第272話 宴からの帰り道
食事を終えた帰り道、春の若葉亭に宿泊している他の連中と別れ、ガーネットと二人でホワイトウルフ商店までの夜道を歩いていく。
夜中のグリーンホロウは冒険者相手の商売で盛り上がっていて、治安維持担当の騎士達がトラブルを未然に防ぐべく目を光らせている。
流入者の増加は治安悪化の典型的な要因だが、銀翼騎士団による追加派兵や、トラヴィスを始めとする高ランク冒険者の尽力によって、グリーンホロウは以前と変わらない安全性を保っていた。
そんな中を歩きながら、俺は他の通行人には聞こえない程度の声でガーネットに話しかけた。
「というか惚れた女の自慢話って……あの流れでするとか自殺行為にも程があるっての」
「悪い悪い」
ガーネットは悪びれていない様子でひとしきり笑ってから、声のトーンを落として控えめな微笑みを浮かべた。
「あの手の自慢話をする連中とか、一体何が楽しいのやらって思ってたんだがな。自分のことになってみると『ああ、なるほどな』って思っちまったんだ……妙な話だぜ」
「気持ちは痛いほど分かるけど、まだ早過ぎるぞ。とりあえず、例の新団体のことを発表したときにお前の『妹』とのことも明かして……真相は更に先だろうな」
俺達の関係には様々な要因が絡み過ぎていて、簡単に言いふらしたり自慢したりできることではない。
銀翼騎士団とアージェンティア家。
王宮と新騎士団設立計画。
どちらも本来なら一般人には縁のない領域の問題であり、まかり間違って深く関わることになってしまったなら、誰であっても意向を無視しようとは思えない存在だ。
なので俺も、情報秘匿を遵守するのは当然と思っているが――それが個人の心情として平気なのかというのは、また別の問題である。
「やっぱり白狼のも、他の連中に言いたくて仕方ねぇんだな」
「そりゃそうだろ。許されるなら知り合いに自慢して回りたいくらいだぞ」
「だよな。あれが新しく作られるうえに、お前がそいつの――」
「いや、そっちじゃなくて」
騎士叙勲や新騎士団のことを言っているのだと誤解されていたようなので、短い言葉で否定する。
ガーネットはしばしそのままの表情で黙り込み、やがて酒精の影響で紅潮していた顔の赤味を強くした。
「……あー、そっちか。そっちね、うん」
「当たり前だろ。俺にとってはそれが一番大事なんだからな。新団体だの新しい肩書だのは、そいつを実現するための手段でしかないんだ。目的と手段を取り違えるほど耄碌しちゃいないさ」
事情を知らない人間には何が何だか分からないような、代名詞や婉曲表現に満ちた曖昧な言い方だったが、ガーネットには一切の欠落なく隅から隅まで伝わっているらしかった。
その証拠に、さっきから酔いとは別の薄紅色が頬に滲み、苦々しく口元を歪めながらやたらと視線をさまよわせている。
「お前さ、酔ったら饒舌になるタイプだっけか?」
「別に? これくらいなら素面でも言うぞ」
「……やっぱ酔ってるだろ、お前。あー、くそっ……」
ガーネットは一瞬だけ駆け足になって俺の前に回り込むと、開き直ったような態度で面と向かって立ち止まった。
「だったら『もう既に内定してる相手がいます』とでも言えばいいじゃねぇか。その程度ならシルヴィア達に教えても問題ねぇと思うぜ。具体的にどこの誰なのか言わねぇ限りはな」
「そうかもしれないけど……さすがにあの場では、ちょっと」
俺が怯んだのを見て取ったのか、ガーネットは一転攻勢だとばかりに口の端を釣り上げて畳み掛けてきた。
素面ならこんな会話は家に帰るまでしなかったのだろうが、先ほど入れたばかりの酒がお互いの判断力を少々鈍らせているらしい。
それでも真相を覆い隠す表現だけは堅持しているあたり、何があっても秘匿しなければならないという義務感は緩んでいないようだ。
「おいおい、何で嫌なんだ? 契約的にも問題ねぇし、適度に自慢できるんだぜ? それに、ちゃんとアピールしときゃ邪魔も入らねぇだろ?」
「だから、自殺行為にも程があるって言ってるだろ。若い女の子があんな話をしてる場に混ざってるってだけでも居た堪れないのに、自分から酒の肴になってどうするんだよ」
もしもあの場で『誰なのかはまだ言えないけど、ある女性と婚約を前提に付き合っている』などと発言しようものなら、ガーネットを除く全員から質問攻めに合い、全力で弄り倒されていたことだろう。
年頃の少女達が色恋沙汰を肴に楽しんでいたところに、自分自身を巨大な餌として投げ込むような破滅趣味は持ち合わせていない。
確かにガーネットが提示した言い回しは有効かもしれないが、さっきの席はいくらなんでも状況が悪すぎる。
「まぁ……そうだな。誰かからお節介な仲立ちされるようなら、お前が言ってたやり方で断るのもいいんだろうけどさ」
「おいおい。警戒すべきなのは第三者だけじゃねぇぞ」
ガーネットは興奮で余計に酔いが回ってきた様子で、俺の胸を軽く握った拳で小突いてきた。
「とっくに先着一名の枠が埋まってるって知らねぇ奴がさぁ、横から割り込もうとしてくるかもしれねぇだろ。予防くらいしとけっての」
「まさか。ありえないだろ」
「分かってねぇな、クソッ! ありえんだよ! 普通に!」
「……痛い痛い。お前ちょっと強化使ってないか」
胸を小突く拳にだんだんと力がこもっていく。
路地の片隅で自分達にしか分からないやり取りで盛り上がっていたところ――明らかに俺達へ近付いてくる人影が視界の隅に映った。
俺が不審な人物に注意を向けたことを悟り、ガーネットもにわかに警戒心を強めて振り返った。
「おや、これは失礼いたしました。どうかご警戒なさらないでくださいませ」
その男は胸元に手を当てて恭しく頭を下げた。
正体を掴みかねて臨戦態勢を取ろうとするガーネット。
しかし俺はこの人物に見覚えがあった。それもつい最近に。
「セオドア卿の別荘にいらっしゃった召使いの方ですね」
「……ビューフォートの? なるほど、そりゃあオレは覚えがねぇはずだな」
「ご記憶いただき光栄でございます」
とにかく、この上質な服に身を包んだ使用人の男に、率直な質問を投げかけることにする。
「何かご用ですか。またセオドア卿からの呼び出しとか?」
「いえ、我が主人の用件ではありません。さるやんごとなき立場の方々が、セオドア様を仲介して『白狼の森のルーク殿に面会をしたい』と希望なさっておられるのです」
ガーネットと顔を見合わせてから短く息を吐く。
どうしてと理由を問うまでもない。
今の俺が関わっている案件は、どれをとっても理由として十分過ぎるし、この調子では誰がそんなことを言い出したのか明かされることもないだろう。
「それは今すぐですか?」
「ご心配なく。私共の返答を受けてからご出発なさるので、しばらく後のことになります。詳細な面会日時はルーク殿のご都合に合わせるとのことです」
「……誰が会いたがっているのか、というのは」
「申し訳ありません。ご容赦くださいませ」
想定通りの返答であった。
一般人が相手ならこの場で断っていたところだが、何せこれは辺境伯家のセオドアを仲介するほどの案件だ。
断るという選択肢は最初からないと言ってもいいだろう。
「分かりました。また後日、都合のいい日時を連絡します」




