第226話 故郷の村の夕暮れ
ひとまずジョーイと別れて他のところに行こうとしたところで、ジョーイが不意に何かを思い出したかのように声を上げた。
「そうだ! もしも白狼の森に行くつもりなら、気をつけといた方がいいかもしれないぞ」
「森に妙なことでも起きたのか?」
「いや、特には。動物もずっと大人しいまんまだしな」
じゃあ何なんだと呆れつつ、ジョーイの発言の続きに耳を傾ける。
「湖の畔にできた城に勇者一行が宿泊してるんだが、昨日その使いだかお供みたいな奴が神殿に来て、白狼の森までの道を聞いて帰ったんだ」
「なるほど。勇者が興味を示してるから、ひょっとしたら何かあるかもってことか。分かった、覚えとくよ」
「おう。帰るまでにはもう一回くらい顔見せろよ」
ジョーイに感謝を告げてから再び歩き出し、村の各所をガーネットと一緒に巡っていく。
とはいえ白狼の森にほど近い他には特筆すべきものがなく、観光なんて気の利いたことはできないので、懐かしさに浸りながらガーネットに故郷を紹介するだけだ。
顔を合わせた相手は必ずと言っていいほどガーネットの存在に驚き、その度に『アルマ』という名前の少女であることと、極めて親しい間柄であることを説明する。
そうしてしばらく村を回ってから、村外れの小さな丘で一休みしようとしたところで、ガーネットが遠慮気味に話しかけてきた。
「……なぁ、白狼の」
「呼び方。それだとまた混乱させるだろ」
「今はオレ達しかいねぇんだから別にいいだろ。そんなことより、うろうろしてねぇで家に行かなくてもいいのか?」
「んー、そうだな」
手ごろな岩に腰掛けたまま空の様子を確かめる。
太陽は西に傾いているが、日没まではまだ時間がありそうだ。
「もう少し時間を潰してからにしようか」
「だからおかしいだろ、それ!」
ガーネットは声を荒げ、岩に腰掛けた俺の眼前に回り込んできた。
その顔に浮かぶ表情は怒りではなく困惑。
現状に受け入れ難いものを感じ取ってしまったかのような。
「十五年だぞ! オレが生まれてから今までずっと、お互いに生きてるか死んでるかも分からなかったんだろ!? もっとこう……他の奴に割くような時間があるなら、その分もじっくり話したいもんじゃねぇのか?」
「……そりゃあ、積もる話は山ほどあるさ。でも邪魔をするのも悪いからな」
「邪魔ぁ!?」
困惑を深めるガーネットに、丘から一望できる村の中央を指さしてみせる。
「広場の前の大きな建物が村長の家だ。夕飯時にはまだ早いのに、窓や煙突から煙がたくさん出てるだろ?」
一方、他の家々からはまだ調理の煙が出ていない。
もうもうと煙を上げているのは村長の家、つまり俺の実家だけだった。
「たぶん今頃は、今日中に集められる親戚一同をかき集めて、大急ぎで宴会の準備でもしてるんだろうな。俺が家にいてもろくに相手はできないし、かといって準備を手伝わせたくもない……母さんのことだから、多分そう考えてるんだと思う」
母さんの性格が昔のままならという前提ではあるけれど、それはあの短い会話からでも充分に確信することができた。
間違いなく、母さんは十五年前と何も変わっていない。
俺がまだ子供だった頃、さすがに十五年には及ばなかったが、五年振りくらいにいきなり帰ってきた肉親を迎えるために、今日と同じようなことをしていた記憶がある。
確かあのときは、俺も歓迎のための準備にあれこれと手伝いをさせられたはずだ。
「……そういや色んな奴と会ったけど、お前の親戚とはほとんど会わなかったな」
「だろ?」
ここは決して大きくない村だ。
そんな土地柄を回ったのに血縁者と顔を合わせなかったということは、皆して俺がまだ立ち寄っていない場所に集まっていたということである。
「それと多分、身内で時間を取り過ぎたら、昔の友達に会う暇がなくなるっていう気遣いもあったんじゃないか? もしも俺達が村に長居する予定だったら、普通に家まで連れて行って話し込んでたと思うぞ」
ホワイトウルフ商店の皆を予定以上に待たせてしまっているから、今回のところは村で一泊するのが精一杯だ。
きっと母さんは俺達との会話でそれを察して、身内による十五年振りの再会の祝賀会と、旧友達との再会を両立させることを選んだのだろう。
「何にせよ、あの母さんが『今すぐ家に来い』と言わずに『村の皆に挨拶してこい』なんて言い出したんだ。それなりの考えがあるってのはすぐに勘付いたよ」
「言われてみりゃ、めちゃくちゃ情が深そうな人だったしな……あっさり別れた時点で何かあると思うべきだったか……」
ガーネットが大真面目な顔で考察し始めたのを見て、思わず苦笑を浮かべてしまう。
「けどよ、だったらそう言ってくれりゃあいいのに」
「内緒で準備をして驚かせようとか思ってるんじゃないか? うちの母さん、隠し事が下手なのにこういうの好きだったからな」
「ははは! よくいるよな、そういう奴」
ガーネットは納得顔でやれやれとばかりに首を横に振り、そしてごく小さな声で呟いた。
「……ったく。普通の親子ってのは、ここまで分かりあえてるもんなんだな……」
「おい、ガーネット。今なんて……」
「何でもねぇよ。それより念のために確認しとくけど、オレのことは親兄弟にも『アルマ・アージェンティア』ってことで頼むぜ」
「……ああ、これまで通りにだろ?」
さっき母さんと再会したときにも、こいつのことは『ガーネット』とは呼ばなかった。
理由は単純明快で、こいつのことを『ガーネット』として紹介するか『アルマ』として紹介するかを相談する前に、偶然にも母さんと出くわしてしまったからだ。
必要とあらば本人の判断で名乗らせようと思っていたが、会話の流れで一旦別れてから夜に合流することになったので、その辺りの問題も先送りになっていた。
その後に、村の住人達には『アルマ』で通すことを決め、今に至るというわけである。
「騙すみたいで気が引けるけど、まだ銀翼から抜けられる状況じゃねぇからな。露見するリスクは抑えておきてぇんだ」
「大丈夫、後で説明すれば皆も分かってくれるさ」
ガーネットは母の仇であるミスリル密売組織『アガート・ラム』を討つことを望んでいる。
銀翼騎士団は犯罪捜査と治安維持を司る騎士団。
目的を果たすためには銀翼に所属することが一番の近道だが、あの騎士団は構成員を男性のみに限定する伝統を保っていた。
だからこそ、こいつは『ガーネットという少年とアルマという少女の双子』の名前を必要に応じて使い分けている。
そして今はまだ、母さん達にも『アルマ』の名前で接する必要があると考えたわけだ。
「……よし。もう少し村を見て回ったら家に行こうか」
「お、おうっ」
ガーネットは緊張がぶり返してきたようで、声色すらも固くなっていた。
そうして日が沈むまでの時間を残りの挨拶回りに費やしてから、改めて村長の家へと足を運ぶ。
扉越しにも聞こえる賑やかな声。窓から漏れる眩い明かり。
屋内に感じる人の気配は十人やそこらでは収まらない。
隣に立つガーネットに眼差しを向けて「ほら、やっぱり」と囁くと、ガーネットは緊張感に張り詰めた顔を赤く染めたまま頷いた。
――いつかは開けなければならないと思いつつも、結局は十五年も先送りにし続けてしまった扉に今こそ手をかけて、躊躇うことなく力を込めた。
大事な誰かが隣にいてくれることの心強さに、強く背中を押されながら。




