第244話 湯上がり気分、良い気分
――そうして俺達は、普段よりも格段に長い入浴時間を終えて個室風呂を後にした。
湯上がりの熱気と湿り気を残したガーネットは、ゆったりとした足取りで俺の隣を歩きながら、恐らくは体温の上昇で上気させた頬に、にへらっと気の抜けた笑みを浮かべている。
「いやぁ、盛り上がっちまったな。シルヴィア達には言えそうにねぇや」
「不覚だ……あそこまで我を忘れるとは……」
ご満悦なガーネットとは正反対に、俺は決して他人には言えない自己嫌悪に襲い掛かられていた。
先程の出来事が嫌だったわけではない。断じてない。洗い場でのやり取りもその後のこともだ。
ただ単に、湧き上がってくる感情を抑えきれなかった自分に呆れてしまっただけである。
「なんつーか、貴重な体験しちまったぜ。男の体なんて初めてマトモに見たかもしれねぇしな」
「他の奴には絶対に言うなよ……?」
「だから言えねーっての。どんなツラして説明しろっつーんだよ」
「ならいいんだけど。ていうかお前、顔が緩みすぎてアルマのときみたいになってるぞ」
――ただの美少女になってるぞ、という表現も候補として頭に浮かんでいたが、さすがにそれは廃案処分としておいた。
「マジか? やべぇやべぇ」
ガーネットは緩んだ頬を自分の手でぐにぐにと揉み、普段どおりの不敵な表情を作ろうとし始めた。
ちなみに、この一連のやり取りの間、俺とガーネットは全く視線を合わせていない。
顔がどうこうという話も、横目でさり気なく確認しただけだ。
というのも、先程の出来事でお互いに妙な気分になってしまったらしく、相手の目を見ることができなくなってしまっていたのだ。
ガーネットに至っては、浴場を出るときに偶然目が合ってしまっただけで顔を真っ赤にするくらいだった。
俺の場合は自制心が音を上げたことに対する気まずさと罪悪感で、ガーネットの場合はやはり年相応の羞恥心が原因だろうか。
だから年上の俺がしっかりしないといけなかったのだ。
何事も勢いに任せてしまうような、少年に毛が生えた程度の若者ではないのだから。
「……へへっ」
努力虚しく、またもやガーネットの頬がへにゃりと緩む。
今日はもうまっすぐ家に帰った方がよさそうだ。
こんな状態であちこち歩き回ったら、あらぬ誤解を受けてしまうかもしれない。
何とも言えない空気感のまま、浴場がある区域を出てエントランスと食堂の辺りに戻ったところで、日中に探していた相手とばったり鉢合わせた。
「おや。これはルーク殿にガーネットではありませんか」
「サクラ!? ぐ、偶然だな……」
「奇遇じゃねぇか、サクラ。今までどこで何してたんだ?」
「つい先程、依頼から戻ってきたところです。ルーク殿達がお帰りになっていたことはシルヴィアから聞いていましたので、明日にでもご挨拶に伺おうかと思っていたのですが」
グリーンホロウに帰ってきてから、まだサクラだけに挨拶ができていなかったので、ずっと探していたのは本当だ。
しかしまさかこんなタイミングで顔を合わせることになるなんて。
「聞いた話だと、地上の方で依頼を受けてたそうじゃねぇか。どんな仕事だったんだ?」
「ああ、もちろん答えられる範囲でいいぞ。守秘義務とか色々面倒だからな」
「構いませんよ。他の人にはわざわざ報告していないだけで、特に条件の厳しい依頼ではありませんでしたから」
冒険者が受ける依頼には守秘義務が課せられていることが多いが、その程度は割とケースバイケースだ。
最も極端なケースでは、依頼を受けた事実そのものが他言無用な場合もある。
王宮や騎士団以外は匿名依頼や条件非公開の依頼を申請できないが、どの冒険者が依頼を受けたのかを秘密にさせることはできる。
ただし、それも事前に依頼条件として明示する必要があるし、報酬上乗せになる場合がほとんどだ。
何故なら、冒険者の立場としては『かつてこのような依頼をこなしたのだ』と明らかにするのは、自分自身の実力と依頼達成能力をアピールすることに繋がるからだ。
もう少し一般的なケースの守秘義務は、どんな依頼を誰から受けたのかは明かしてもいいが、依頼遂行中に見聞きした情報を漏らしてはならないという取り決めだ。
こちらはギルドとしても標準的な条件なので、特に報酬値上げなどの見返りはない。
他にも守秘義務に絡む条件として、遂行中は受諾の事実そのものを秘密にしないといけないが、終わったら無制限に明かしていいとか、冒険者同士なら情報を提示してもいいとか色々ある。
本当にケースバイケースなので、一概にこうと言い切ることはできないのである。
「実はですね、町で子供達に武術を教えている老人が体調を崩したので、回復するまで代行を務めるように依頼されたのです」
そしてサクラが受けているという依頼は、その辺りの条件が緩いものだったらしい。
「ご老人は西方剣術を教示なさっていて、私の技は全く勝手の違う東方剣術ですので、子供達の自主鍛錬を見守って安全を確保する程度の仕事なのですけれど」
「へぇ、そんな人もいるんだな。有名なのか?」
「いいえ、ご自宅の庭先で数名の子供に教えているだけでして、ご本人も老後の趣味に過ぎないとおっしゃっていました」
サクラ曰く、老人は昨日の夜に体調を崩し、すぐにギルドハウスへ代理人募集の依頼を出して、次の日の朝――つまり今朝にサクラが依頼を受けたという流れだったらしい。
そうしてすぐに現場へ赴いて仕事を始めたので、知り合いの誰もサクラの居場所を把握していなかったというわけだ。
「ですが、さすがと言いますか、シルヴィアはご老人のことを知っていたようですね。先程このことを説明したら、あの人が体調を崩すなんて大事だと驚いていましたよ」
「あいつは顔が広いからなぁ」
この春の若葉亭は町一番の宿屋であり、食堂を宿泊客以外にも開放している。
そんなところの看板娘だからか、シルヴィアは町の大勢に顔を知られていて、逆にシルヴィアの方も多くの住民を見知っているのだ。
「せっかくだから、お前も東方剣術を教えたらいいんじゃないか?」
「私はまだ教えを授ける域に達していません。それに私の術理は【縮地】の併用を半ば前提にしていますから。他人に教えるなんて、とてもとても……」
サクラは困り顔で気恥ずかしそうに首を横に振った。
そして強引に話題を変えようとするかのように、俺の耳元に顔を寄せて全く違う方向性の疑問を投げかけてきた。
「……ところで、何やらガーネットの様子がおかしくありませんか?」
「あー……多分だけど、何か嬉しいことでもあったんだろうな。俺はよく知らないけど、ほんと……」




