第266話 過去の話と未来の兆し
次の日、俺は店をノワール達に任せ、営業時間中にガーネットを連れて冒険者ギルドのホロウボトム支部へと足を運んだ。
支部の一部を借りて営業しているうちの支店にも立ち寄る予定だが、まずは支部長のフローレンスに会いに行くことにする。
「お待たせ。ごめんね、前の仕事が立て込んじゃって」
応接室でしばらく待たされた後で、フローレンスがぱたぱたと忙しなく駆け込んでくる。
「別にいいさ。支部長なんだから多忙で当然だろ。それよりも、娘との時間はちゃんと取れてるのか?」
「何とかね。もしかしてそんなこと話しに来たの?」
「まさか。真面目な仕事の話に決まってるだろ」
昔馴染みだからこその気の置けない会話を交わしてから、支部を訪問した理由を手短に伝達する。
「うちのスタッフがまた新しい武装を開発したんだ。かなり便利で有用なアイテムだと思うんだが、扱いを間違えると大変なことになりそうな代物でさ。普通に店売りするのは難しそうなんだ」
俺とフローレンスは――彼女の亡き夫も一緒に――ルーキー時代に同じギルドハウスを拠点として活動した仲である。
そうでもなければ、支部長にここまで馴れ馴れしい態度で接することなどできはしない。
「だから、販売はこっちの支店だけにして、購入にもギルドの認可が必要なようにしたいんだ。黄金牙とかの騎士団は別として、経験の浅い冒険者や一般人には買えないようにさ」
「なるほどねぇ。やっぱりアレクシアちゃんとノワールさんの合作? 現物は持ってる?」
「ああ、もちろん」
ガーネットに持たせていた鞄から投擲弾のサンプルを取り出し、応接テーブルに並べてみせる。
大中小のサイズ違いが計三個。
アレクシアが『投げやすさと破壊力を比較検討して云々かんぬん』と言って、知らないうちに作っていた追加のバリエーションだ。
「投擲呪装弾。内部にうちが売ってるミニチュア版のスペルスクロールを詰め込んである。普通なら魔力を込めた瞬間に動作するところを、上のスイッチを押しながら込めることで中心部の機巧が作動して、魔法効果の発動に遅延を生じさせるんだ」
「その間に放り投げて、離れたところでドカン! ……っていう仕組みね。応用が利きそうで面白いじゃない。やっぱり魔法使いと機巧技師が組むと違うわねぇ……」
フローレンスは一番小さな投擲弾を手に取って、外装をまじまじと眺めている。
かなり前に第一線を退いたとはいえ、比較的短期間でBランクまで上り詰めた実力は伊達ではない。
投擲弾という初見の新アイテムの有用性も簡単に見抜いたようだ。
「ルークの心配事は誤起動や投げ損ないかしら。簡単に使えると失敗が怖いけど、かといって手間が掛かり過ぎたらとっさに使えない。難しいところよね」
「ああ。だからギルドが認可しないと売れないシステムにしておきたいんだ。構わないか?」
「そうね……」
呼吸一回分の間を置いて、フローレンスはすぐに返答した。
「認可制は構わないけど、認可の基準はこちらで決めてもいい? でも少し準備期間をもらえないかしら。受付と認可の作業を誰に割り振るのかも決めないといけないし」
「ああ、頼む。基準も俺が考えるより真っ当になるだろうからな」
フローレンスとの会議を終え、応接室を出て今度はホワイトウルフ商店のホロウボトム支店へと向かっていく。
その途中で、ガーネットが何気ない雑談をするような態度で口を開いた。
「なぁ……ルーク。支部長のフローレンスとは長い付き合いなんだよな」
「そうだけど……それがどうかしたのか」
白狼のではなくルークと呼ばれたのを聞いて、ただの雑談とは違うようだと直感的に感じ取る。
以前は頑なに名前呼びをしようとしてこなかったガーネットだが、最近は極稀にこちらで呼んでくるようになっていた。
ただし、確実に二人切りだと断言できる場合か、お互いの関係を隠す必要がない状況に限った呼び方だ。
人気が少ないタイミングとはいえ、ギルド支部の廊下で名前呼びをされたのは意外としか言いようがない。
「エリカから聞いたんだよ。昔、フローレンスに気があったらしいじゃねぇか」
「……エリカが? どうしてそんな……って、ああ、そうか。リサに軽く昔話をしたときにあいつもいたんだったな」
フローレンスは娘のリサを女手一つで育てている。
支部長の仕事と子育てを一人でこなしているのは脱帽するしかないが、それでもリサはたまに寂しい思いをしてしまう。
そんなときに思い出話を聞かせてやったことがあるのだが、そう言えばその場にエリカも居合わせていたのだった。
「ひょっとしてお前、俺がまだフローレンスに未練があるんじゃないかって思ってるのか。だったら見当違いにも程があるぞ」
ガーネットの前に回り込んで足を止める。
これ以上先に進んだら周囲に他の冒険者が増えてしまう。
こんな話は他の奴がいるところなんかではしたくもない。
俺につられてガーネットも立ち止まり、不安を力尽くで握り潰したような顔で俺を見上げてきた。
「あいつに夢中になってたのは、同じギルドハウスにいた若い男全員だよ。それに、俺なんかよりもリチャードの方が相応しいって思ったときに綺麗さっぱり諦めて、今はもう未練の欠片ものこっちゃいないさ」
「リチャードっつーと……」
「もちろんあいつの結婚相手でリサの父親だ。良い奴だったんだが……当然だけど、リチャードの後釜になろうなんて微塵も考えてないからな」
ああそうか。やはりガーネットは不安になっているのか。
まったく、普段は怖いもの知らずなくせに……と切って捨てるのは簡単だが、不安になるのも無理もないことなのかもしれない。
ガーネットは俺の半分程度しか生きていないし、直近の五年は性別を隠し男として騎士団に加わっていた。
色恋沙汰の経験を積む機会など全くなく、また他人が過去の恋愛感情を内心でどう処理しているのかも分からないのだ。
そもそも感情の種類に関係なく、十年以上前に割り切って昇華した感情の存在など、たった十五のガーネットには想像もつかないに違いない。
「安心しろって。そもそも相手がリサじゃなかったら、思い出したりもしなかったような昔話なんだ。今はもう、そんな風に見れる相手はお前だけだ」
我ながら歯の浮くようなことを言いながら、ガーネットとの距離を一歩詰める。
こんなところを他の誰かに見られたら、秘密を隠すとかそういう話の前に、気恥ずかしさで死んでしまいそうだ。
けれど、一度ハッキリ断言しておくべきだと思ったから、余計な感情を脇に押しやって言葉にした。
「信じられないなら証明の一つでも――」
「失礼。白狼の森のルークとガーネットだな」
急に背後から声を掛けられ、二人揃って口から心臓が飛び出しそうなくらいに驚きながら、大慌てでそちらに振り返る。
少しばかり離れたところに佇む、ローブを被って顔を隠した男。
その人物がおもむろにローブを取り払った瞬間、ガーネットが急に表情を強張らせて驚きの声を漏らした。
「……ギ、ギルバート、卿……!」




