第275話 長命種の見識
「ご説明ありがとうございます。それで……本日は一体どのようなご用件なのでしょうか。北方樹海連合の議員としてですか? それとも……魔族としての?」
俺の問いかけに対し、エイルは一呼吸置いてから明白な回答をよこした。
「もちろん魔族としての用件です。今回の訪問の発案は連合議会ではなく、私共の故郷たるダンジョン『白亜の妖精郷』の元老院ですから」
隣に座るガーネットが無言で身構える気配がした。
剣は別荘へ入るときに預けてしまったが、たとえ素手でも戦ってみせるという雰囲気を漂わせている。
相手が相手だけにそんなことをさせるわけにはいかないのだが。
「それはもしや、魔王ガンダルフに関係したことなのでしょうか」
俺はガーネットの肩に手を置いて落ち着くように促してから、より詳しい説明をエイルに求めた。
「確かにそれもあります。彼ほどの使い手を退けた人物をこの目で見たかったのは事実ですが、元老院の要求はまた別件です」
「……魔王のことを見知っているような言い回しに聞こえましたが」
「ええ、まぁ。詳しいことはお話できませんし、本題とは関係のないことですのでお気になさらず」
そう言われても気にせずにはいられないのだが、今ここで追及しても答えてはもらえそうにない。
エルフもダークエルフも人間とは比べ物にならないくらいの長命だ。
お互いの長い半生で、何らかの関わりがあったとしても不自然ではないだろう。
「私共が貴方をお尋ねした理由は、その『右眼』を検めさせていただきたかったからなのです」
「『右眼』のことも……ご存知でしたか」
「はい。貴方の瞳に宿ったという力が、本当にアルファズルの……地上でいうところの知恵者に由来するものなのか。私はそれを確かめるために派遣されました」
エイルが発する一言一言は、ことごとく俺を驚かせるものだった。
アルファズル、ハールバルズ、ガグンラーズ、あるいは知恵者――
様々な名称で呼び表されるその存在は、『魔王城領域』に棲まうドワーフからはダンジョンの創造主アルファズルとして崇められ、地上のキングスウェル公爵領においては知識労働者を守護する神、知恵者として信仰されている。
そして俺にとっては、魔王ガンダルフとの戦いで死の淵に立たされた俺の心の中に現れ、右眼球を『叡智の右眼』に変化させる術を授けた存在だった。
「是非、貴方の『右眼』を見せてはいただけませんか?」
エイルは俺をまっすぐに見据えたまま、わずかに身を乗り出してきた。
魔族らしさに溢れた美しい顔。美しい瞳。美しい声。
それらはあまりにも非人間的で、冒険者としての警戒心が久方ぶりに怖気を訴えた。
人間と魔族は別の生き物だ――外見がどんなに類似していたとしても。
彼女が生きてきた数百年分、あるいは千年以上の年月を経た精神と価値観を共有することができるのか否か、というところから心配しなければならない。
「……これは王宮を通した正式な要請ではないのですね。でしたら、お見せする理由がないように感じるのですが」
ガーネットも横から俺に目配せをして同意を示している。
王宮からの要請なら、断るという選択肢自体が思い浮かぶかどうか怪しいくらいだ。
国内の貴族や騎士団からの要請でも、よほど理不尽な理由でない限り断ることはないだろう。
しかし、彼女はそのどちらでもない。
エルフであるという点を差し引いても停戦中の他国の議員に過ぎず、なおかつ議会の公務でもない私的な訪問である以上、無条件でこの国の王侯貴族や騎士団と同じ扱いをするのは無理筋だった。
見せなければ不利益をもたらすというのなら、それこそ王宮や国王陛下に報告しなければならない案件だ。
「もちろん見返りはご用意しております。もしも『右眼』を見せていただけるのでしたら、知恵者と『右眼』についての知識をご提供いたします。もちろん、私の独断と権限で国外に提供可能な範囲の知識に限られますが」
なるほど、それなら妥当な条件であるように思える。
俺としても『右眼』について何も分からないのは大きな不安材料だ。
どれくらいの情報が得られるのかは不明だが、さすがに先払いを求めるのは難しいだろうし、見返りが大した事がなかった場合の苦情もセオドアにねじ込めばいい話だ。
「……分かりました。その条件でいきましょう」
右目に手をかざして【分解】を発動させ、眼球を青い炎のような魔力の塊へと切り替える。
戦いの場においては、どこに【修復】や【分解】を使えばいいのかを直観的に示してくれる能力だが、今は特に必要がないからか大した情報は入ってこない。
ただ『右眼』を通して見るエイルの体からは、押さえきれない膨大な魔力がにじみ出ているのが分かった。
「まぁ! まぁまぁ!」
エイルは急に席を立って近付いて来たかと思うと、俺の頬に手を添えて顔の角度を調節し、まるで十数年振りの友人との再会を喜ぶかのような顔で『右眼』を覗き込んだ。
「本当にアルファズルの瞳ですわ! まさかこんな時代になってもう一度見ることになるなんて!」
「……ガンダルフだけではなく、アルファズルもご存知なんですね」
さすがに顔が近くなり過ぎたせいか、ガーネットも焦りを露わにしていたが、突き飛ばすわけにも割って入るわけにもいかず、隣でわたわたと動揺しているだけだった。
エイルはそんなガーネットの様子を一瞥もせず、俺の『右眼』だけを間近で存分に観察してから、満足気に元の席へと戻っていった。
「ありがとうございました。それは確かにアルファズルの瞳、叡智の右眼。これで胸を張って『妖精郷』へ戻ることができます」
「では、アルファズルとこの『右眼』について、可能な範囲で教えていただけますね」
すぐに『右眼』を元に戻し、下手な誤魔化しを差し挟まれる前に改めてこちらの要求を明示する。
「もちろんです。アルファズルにして知恵者、ビレイグにして名もなき者。懐かしきあの男についてささやかながらお教えしましょう。私共が持つ知識のほんの一部ではありますが――どうかご容赦くださいませ」




