第238話 伝えなければならないこと
記憶に新しい夜の切り裂き魔事件――俺がトラヴィスとセオドアに伝えたいのは、事件の顛末ではなく犯人の正体に関してだ。
魔王軍すら及ばない技術で作られた自律人形型ゴーレム。
彼女達を地上に送り込んだのが、『魔王城領域』の深層に潜む魔王ガンダルフの真なる敵だったのではという推察。
もしもそれが正しかったなら、深層の探索には彼らとの遭遇および交戦というリスクが潜んでいることになる。
この情報は、探索開始以前に必ず共有しておかなければならない性質のものだ。
「――俺が伝えられる内容はこれだけだ。速報みたいなものだと思ってくれ。詳細な情報はギルド本部から追って通達されることになると思う」
魔王軍が『真なる敵』と呼ぶ連中と、夜の切り裂き魔事件を引き起こした人形達についてグリーンホロウの冒険者に伝えることは、俺一人の独断で決めた行動ではない。
俺がすぐにグリーンホロウへ帰る予定だと知ったギルド本部の担当者から、速報を伝えるための伝令役を頼まれたのだ。
冒険者ギルド本部からの正式な情報伝達は、犯人である人形達の詳しい分析が進展してからとなる。
「やれやれ。未知の脅威が潜んでいるはずだと考えてはいたが、こいつはさすがに想定外だ。人間と区別がつかない振る舞いをする自律型ゴーレムだと? にわかには信じがたいが……」
「魔王軍が破れたという時点で、人知を超えた相手というのは確定的だったけど。現実はいつも想像を越えていくね」
「ゴーレムに完璧な人格を付与したうえ、刺客として使い捨て同然に送り込んだわけだからな。魔王ガンダルフが後塵を拝したのも納得というものだ」
「しかし彼らがドラゴンを放し飼いにしている可能性もある以上、無視を決め込むわけにはいかない……ふぅむ」
トラヴィスとセオドアはどちらも真剣な表情を浮かべ、頭の中で探索計画の練り直しを検討しているようだった。
彼らは冒険者の事実上の最高位たるAランク。
個人レベルの戦闘能力や生還能力に秀でているだけでは決してたどり着けない、困難な探索を成功させる能力に秀でた者達だ。
もちろん単独探索中心でAランクにまでのし上がった奴もいるが、そういった者達も『自分が挑むダンジョンに潜む脅威』『可能性としてあり得る危険』を正確に捉え、過大評価も過小評価もせずに立ち回っている。
――夜の切り裂き魔事件で醜態を見せた血染めの刃のブルーノすらも、かつてはそうだった。
自分達が挑む予定の『魔王城領域』に潜む想定外の脅威を教えられ、すぐさま従来の計画を破棄して練り直せないようでは、せいぜいBランク、いやCランクが関の山だろう。
ここで今までの準備に費やしたコストなどを気にかけ、計画を変更しないという選択肢を考えるような奴は、Aランクにたどり着く前に間違いなく死んでいる。
普通の人は『できて当たり前じゃないか』と思うかもしれないが、これが意外とそうでもないのだ。
自分達は大丈夫だと根拠もなく思い、認知の歪みを正せずに無謀な探索に乗り出す奴は決して少なくない。
「分かった。ありがとう、ホワイトウルフ君。深層領域の探索はしばらく延期して準備を固め直すよ。話を聞く限り、現行の備えではどうしても不安が拭いきれないからね」
「ですが、セオドア様。それではコストが更に増加してしまいます」
「必要経費だよ、マリア。金銭の消費を惜しんで、金銭では取り返せない損失を被るのは愚か者のやることだ。経済事情が許さないのならまだしも、僕達の場合は充分な余裕があるのだからね」
「……かしこまりました」
マリアは一抹の不満を抱えた様子で首肯した。
彼女が考えていることは何となく分かる。
多分、探索計画そのものを撤回するという発想に至ってもらいたかったのだろう。
お目付け役としては一族の嫡子が危険に身を投じるのはよろしくないのは分かるが、セオドアにそれを期待するのは無茶というものだ。
「それじゃあ、計画の修正案が固まったら連絡を入れるとするよ。とりあえずは本部からの詳細待ちかな」
「約束通り、俺の力が必要になったらいくらでも協力しますよ。それまでは武器屋の方を優先させてもらいますけど」
セオドアが一足先に席を立ち、マリアを連れて貸し会議室を後にする。
室内に残されたのは、俺とガーネットとトラヴィスの三人。
残り一つの用件を切り出すにはこれ以上ないタイミングである。
「なぁ、トラヴィス。話は変わるんだが……」
「仕事の話は終わったから、次はプライベートの話だな。お前からその手の相談とは珍しい。遠慮なく話してみろ」
「ああ……いや、俺の相談じゃないんだ。お前に自分のことを紹介して欲しい奴がいてな」
「パーティ加入志望か。是非を決めるのは直接会ってみてからになるが」
……一旦言葉を切って軽く頭を掻く。
どうやらというべきか、案の定というべきか、俺が話そうとしている内容はトラヴィスの想像の範疇にはないらしい。
「女だよ。自分のことをお前に異性として紹介して欲しいっていう女の子がいるんだ」
トラヴィスは急激に緊張が脊髄を貫いたかのように固まり、焦りと困惑に表情を歪めながら、どうにかこうにか言葉を絞り出した。
「お、お前……俺が、女が苦手だってこと知ってるだろう……?」
「だからわざわざこうして、改まった席で話そうとしてるんじゃないか。女が嫌いだとか、男じゃないと駄目だとか、そういうわけでもないんだろ?」
こいつが若い女を苦手としていることは、それこそ最初に出会った頃から知っているが、どうしてそうなったのかは全く把握していない。
本人は語ろうともしなかったし、わざわざ追求するような理由もなかったからだ。
「お前の『苦手』は知ってる。だけど理由は知らないし、そもそも『扱い方が分からないからなるべく接したくない』という以上の拒絶感があるのかどうかも知らないんだよ」
「……確かに、そうだったかもしれんな。付き合いは長いが、あえて話題に出したことはなかった気がする」
「差し支えなければ教えてくれないか。その子には借りを作ったばかりだから、理由は分からないけど駄目だったと伝えるのは気が引けるんだ」
腕組みをして考え込むトラヴィス。
不意にガーネットがおもむろに席を立ったかと思うと、会議室の扉を開けて外に出ていこうとした。
「おい、どこ行くんだ」
「オレがいたら喋りづらいこともあるだろ。外で待ってるぜ」
そう言うなり、ガーネットは止める間もなく部屋を後にして扉を閉めてしまった。
「……気を使わせてしまったな」
トラヴィスは口元を歪めて苦笑らしき表情を浮かべ、意を決したように俺を見据えた。
「分かった、話そう。だが大した事情ではないぞ。極めて個人的な経緯だから話さなかったに過ぎん。盛り上がるなど期待してくれるなよ」




