第232話 シルヴィアとのランチタイム
白狼の森を後にして以降、俺達は大したトラブルもなくグリーンホロウまで戻ることができた。
整備された山道を馬車で登っている間は肌寒さすら感じる気候だったが、町の入り口まで来ると温かい空気が漂っている。
温泉地だからこその懐かしい雰囲気を胸いっぱいに吸い込みながら、馬車を降りて久し振りにグリーンホロウの土を踏む。
「こっちも変わりはなさそうだな」
「まずはシルヴィアんとこ行って、オレらがいなかった間のことを聞いとくか。お前もゆっくり休んどけよ」
ガーネットの発言の後半は、俺ではなく御者の男に向けられたものだ。
長時間の馬車の運転は体にかなりの疲労と負担が蓄積する。
せっかく温泉街に来たのだから、体を休めてから帰ってもらった方がいいだろう。
「店の方は定休日だっけか。しばらく離れてると感覚がズレてくるな」
「現場の判断で変えてなかったらそうだな。皆に任せっきりだった分、明日からは気合い入れて働くぞ」
まずは予定通り、シルヴィアがいるはずの春の若葉亭へと足を運ぶことにする。
ホワイトウルフ商店は定休日だから誰もいない可能性があるし、スタッフの多くは春の若葉亭に部屋を借りて暮らしているので、あそこに行くのが一番確実なはずだ。
仮にシルヴィアが不在でも、スタッフの誰か一人くらいは共用スペースで寛いでいるだろう。
そんな考えで春の若葉亭の玄関をくぐると、まっさきにシルヴィアの明るい声が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ! ……あっ! ルークさんにガーネットさん! おかえりなさい!」
シルヴィアが仕事の手を止めて満面の笑みで駆け寄ってくる。
「ただいま。俺達がいない間に、何か変わったことはなかったか?」
「うーん、特にはなかったと思いますけど……そうだ! 早めの休憩に入るのでゆっくりお話しませんか? 私も王都のお話を聞きたいですし!」
「そうしようか。昼飯もまだ食べてなかったからな」
ひとまず食堂スペースに移動し、注文をガーネットに持っていってもらう。
二人掛けの椅子で俺の隣に座ったガーネットが、ごく自然な動きで拳一個分くらいの距離を詰め直す。
しばらくして、シルヴィアが三人分の昼食を持ってきて向かいの席に腰を下ろした。
「どうぞ。王都の料理と比べたら全然物足りないかもしれませんけど」
「んなこたぁねぇよ。恋しくなってくるくらいだぜ」
久し振りのシルヴィアの料理を食べながら、俺達が王都で過ごしていた期間の出来事をお互いに語り合う。
もちろん今はまだ全てを伝えられる状況ではない。
騎士叙勲や新騎士団に関することは正式発表まで伏せておく必要があるし、夜会の件や『アルマ』との関係についてはまだそのタイミングではない。
夜の切り裂き魔事件は血生臭くて話しにくいし、自動人形云々の話をシルヴィアにしても困らせるだけだろう。
だからここでの話題は、主に王都の観光やサンダイアル商会――厳密にはシルヴィアの祖母であるドロテア会長の話題が中心だった。
「やっぱり王都って凄いんですねぇ……おばあちゃんも元気みたいでよかったです。やっぱり私も行ってみようかなぁ」
「そういえばドロテア会長から、王都まで遊びに来いって誘われてたんだっけか」
「はい。エリカとマリーダを誘ってみようかなって。サクラも護衛ってことで声を掛けたら、遠慮せずに参加してくれるかもしれませんよね」
俺達が一方的に土産話をするだけではなく、シルヴィアからもグリーンホロウの話を聞かせてもらう。
先程も少し触れられたが、少なくとも大事件と呼べるようなことは起こっていない。
さすがにちょっとした事件はあったものの、後々まで尾を引くようなことにはならずに収束し、町としては平和な日々が続いていたらしい。
ホロウボトム商店の経営も、シルヴィアが把握している範囲では順調そのもの。
支店の開設とスタッフの増員が功を奏したらしく、来客もちょうどいい具合に配分され、どちらかの店舗に過剰な負担が掛かることもなかったようだ。
――ただし、これはあくまで基本的にはという話。
専門的な仕事のタイミングが運悪く重なったことで、少人数で店を回す必要が生じてしまい、目が回るくらいに忙しくなってしまったこともあったという。
特に、魔法と機巧の専門家として引っ張りだこなノワールとアレクシアが同時に店を離れた日があって、恐らくその日が一番大変なときだったそうだ。
そのときにはエリカやレイラが頑張ってくれたうえ、シルヴィアやサクラだけでなくナギとメリッサも手伝いに回ってくれたので、臨時閉店せず無事に閉店まで店を回すことができたらしい。
「皆には改めてお礼をしておかないとな。とりあえず本店の皆には帰郷のための休暇を順番に取ってもらうとして……」
「エリカの実家は隣町ですし、あんまりいい関係じゃないですから、休暇に合わせて王都旅行に誘うのもいいかもですね」
「それがいいかもしれないな」
俺が王都に赴いた名目は、サンダイアル商会との大口取引に関わる出張だったが、ガーネットの名目は王都への里帰りだった。
他のスタッフも同じ理由で休めなければ不公平だ。
黒魔法使いのノワールの故郷は確かどこかの都会で、機巧技師のアレクシアは勇者ファルコンと同じ複層都市スプリングフィールド。
どちらもグリーンホロウから距離があるので、まとまった長い休暇がなければ帰郷すら難しい。
しかし薬術師のエリカは徒歩でも行けるウォールナット・タウンの出身で、両親と対立して飛び出してきた身の上なので、長い休暇を得ても帰る場所がない。
それなら幼馴染のシルヴィア達との旅行に充てるのはいい考えだろう。
「……ところで、話は変わるんですけど」
シルヴィアは食後の紅茶をゆっくり飲んでいる俺と、デザートのケーキセットを食べているガーネットを順番に見やってから、何気ない質問をするかのような口調で話題を変えた。
まさか俺達の関係が変わったことを悟られたのではと心配したが、発言の続きは全く関係のないものだった。
「冒険者ギルドの方で、ダンジョンのもっと奥を探索しようっていう動きが起こってるみたいです。ひょっとしたら、ルークさんとガーネットさんにもお声が掛かるかもしれませんね」
「具体的にはどういう話になってるんだ?」
「詳しいことはちょっと……私よりもサクラの方が詳しいと思いますよ」
それはそうか。冒険者の間の話なら、一般人のシルヴィアよりもサクラを始めとする現役冒険者達に聞いた方がいいに決まっている。
「『魔王城領域』よりも更に深い領域の探索か……誰がリーダーになるのかはだいたい察しが付くな」
有力候補は二人いて、しかもどちらも俺の知り合いだ。
間違いなく声は掛けられるだろうなと思いつつ、そのときまではのんびりしようと心に決めて、熱い紅茶の入ったカップを傾けるのだった。




