第239話 男達の色恋談義
「分かった、話そう。だが大した事情ではないぞ。極めて個人的な経緯だから話さなかったに過ぎん。盛り上がるなど期待してくれるなよ」
念入りに前置きを繰り返してから、トラヴィスはようやく自分自身の過去について語り始めた。
十五年来の付き合いである俺ですら知らない、冒険者になるよりも前の昔話を。
「俺は黒剣山の麓で材木を作る樵の家に生まれてな……ああ、親の仕事はどうでもいいんだ。そういう生まれだったからか、割と早い段階で肉体を強化するスキルが身に付いていた」
身体強化系スキルは多くの職業で授かる可能性のある基本的なものだ。
性質や性能は多種多様で、肉体労働に分類される職業なら大抵は可能性があると言われている。
「あの頃は人並みに仲のいい娘もいた。俗に言う幼馴染という奴だ。しかしあるとき、丸太を運ばせていた馬が興奮して暴れ出し、その娘を危うく轢きかけたのだ。事もあろうに俺の目の前で」
「お前のことだから、考えるより先に守ろうとしたんだろうな」
「だがそれがいけなかった」
トラヴィスは小さく首を横に振った。
まるで遠い過去の出来事を慙悔するかのように。
「端的に言えば力加減を誤った。暴れ馬から助けるために突き飛ばしたはいいものの、そのせいで逆にいくらかの骨を砕いてしまった。普段から頑丈な身内とばかり接していたせいだったのかもしれんが……あの感触とあの音は今も忘れられん」
馬に踏まれるよりはマシだったんだろうがな、とトラヴィスは続けたものの、やはりその声に覇気はない。
「誰も俺を責めはしなかったが、罪悪感に耐えかねて『都会で一旗揚げる』という名目で故郷を去り……後はお前も知ってのとおりだ」
「なるほど、だから苦手なのは若い女だけだったわけか」
扱い方が分からない、壊してしまったらどうする――トラヴィスが口癖のように言っていたこの理由は、間違ってはいないものの正確ではなかった。
本当に壊してしまった記憶が蘇る相手だからこそ接触を恐れ、またどのように接すればいいのか分からなくなってしまうのだ。
「冒険者になってからは故郷に帰っていないのか?」
「いや、Aランクに昇格してすぐに一度帰っている。あの娘も若くして良い母親になっていた。それを確かめれば多少は改善するかとも思ったんだが、結局は何も変わらなかったな」
問題が解決するまで帰れなかった俺とは逆に、問題を解消するために帰ったものの期待通りにはいかなかったというわけか。
トラヴィスは長く息を吐き出し、大柄な体を椅子の背もたれに預けた。
「俺だっていつかは何とかしなければと思っていたさ。だがどうにも楽な方に意識が向いてしまってな。気付けばこのざまだ」
「これを機に慣れてみるつもりは?」
「見ず知らずの娘さんを、そんなことに付き合わせるわけにはいかんだろ。申し訳ないが、こういう事情で俺には荷が勝ちすぎる……と伝えてくれ。お前に話した内容は全て明かしていい」
まったく、相変わらず妙なところで責任感の強い奴だ。
苦手を克服するためにこのチャンスを活用しよう、なんて考えることすら不誠実だと捉えているらしい。
楽な方に意識が云々と言っているが、これだからいつまで経っても慣れることができなかったんじゃないだろうか。
「分かったよ、あいつにはそう伝えておく」
「すまん。それにしても、お前が仲介に入ってくれて助かったぞ。いきなり本人が会いに来たら、さすがに冷静な対応はできなかったかもしれん」
「かもしれないじゃなくて、間違いなくそうだろうな」
その光景が目に浮かぶようだ。
ここにレイラがいないのは本人が怖気付いたからだったが、仮に同席したいと言っていても、俺の判断でやめさせるべきだったのかもしれない。
まぁ、現実にはそうならなかったので、仮定に仮定を重ねた話でしかないのだが。
「悪い意味ではないのだが、俺もお前くらいに女慣れしていれば、こんなことで迷惑を掛けることもなかったんだろうな」
トラヴィスはずいぶん疲労したようにも、全てを言い切ってすっきりしたようにも見える表情を浮かべている。
「人聞きの悪い。そんなに遊んでるわけじゃないぞ。特にここ数年はろくな縁がなかったしな」
「俺と比べて相対的にという意味だ。しかし正直なところ、お前がまだ独り身なのは意外だぞ。俺なんかと違ってもっと早くに身を固めるだろうと思っていたんだが」
「……目立ったスキルもない万年Eランクだった奴に無茶言うなよ」
急に話題の矛先が俺に向かってきたので、つい言葉を濁してしまう。
なかった、そして、だった。
どちらも過去形だ。
一つしかなかったスキルは類を見ない変化を遂げ、本業を変えた今は冒険者としてのランクには意味がない。
そして何よりも――
「……あー、そうだな……お前の隠してた事情を聞き出したわけだし、故郷の連中以外だと一番付き合いが長いわけだからな……」
「おいどうした、その意味深な物言いは。まさかルーク、お前……」
トラヴィスが目を見開いて身を乗り出す。
本来ならまだ秘密にしていなければならないことだったが、この状況で何も言わずに隠し続けるのはいくらなんでも気が引ける。
「まだ詳しいことは言えないし、秘密にしておいてもらいたいんだが、将来的に身を固めることを前提に付き合っている奴がいるんだ」
「なあっ……!」
思わず大声で叫びそうになったトラヴィスだったが、すんでのところで声を飲み込む。
そしてこのまま数秒ほど肩を震わせて驚きの発露を堪え、可能な限り平静を取り戻してから、改めて控えめなリアクションを見せた。
「……本当か!? 初耳だぞ……!」
「お互いの身内以外にはまだ明かしてもいないからな」
「まさかとは思うが、武器屋の娘達の誰かか?」
「いや、少なくともお前が思い浮かべてる奴らじゃないぞ」
決して嘘はついていない。トラヴィスが武器屋の娘達と言って思い浮かべている顔の中に、ガーネットは含まれていないはずなのだから。
「色々と込み入った事情があって、相手が誰なのかもまだ言えない段階なんだ。それでも、この流れでお前にまで黙ってるのはさすがに……な?」
「……そうか」
トラヴィスは腕を組んでしばし考え込み、やがて真剣そのものな顔でまっすぐに俺を見据えた。
「俺を気遣い、信頼して秘密を明かしてくれたのなら、応えなければ男が廃るというものだ。決して他言しないと約束しよう。そして公にした暁には全力で祝福させてくれ」
「どうも。いつかは俺からも、その手の祝福ができるようにしてくれよ?」
「む、ぐ……あまり期待せずに待っていてくれ」
弱いところを突かれて言い淀むトラヴィス。
相変わらずなその反応を見て、俺は声を漏らして笑わずにはいられなかった。




