第241話 久し振りの穏やかな日々
――その後、俺はトラヴィスとセオドアにしたのと同じ報告を支部長のフローレンスにも伝え、皆を引き連れて地上のグリーンホロウへと戻ることにした。
結局、今日はサクラと顔を合わせることができなかったが、たまにはそういうこともあるだろう。
明日以降にも機会があるだろうから、焦って駆け回る必要はどこにもない。
平穏な坂道を登って『日時計の森』を抜け、町へ続く斜面の途中のホワイトウルフ商店の前で、ガーネット以外の面々と一旦別れることにする。
「夕飯は春の若葉亭で食べるつもりだから、話の続きはまたそのときにでも」
「行きがけに荷物置いとくの、すっかり忘れちまってたからな」
勝手口を開け、久し振りの我が家に足を踏み入れる。
懐かしい空気に安堵感を覚えずにはいられない。
目に映る何もかもが、ようやく帰ってきたのだという実感を与えてくる。
「やっぱ落ち着くな。まさしく久し振りの我が家って感じだぜ」
ガーネットの『家』と呼べるのは、王都の邸宅かアージェンティア家の領地の屋敷なのではとも思ったが、あえて言葉にするのは止めておいた。
そもそも今はここに住んでいるのだから、家と呼んでも何の間違いもない。
「お前のとこの別邸や俺の実家も悪くはなかったけど、やっぱり俺達の家といえばここだよな」
「へへっ、そうそう!」
ガーネットは荷物を放り出してソファーに勢いよく寝そべった。
「あっちは『泊まってる』って気分が強くなるからなぁ。ゆっくり休むならここが一番だ」
「それはいいけど、荷物くらい部屋に置いてきたらどうだ?」
「……っと、そうだった。あの服は他の連中に見られねぇように、きっちりしまっとかねぇと」
一瞬だけこちらを横目でじっと見やってから、ガーネットは荷物を持って自分の部屋に引っ込んでいった。
俺が王都で贈ったあの服は、まだグリーンホロウで着ることができる代物ではない。
どう見ても少女としか認識されない格好であり、王都ではないから妹と言って誤魔化すのも難しい。
あの服を着てこの町を出歩くのはもう少しお預けだ。
俺も荷物を自室に置いてきてからリビングに戻ったところで、先に戻っていたガーネットがちょっとした提案をしてきた。
「さっき思いついたんだけどよ。また何か適当な理由つけてオレが町を出たってことにして、入れ違いで妹が来たってことにしたら面白くねぇか?」
「お嬢様らしく振る舞ってシルヴィア達をからかうつもりか? 駄目だ駄目だ。傍から見てたら絶対笑うからな」
「ははは。ぶっ飛ばされてぇか」
ガーネットにばしばしと背中を叩かれながら家を出て、予定通りに春の若葉亭へと足を運ぶ。
時刻は日没後間もなくで、ほのかな明るさを残した薄暗闇の空の下、グリーンホロウの町並みにぽつぽつと灯りが灯り始めている。
町に続く坂道を下りていると、グリーンホロウのメインストリートが夜ならではの活気を生み出しつつあるのが見て取れた。
昼間に依頼や探索をこなした冒険者が、夜になると町に戻って飲み屋などで騒いで楽しむという、どこの町でもよく見られる光景だ。
グリーンホロウの場合、ルーキーが経験を積む『日時計の森』とベテランが挑む『魔王城領域』の中間に冒険者ギルドのホロウボトム支部があり、そこでも飲食は提供されている。
だが、店舗や料理の豊富さは町の方がずっと上なので、一仕事終えた後の打ち上げの宴会などではこちらが選ばれやすく、その目的のために町へ向かう集団がいつもよく店の前を通っている。
「というかお前、レイラ相手に随分と無茶したよな。心臓が止まるかと思ったぞ」
「そりゃー……あいつも本気だって伝わってきたからな」
普段の粗暴な振る舞いとは裏腹に、ガーネットはそういう感情の機微を敏感に感じ取れるタイプだ。
しかし、こんな風に積極的に背中を押そうとするタイプではなかったと思うのだが、何かしらの心境の変化でも――と、ここまで考えたところで思い当たる節があったと気付いたので、余計なことは言わないことにした。
「ま、お前とのことがなかったら、あんなお節介はしなかっただろうけどな」
「……俺が言わないようにしてたことを……」
「は? 黙っとくようなことじゃねぇだろ。他の連中に聞かせるわけじゃねぇんだからさ」
ガーネットは平然とそう言い切った。
やはり視点が違えば受け取り方も変わってくるのだろうか。
俺なら思い上がりだと感じてしまうようなことでも、ガーネットの視点から見れば気にするようなことは何もないらしい。
そうこうしているうちにグリーンホロウのメインストリートを通り抜け、目的地である春の若葉亭に到着する。
「いらっしゃいませ! お席の方、二人分ご用意してありますよ」
春の若葉亭に入って早々に、シルヴィアが俺達を空いている席へと案内してくれた。
「予約なんかしてなかったけど、いいのか?」
「ええ。お二人がすぐに来るはずだって、エリカから聞いてましたから。私の自主的なサービスですから気にしないでください」
なるほど、だったらすぐにここへ来て正解だ。
寄り道をしたり、家で長々と寛いだりしていたら、シルヴィアに余計な迷惑を掛けてしまうところだった。
食堂スペースを見渡してみた限り、エリカを始めとするホワイトウルフ商店の関係者の姿はどこにも見当たらない。
「皆はもう夕飯を済ませたのか」
「はい。さっき入れ違いで部屋に戻ったばかりですけど、呼んできましょうか?」
「大丈夫だ。サクラにはいつでも会えるしな」
とりあえずガーネットと二人で夕食を取ることにする。
特に申し合わせたわけではないが、二人共あえて昼とは傾向が違うメニューを注文していた。
やはりガーネットも舌に馴染んだシルヴィアの料理が懐かしく、色々な味を楽しみたいと思ったのだろうか。
夕食をゆっくり楽しんでいると、地上ではあまり見かけない顔が食堂にやって来るのが視界に入った。
「お、フローレンスだ。リサも一緒だな」
「支部長とその娘……だっけか。支部の食堂じゃなくてわざわざ地上まで食いに来たってことは、たまの休みに町まで遊びに来たって感じかね」
フローレンスとリサの母娘は、まさしくガーネットが言ったとおりの雰囲気を漂わせながら歩いている。
ダンジョン内ながらも、ホロウボトム支部には生活に必要な設備が一通り揃っているが、逆に言うと必要以上の遊びには欠けている。
まだまだ幼さの残るリサには退屈な環境だろうし、こうして忙しい母親と遊びに行けるのが楽しくてしょうがないのだろう。
フローレンスは俺達がいることには気が付いていない様子で、宿の看板娘であるシルヴィアと談笑を交わしながら、グリーンホロウと春の若葉亭のお勧めの場所について聞いているようだった。
「……母娘、ねぇ。支部長だなんて毎日クソ忙しいだろうに、よくやるよ」
ガーネットは感慨深げに微笑を浮かべた。
母親と娘――彼女が得ることの出来なかった当たり前の光景を眺めながら。




