第229話 二人の夜の語り合い
――この日の夜中、俺とガーネットは母さんが用意してくれた寝室に移動し、そこで一夜を明かす準備を済ませた。
村には旅人向けの宿と呼べるものはなく、街道沿いの宿屋が旅人を休ませる役割を果たしており、俺達が乗ってきた馬車の御者もそちらの宿に宿泊している。
しかし今から街道まで戻るには遅すぎるし、何より是非とも泊まっていけという母さんの勧めを断れなかったのだ。
「……にしてもよ、ひょっとしてとは思ってたけど、まさか本当に相部屋が用意されるとは……」
ベッドの上で片膝を抱えながら、ガーネットはそわそわと室内を見渡していた。
「変な意味はないと思うぞ。前からここは来客用の寝室で、ベッドもずっと二つだったからな。村長ってのは立場のある客に宿泊場所を提供するのも仕事のうちだ」
「んなこと知ってるって。銀翼が地方まで捜査に行ったときなんか、毎回そんな感じだぞ。けどよ……何か近くね?」
ガーネットは自分が乗っているベッドに隣接した、もう一つのベッドの方に視線を移した。
隣接というよりも密接と表現した方が正確だろうか。
二つのベッドは位置を揃えてぴったり並べられ、まるで大きな一続きのベッドのようになっていた。
「……そこは俺も何かしらの意図を感じるな。気になるようなら移動させようか?」
「いや! ……いい、このままで。せっかく風呂入ったのに、寝る前に疲れることはしたくねぇからな」
「ならいいけど。後で文句言うなよ」
ランタンの火を消して部屋を暗くし、ベッドのこちら側に体重を乗せる。
ベッドの軋む音とガーネットの身動ぐ気配がしたが、それ以外は本当に静かなもので、すぐにでも眠りに落ちることができそうだ。
けれどガーネットはまだ話し足りないのか、横になってから囁くような声で俺に語りかけてきた。
「家族って凄ぇんだな。何か色々と圧倒されちまったぜ」
落ち着いているというか、不安を抑え込んでいるというか、そんな雰囲気の声だった。
「オレの身内って基本ろくでもねぇ奴ばっかりだろ? 母上はオレが餓鬼の頃にいなくなっちまったし。ずっと、家族ってのがいまいち分かんねぇなって思ってたんだ」
ガーネットが置かれている家庭環境は極めて特殊と言わざるを得ない。
父親は戦乱の時代を生き抜いた軍指導者で、銀翼騎士団の実質的な初代団長であり、婚姻によって一族を栄えさせることを是とする古い価値観の持ち主。
三人いる兄と姉は全員が前妻の子で、その前妻も既に亡く、三人のうち二人は父親と同じ価値観を持ち、姉に至っては熱心な実践者であるとすら言える。
そして彼女を産んだ実の母は、幼い娘を庇って目の前で命を奪われ、その娘は母の仇討ちを誓って騎士団に身を投じた。
ガーネットにとって、いわゆる『普通の家族』というものは、想像もできないほどに縁遠い存在だったのかもしれない。
「でもカーマイン団長がいるだろ?」
「兄上はどっちかっつーと上司だな。関わるときはだいたい仕事絡みな気がするし」
実際には、カーマインはガーネットのことを家族として気にかけているのだが、本人にはいまいち伝わっていなかったらしい。
この辺りはやはり、腹を割って話さないと埋まらない認識の差異なのかもしれない。
「知っての通り、正体隠して銀翼騎士団に入る条件ってことで、十八になるか母上の仇を討ったら結婚するって約束を父上としてたわけだけど……正直、自分がそういう生き方をする姿なんて想像もできなかったんだ」
暗闇の向こうで寝返りを打つ気配がする。
声の聞こえ具合が鮮明になったので、今まで仰向けだったのがこちらを向く形に姿勢を変えたようだ。
「自分を鍛えて仇を探して、騎士としての役目を果たして。それだけで精一杯だったし、終わった後のことなんか考えようとも思わなかった……」
「…………」
「……けどよ、お前が夜会に殴り込んできてくれて、嬉しかったのと一緒に不安も湧いてきたんだよ。オレなんかが家族を作ってやっていけるのかなって」
ガーネットがそっと手を伸ばしてきて、俺の服の袖口をぎゅっと掴んだ。
暗闇に目が慣れていないせいで、どんな顔をしているのかよく見えないのが本当に惜しく思える。
「だからさ。お前の家族と会ってみたら何か掴めるかもって思ったんだけど……やっぱりオレには……」
「まさか。そんなわけないだろ」
お互いに向かい合ってベッドに横たわったまま、袖口を掴む小さな指を解いてしっかり握り直す。
そしてもう一方の手をガーネットの頭の後ろに回し、夜闇の中でも表情が見える距離まで引き寄せた。
驚きに見開かれた碧眼と赤らんだ頬が、うっすらと見て取れる。
「俺達なら大丈夫だ。家族は一人で作るものじゃないだろ? 俺にできないことをお前がやって、お前にできないことを俺がやる。いつもと同じじゃないか」
黒い薄布のような薄暗闇の向こう側で、ガーネットの表情が綻んだのが分かった。
普段の意志の強さでたまに忘れそうになるが、ここにいるのはまだ俺の半分程度しか生きていない少女なのだ。
分からないこともたくさんあるのだろうし、不安だって数え切れないくらい抱えているのだろう。
そんな気持ちを受け止めてやることも、きっと俺がやるべきことなのだろうし、やらずにはいられないことでもある。
たまには年長者らしいところも見せないと、無駄に倍も生きてきたのかと自分で自分を嗤いたくなってしまう。
「白狼の……ありがとな、ちっとは気楽になったぜ」
「どういたしまして。でもまたその呼び方か? お前らしくて嫌いじゃないけど、父さんや母さんには違う呼び方してただろ」
「う……あれはそうしないと変だからで……」
ガーネットがうろたえる様子が可愛く思えてしまい、つい必要以上に話題を続けてしまう。
「でも実のところ、意外と名前呼びされた覚えがあるんだよな」
「うえっ!? マジか! 知らねぇぞオレ!」
「ほら、最近だと王都で夜の切り裂き魔と戦ったときとか」
「…………とっさに叫んだだけじゃねーかそれ!」
ベッドに横たわったままで器用な膝蹴りが繰り出される。
「つーか、もう寝ようぜ。明日も早ぇんだからな。話し込んでたオレが言えた義理じゃねぇけど」
「ああ、そうだな。おやす――」
就寝の挨拶を言葉にしようとした瞬間、不意にガーネットの顔が近付いてきて、唇に柔らかい感触が伝わった。
「おやすみ」
ガーネットはごろんと横回転して自分の側のベッドに戻り、タオルケットを顔まで引っ被ってしまった。
やられた――完全な不意打ちに心が乱され、とてもじゃないが今すぐ眠れる気がしない。
とにかく雑念を頭から追い払おうと努力しながら、俺は瞼を強く閉じて体を仰向けに動かしたのだった。




