第228話 言葉と酒を交わす夜
「どうした。突っ立っていないで座ったらどうだ」
促されるままに、一つ椅子を空けて先隣の席に腰を下ろす。
宴会に使っていた大テーブルなので向かいに座ると距離が離れすぎてしまうが、かといって隣に座れるほど図太くはない。
この位置取りはそうした妥協の産物であった。
「…………」
十五年振りの再会はあまりにも唐突で、ガーネットではないが心の準備が出来ていなかった。
何から話すべきだろうかと考え始めた矢先に、父さんがこちらを見ることなく口を開いた。
「ある程度の事情は把握している。説明は不要だ」
「……そっか。やっぱり母さんから?」
「俺の肩書を何だと思っている」
父さんは手元に置いてあった酒を二つのコップに注ぐと、片方を俺の手元に押し付けてきた。
「国王陛下の即位以前からこの村を預かり、白狼の森が王宮直轄領になって以降もお役目を任され続けた村長だ。お偉方から話を聞き出す伝手もそれなりに築いてある」
「ということは……ひょっとして……」
「お前が冒険者としてどの程度の位置付けにあるか……その程度のことは把握済みだ。年に一度程度の、気が向いたときに済ませる確認だったがな」
起伏を抑えた声色でそう告げられ、気まずさから後頭部を片手でかきむしる。
知られていないはずだと信じて隠していたことが、実は前々から筒抜けだったと知らされることが、まさかここまで大きな精神的ダメージになるとは。
「前々から知ってたなら、母さんにも教えてあげればよかったのに」
「馬鹿を言うな。飛び出していった息子がギルドの最底辺でもがいているなど、あの母さんに教えられるものか」
「……ごもっともで」
ここに来てようやく、俺と父さんの間に共感が芽生えた気がした。
母さんが俺の現状を知っていたら、心配の度合いも今よりずっと大きくなっていただろう。
自分の親不孝っぷりを改めて実感しながら、父さんから押し付けられた酒に口をつける。
――この酒、安物じゃない。かなり良いものだ。
さっきまで開かれていた宴会で大量に飲まれていた酒とはランクが違う。
「お前が武器屋を経営し始めたことも、魔王戦争への貢献で陛下から顕彰されたことも、馴染みの王都の下級役人から聞いている。待ち望んだ朗報だとばかりに語ってくれたよ」
父さんは酒を少し口に含んでから、困惑混じりに息を吐いた。
「新騎士団の噂も聞いている。本来なら俺ごときの耳には入らない情報なのだが」
「そこまで知ってたんだ」
「さすがに誤報だろうと思ったさ。魔王戦争で予想外の功績を上げたものだから、話が無意味に大きくなっているんだとな」
まさか父さんが新騎士団のことも知っていたとは――そんな驚きを抱く一方で、間違った情報だと思ってしまうのも納得できた。
「確かに。弟みたいに騎士見習いになって真っ当に騎士を目指すっていうならともかく、いきなり騎士団を任せられるなんて普通はありえないからな」
「マークのことは母さん達から聞いたんだな。歳の離れた弟だから存在自体を忘れているかと思ったぞ」
「さすがにそれはないって……」
嫌味ったらしさや非難がましさは全くない声色だったけれど、それでも家族との関わりの薄さを責められている気分になってしまう。
あいつは俺が村を出たときにはまだ十歳にも満たなかったから、俺のことを覚えているかどうかも怪しいくらいだ。
「またとない機会だ。お前に直接聞いておきたい。新騎士団の話は本当なのか」
「……ええと、それは……」
「情報漏洩の件なら心配するな。俺は既に別経路から不法に情報を得ているのだから、言いふらせばそちらの経路から断罪されるだけだ」
どうするべきかと数秒ほど考え込み、明確な結論を導き出す。
「本当だ……とだけ言っておくよ。同意はしたけど、具体的にどうなるのかはまだ知らないんだ」
「……そうか」
父さんはコップに注がれた酒を半分ほどに減らしながら、厳格に引き結ばれていた口元をほんの少しだけ緩めた。
「だから言ったんだ。お前に冒険者は向いていないと。お前は冒険よりも後方で人を使うことに才能を感じる子供だった。他人の能力と人格を把握し適切な役目を割り振る視点……スキルとは別の性格的なところでな」
「……初耳なんだけど?」
「お前が聞き流していただけだ。夢を否定されたと頑なになって、取り付く島もなかっただろう」
実の親からそう言い切られると、何だかその通りだった気がしてきてしまう。
確かに村を出る直前の俺はひどく頑なだった。
両親の説得にまるで耳を貸さないほどに。
「というか、それって冒険者にも重要な才能なんじゃないか?」
「冒険者ランクは『単独で生還できるダンジョンランク』が一つの基準なのだろう。他人を活躍させる才覚だけがあっても大成できまい」
全くもってそのとおりだったので、反論に窮してしまう。
「しかし……武器屋に転身して成功したと聞いたときは『それ見たことか』と思ったものだが、新騎士団となるとそうも言っていられないな」
父さんは俺の反応など気にも留めず、酒器に残った酒の水面を見下ろしていた。
「俺が引き止めていたら、これほど高みに上り詰めることはあり得なかっただろう。田舎の村長を継がせて一生を終わらせるのが関の山だ」
そして父さんは視線を前に向けたまま、二つ隣の椅子に座った俺の方へ酒器を持った手を伸ばした。
「おめでとう、ルーク」
万感の籠もった短い言葉。
飾り気など必要としない純粋な思い。
十五年分の憂慮が昇華された一言を受け、俺も十五年分の感謝を込めた言葉を返す。
「……ありがとう、父さん」
酒器を打ち合わせて中身を煽る。
不思議と気持ちが軽くなったのは、決して酔いのせいだけではないだろう。
ずっと心に刺さっていた重い楔が抜け落ちて、あまりの身軽さに戸惑いすら感じそうになってしまう。
お互いに言葉を発さぬまま、しんみりとした空気に浸っていると、不意にリビングの入口から粗暴で愛らしい声が投げかけられた。
「……おーい、風呂上がったぜ。白狼のもさっさと入っちまえ――」
父さんとほとんど同時に振り返ると、金色の髪を湿らせた湯上がりのガーネットが、しまったと顔を歪めて立ち尽くしていた。
ガーネットは頭の回転が速いので、俺と一緒にいるのがどこの誰で、どんな話をしていたのかを一瞬で理解したらしい。
「あ、ええと……は、はじめまして。白狼の、じゃなくて……その、ル、ルーク、さんと、えっと……お、お付き……」
「もう猫被っても手遅れだぞ」
「うっせーな! こんなんどうしようもねーだろ!」
出会い頭の事故だとばかりに声を荒げながら、ガーネットは吹っ切れた様子で俺に詰め寄ってきた。
父さんは俺とガーネットのやり取りを横から眺め、そして初めて微笑みらしき形に口を動かし、ガーネットに向かって深く頭を下げた。
「アージェンティア家のアルマ嬢ですね。お話は伺っております。不出来な息子ではありますが、どうかよろしくお願いいたします」
「こっ、こちらこそ! 色々と至らないかもしれませんが! あああ、あと!」
俺の父親との突然の対面に混乱したガーネットが、勢いに任せてとんでもないことを口走る。
「こちらにも込み入った事情がありまして! 孫の顔とかは先送りにさせていただければと!」
「ぶっ……!」
口に含みかけていた酒を思いっきり吹き出してしまう。
そして父さんは、さっきまで欠片も見せなかったような顔で、声を上げて大笑いしていたのだった。




