第231話 勇者エゼルと従者エディ
「ほんとにごめんね。びっくりしすぎてつい……」
とりあえず落ち着いて話せる場所へ移動している間、赤髪の少女――勇者エゼルは、驚きのあまりガーネットの素性を叫んでしまったことを、重ね重ね何度も謝っていた。
勇者だの貴族の娘だのという肩書の割にやたらと腰が低く、騎士のガーネットと比べてどちらの立場が上なのか、よく分からなくなってしまいそうだ。
「それはもういいとして、勇者がこんなところで何をしてるんですかね」
「ええと……やっぱり怒ってる? わざとらしく畏まるのはやめて欲しいかなって……素性がバレたら色々やり辛いし……」
「怒ってはねぇよ。まさか本当に王都を飛び出してくるなんて、と呆れてるだけでな」
エゼルにも何かしらの込み入った事情があるようだが、ひとまず今は追及しないことにしておく。
初対面の少女を即座に信用することはできなくても、彼女を見知っているというガーネットのことは全面的に信頼している。
ガーネットが警戒の必要性を訴えないのなら、勇者だろうと何だろうとガーネットの知人として接するだけだ。
「ここに来たのは特に理由なんてないんだけど……シーサーペントのせいで橋が駄目になったから遠回りして、湖畔の城に泊めてもらったら、近くに国王所縁の土地があるって教えられて……」
「陛下が王位獲得の試練の前に、この近くの村に宿泊したっていうアレか」
「そう! 今も秘匿されている試練の舞台が、実は白狼の森だったんじゃないかっていう噂を聞いてね! 一度は見に行かなきゃって思ったの!」
アルフレッド陛下のことに話題が移った途端、勇者エゼルは興奮気味に声を大きくした。
当然のことではあるが、陛下に憧れて冒険者や勇者を目指す者はかなり多い。
とりわけ冒険者時代の活躍や、その後の成り上がりっぷりに憧れた者は冒険者になり、人柄や人格に惹かれた者は『王宮の公認になれるから』という理由で勇者を志す傾向にあるという。
恐らくエゼルもそういう人間の一人で、ガーネットはエゼルが前者に該当すると思っていたが、実際には後者だったといったところだろう。
「つまり、この辺にヤバい魔物とか魔族がいるわけじゃねぇと。だったらいいんだ。観光ならどうこう言わねぇよ」
ガーネットは呆れと安堵が入り混じった顔でひらひらと手を振った。
「ところで、こちらの方はどなた? 騎士団の人じゃないよね」
一通りのやり取りが終わったことで、エゼルは関心の対象をガーネットから俺に切り替えてきた。
「白狼の森のルークだ。ガーネットとの関係は……一言で説明するのは難しいな」
「え? 白狼の森の……ああっ! もしかして!」
エゼルは頬に手を当てて輝かんばかりの笑顔を浮かべたかと思うと、疾風のようにガーネットの真横に回り込み、素早く肩を組んで顔を近付けた。
「ねぇねぇ! ひょっとしてひょっとして!」
「耳元でうっせーな。そうだよ悪ぃかよ」
恐らくは羞恥で赤らんだガーネットの頬に、興奮で紅潮したエゼルの頬が寄せられる。
……やはり例の夜会の一件は、既にそれなりに広まってしまっているらしい。
今後は俺も、そういう目で見られる前提で振る舞った方がいいのかもしれない。
そんなことを考えていると、街道の方角から一人の男が駆けつけてきた。
いや、厳密に言えば背の高い少年だ。
赤銅色の髪を短く整えた頭は俺の目線くらいの高さで、エゼルと比べて拳ひとつ分程度の差があり、背丈だけなら充分に大人といえるほどだったが、顔立ちにはまだ幼さというか青さが残っている。
「姉さん! どこに行ったかと思ったら、こんなところに……って! 何をやってるんですか! 誰ですその男!」
何故か出合い頭に怒鳴られてしまったと思ったが、少年は俺を無視してエゼルの方を睨んでいた。
どうやら『その男』とは俺のことではなかったらしい。
一方のエゼルはきょとんとした顔でガーネットと――美少年に見える男装の少女と肩を組んで頬を寄せていたが、すぐに少年の誤解に気付いたらしく、困ったような笑みをこちらに向けた。
「うん、弟のエディ。そういえばガーネットのことは知らなかったんだった」
エゼルはガーネットから離れて赤銅色の髪の少年に駆け寄り、思慮不足だと怒る弟を宥め始めた。
赤銅色の髪の少年、エディの反応は少々過剰というか過保護気味な気もするが、貴族の娘が見知らぬ男にべったりくっついていたと考えれば、身内としては見咎めたくなっても仕方がないのかもしれない。
「まったく……あのお方から、直々にお目付け役を任された俺の身にもなってくれませんか」
「ごめんごめん。久し振りに友達と会ったから嬉しくなっちゃって」
「だから姉さんは、そろそろ自分の立場というものを……っと」
エディは第三者である俺の存在に気が付いて言葉を切り、改めてこちらに向き直った。
「すまない、迷惑を掛けた。俺は勇者エゼルの同行者のエドワードだ。失礼だが、素性を伺っても構わないか?」
「白狼の森のルークだ。グリーンホロウ・タウンで武器屋をやっている。こいつは店員のガーネット」
「グリーンホロウというと魔王戦争があったところだな。ルークにガーネット……聞いたことがあるような、ないような……」
どうやら夜会の件まで知っていたエゼルとは違い、弟の方は俺達のことをあまりよく知らないらしい。
この場で説明するべきかとも思ったが、それより先に勇者エゼルがエディの腕を掴んで歩き出した。
「それじゃ、またね。この後はグリーンホロウに行ってみようと思うから、そのときはよろしく!」
「ちょ、姉さん! そんな話、聞いてませんよ!」
「行方を晦ました魔王ガンダルフの行方を探るのは、勇者の活動として文句のつけようもない仕事でしょ。王宮の指令が来るまでの自主活動にはぴったりじゃない」
「それはそうですけど……もっと相談をですね……」
二人の後ろ姿を見送りながら、完全に振り回されているエディに内心で応援の言葉を送る。
それにしても――一連の出来事の率直な感想を思い浮かべながら、隣にいるガーネットにさり気なく視線を向けると、申し合わせたかのようにバッチリと視線が合ってしまった。
「何か言いたそうじゃねぇか」
「いや……お前に女友達がいたのが意外だなと」
「家柄としちゃ、あっちの方がぶっちぎりで上なんだぜ。エゼルの友好関係が縦にも横にもやたらと広いだけだな。しっかし、あいつが勇者ねぇ……」
ガーネットは困ったように顔をしかめ、金色の髪を片手でわしわしと掻いた。
「餓鬼の頃は、国王陛下に憧れていつかは冒険者に、なんて言ってたもんだが」
「やっぱり陛下の影響か。そう聞くと親しみが……ああいや、単なる親近感であって他意はないぞ、他意は」
「まだ何も言ってねぇだろ」
足を軽く蹴られつつ、近くに待たせている馬車へと戻る。
寄り道はこれくらいにして、そろそろグリーンホロウまでまっすぐ帰ることにしよう。
さすがにこれ以上は、ホワイトウルフ商店の皆を待たせ続けるわけにはいかないのだから。




