に頭角を表していった。
その頃には名もなき者に代わり、敬意を込めて知恵者と呼ばれるようになっていたそうだ。
「元は人間だったのですか? 過去の偉人が信仰されるのは納得できますけど、それでスキルを得られるのはどういう理屈なのやら……」
「さぁ……我々エルフはスキルと異なる原理で魔力を行使しておりますから、人間のスキルについては理解が深くないのです。それで、話を進めてもよろしいですか?」
「すみません、続きをお願いします」
――やがて人類を代表する魔法使いとなった知恵者は、当時まだ人類と共存していたエルフからも高く評価され、エルフの言語で様々な別名を与えられていった。
勝利を決める者――彼が発明した技術が戦争の決め手となった故に。
隻眼者――『叡智の右眼』を身につける代償に右眼球を喪失した故に。
灰色の髭――頭髪も、老年に差し掛かってから伸ばした髭も特徴的な灰色をしていた故に。
「元々、名前を持たなかったからでしょうか。彼はいつも、新たな呼び名を与えられることを喜んでいました」
――そして、万物の父。
これは彼が成し遂げた最大の功績と由来とした敬称だという。
「どのような功績だったのかはお聞かせできません。ご容赦くださいませ」
エイルは気になるところを笑顔で誤魔化して、それ以上に聞き流せないことを口にした。
「最終的に、アルファズルは文明の崩壊が不可避であることを証明し、その後にも人類が存続するための施策に取り掛かりました」
「魔法文明の崩壊……俺達が知る歴史のとおりにですか」
「ええ。かつて栄華を極めた魔法文明が崩壊したことは、貴方も一般的な知識としてご存知のようですので、それについては説明を省きますね」
――魔法文明が滅んだ原因や、アルファズルが取った具体的な手段は教えることができないとのことだったが、ともかく彼の試みはある程度の成功を収めた。
今日のように、いくつかの面で文明が退行しながらも、人類が存続していること自体がその証明だ。
「しかし、私共が最後にアルファズルと会ったとき、彼は不可思議なことを言い残しました。曰く――」
一拍を置き、真摯な眼差しでまっすぐに俺を見つめながら、エイルは遥かな昔のアルファズルの言葉を紡ぎ出した。
「『世界の修復は不完全に終わるだろう。いずれ手入れをしに戻るつもりだ』――とのことでした」
右目が疼く感覚がした。
アルファズルが俺に『叡智の右眼』を与える前、奴は俺に対して肉体を明け渡せと要求してきていた。
そうすれば魔王から仲間を助けることができるから、と。
俺とのやり取りを経て心変わりでもしたのか、最終的には『右眼』だけを残して心象風景から姿を消したが、それすらも一時的に手を引いたに過ぎないと思わせるものだった。
「もちろん私共とて真に受けてはいませんでした。さすがのアルファズルといえど、これほど長き時を経て蘇るなど不可能だと思われましたから」
「ところが、アルファズルの右眼と同じものが俺の体に現れた……」
「はい。『白亜の妖精郷』の元老院はこれをアルファズル復活の予兆と考え、鑑定のために私を派遣いたしました。本件の経緯についてはご理解いただけましたでしょうか?」
滅亡した古代魔法文明。肉体を明け渡せと迫ったアルファズル。
俺が知る情報とエイルの説明は絶妙に噛み合っている。
「それで……『叡智の右眼』というのは一体どういう代物なんですか」
「実のところ、私共も全貌は把握できておりません。彼は望む答えを導き出す媒体だと説明していました」
エイルはぽんと軽く手を叩き合わせ、にっこりと笑ってみせた。
「しかしながら、私が伝え聞く限りですが、貴方の行使する力は未だアルファズルに及んでいない様子。つまり今後の伸び代が大いにあると言えるでしょう。これからも鍛え続ければきっと――」
「――アルファズルは『その目に頼り過ぎるな』と言っていました。神を降ろすに等しい行為であるから……と」
その表情が笑顔のまま停止する。
やはりそうか。エイルは俺に『右眼』の濫用を推奨したがっている。
俺には決して打ち明けないであろう理由のために。
「楽観的に考えれば眼球そのものを失うリスクがあるということでしょう。アルファズルも代償として右眼球を喪失したそうですしね。ですが悲観的に考えれば――」
「――まさか。まさかですわ。そのような魔法は非現実的です。考え過ぎでしょう」
考えすぎなものか。
現に神降ろしを体得したサクラからは、過剰な神降ろしの行使に関して『まるで肉体を何者かに奪われるような感覚がして、酷い恐怖感を覚えた』と聞いている。
これに等しい行為であるのなら、同様のリスクが潜在していると考えるのは自然な発想だ。
「一つだけ、俺からも質問をさせてください。エイル議員。仮にアルファズルが何らかの手段で蘇った場合、貴女はそれを嬉しく思いますか?」
右目にかざした手で【分解】を発動させ、指の間から青い炎のような魔力をくゆらせる。
エイルはなおも微笑みを崩さない。
本音を誤魔化すためなのか、それとも俺がこの考えに至ったことを嬉しく思っているとでもいうのか。
この『右眼』を通して見てもエイルの本心を推し量ることはできず、返答も深く追及することが難しいものだった。
「申し訳ありません。ご容赦くださいませ」
「……ったく。あの女エルフ、のらりくらりと誤魔化しやがって」
セオドアの別荘を辞して家に戻るや否や、ガーネットは不満に満ち満ちた様子で乱暴に吐き捨てた。
「まぁ、仕方ないさ。相手が知らないことを知っているってのは強みになるんだ。情報の出し方を絞るのは当然だな」
「にしたってよ!」
ガーネットはずかずかと俺の方へ歩み寄ってくると、両手で俺の顔を掴んで強引に目線を下げさせてきた。
真剣で、そして不安そうな眼差しが俺の右目を覗き込む。
「あんにゃろう。さてはお前を騙くらかして、アルファズルだか何だかに乗っ取らせようとしてたんじゃねぇだろうな」
「……かもしれないな。絶対にそうだとは言い切れないけどさ」
「他に何があんだよ。どう考えてもそういう流れだっただろ」
「色々あるだろ? 例えば、本家本元の『右眼』には俺がまだ使えない機能があって、エルフ達はその力を必要としている……とか。リスクを隠して鍛えさせようとしたっていうパターンだな」
失明や乗っ取りのリスクがあることはあちらも承知していて、そのうえで俺を誘導して能力を開花させようとした――そう考えてもエイルの言動に説明がつく。
確かにガーネットの懸念も尤もだし、俺だって同じことを考えてはいる。
実際――あれが臨死体験の幻覚でなければ――危うく肉体を奪われかねないところだったのだから。
それでも、他の可能性を頭から排除してしまうのは危険だろう。
「エイル議員がくれる情報のことは『信用』するとしても、完全に心を許して『信頼』するにはまだ早いってところだろうな。適切な距離感で付き合っていくのがよさそうだ」
「お前がそう言うならオレも納得するけどさ……もっとよく分かるまでは、あんまり『眼』を使うんじゃねぇぞ。何かあってからじゃ遅ぇんだからな」
「分かってるって。だからほら、そろそろ手を離してだな……」
「やなこった」
ガーネットは俺の頬を両手でしっかり挟み込んだまま、なかなか解放しようとしてくれなかったのだった。




