第223話 白狼の森へ続く道
今後の方針も決まったので、アークライト大橋を発って白狼の森へと進路を変える。
橋の崩落で足止めを食らった人々のうち、遠回りを選んだ旅人の大部分は町を渡り歩くルートを選んでおり、俺達と同じ道を行くグループはほとんど見当たらなかった。
「にしても、白狼の森って意外と王都に近かったんだな。もっと離れてるイメージがあったんだが。まぁ近いっつっても馬車で数日は掛かるんだけど」
「そりゃそうだ。近いからこそ選ばれたようなものだからな」
到着までかなり時間があるので、これまでにしたことのなかった話をガーネットに語って聞かせる。
――今から二十年以上前、大陸が数多くの国々に分かれて争っていた時代。
まだ一介の冒険者だったアルフレッド陛下は、後に大陸を統一するウェストランド王国の前身となる国の王位を得る条件として、とあるアーティファクトの獲得を命じられた。
試練に臨む陛下は白狼の森の最寄りの村で一晩を過ごし、このときに交わした会話が俺の冒険者に対する憧れの源泉となったわけだが――
「お前はまだ生まれてなかったから実感が薄いかもしれないけど、当時は国の一つ一つが今より小さくて、冒険者も自分の国や同盟国以外で活動するのは難しかったんだ」
「知識としちゃ知ってるよ。けど言われてみりゃ、物心ついた頃にはとっくにウェストランドの一強状態だったな。対等な国が何十個もあったとかピンとこねぇや」
「はは……歳の差がでかいってこと、嫌でも思い出しちまうな」
俺にとっては強い実感のある記憶も、ガーネットにとっては知識として学んだだけの過去の姿。
不可避の世代間の認識相違に内心で打ち震えながら、動揺を悟られないように気をつけて続きを口にする。
「とにかくそういうわけだから、王位継承者の選定の試練も、遠く離れた土地じゃなくて同盟関係の隣国で行われた。それが白狼の森だったんだよ」
「なるほどな。確かにそれくらい昔なら、王都から白狼の森くらいの距離でも『外国』だったわけだ。今じゃ信じらんねぇけど」
かつては小分けになっていたこの大陸が、アルフレッド陛下とウェストランド王国の名の下にほぼ統一されたことで、人々の価値観も確実に変わってきている。
いわゆる『近い』『遠い』という概念はその最たるものだ。
「……そういや白狼の。お前って確か王都には行ったことなかったんだよな。白狼の森からは頑張りゃ行ける距離だったんじゃねぇか?」
「当時はまだこの街道もなかったからな。村から道が繋がっていた都市は、村を挟んで王都と反対側にある元々の国の首都だけで、俺もその町で冒険者に登録したんだよ」
十五年前、陛下が即位してから五年後の時点で、白狼の森があった隣国は陛下が率いる国に吸収合併されていた。
しかしインフラ整備は未完成で、村を出た十五歳の俺が王都へ直行する手段はなかったのである。
「その後は村を飛び出した後ろめたさで、活動場所をどんどん遠くに移していった。当時は王国が勢力を拡大し続けていて、新しい領土では冒険者の需要が多かったのもあるな」
「んで、気が付いたら故郷からも王都からも遠く離れていたと」
「いわゆる冒険者ギルドは元々ウェストランド王国の前身になった国の組織だったから、領土が広がるたびにギルドの縄張りも広がって、新しい縄張りに俺みたいな冒険者が移動して……っていう具合だ」
グリーンホロウの『日時計の森』や『魔王城領域』に大勢の冒険者が集まったのと同じ現象が、大陸のそこら中で発生していた時代だと言いかえれば分かりやすいだろうか。
昔語りをしながら過去を懐かしんでいると、ガーネットが微笑を浮かべてこちらを見ていることに気が付いた。
「……どうかしたか?」
「いーや、何でもねぇよ。おっ、湖が見えてきたぜ!」
ティターニア湖。大陸屈指の面積を誇る巨大な湖。
王都の近隣を流れる大河から枝分かれした分流の一本が流れ込み、周囲を鬱蒼とした大森林に包まれた、古くからの自然が残ると伝えられる水と緑の領域。
とはいえ全方位が森林に囲まれているわけではなく、王都から見て反対側に位置する部分は開けた土地になっており、俺が生まれ育った村もその地域に存在している。
昔は森林と湖に阻まれて、王都へ行くのはかなりの長旅になってしまったが、今では湖に沿った街道が拓かれて随分と楽になったはずだ――という話を、車内で地図を広げながらガーネットにする。
「ん? あんなところに城なんかあんのか。いや、城っつーより屋敷か?」
ガーネットの視線の先には湖畔に佇む大きな建物があった。
俺の記憶にはない真新しい建物だ。
「多分、街道ができてから建てられた別荘だろうな。交通の便も改善されたわけだから、別荘地にしようって考える奴がいても不思議じゃない」
「確かに。クソ真面目な貴族が好きそうな風景だ。そういう手合いって、何故か人里離れた絶景の近くを選びたがるんだよなぁ」
のんびりと会話を交わしながら馬車に揺られ、半日以上を掛けて森と湖に挟まれた街道を抜け、視界の開けた土地に到達する。
「お、村だな。あれがお前の故郷か? つーか今更だけど、さっきの森が白狼の森だったのか?」
「いや、どっちも別だ。森の端に他の場所とは植生が違うところがあって、そこだけが『白狼の森』と呼び分けられてるんだ」
俺がそう説明している間にも、御者は迷うことなく馬車を白狼の森へと向けていた。
そこからしばらく森の外縁に沿って馬車を走らせると、俺にとっては懐かしさを覚えずにはいられない風景が視界に飛び込んできた。
「変わってないな、ここは。いや、前より少し賑やかになってるか」
街道から枝分かれした村道の先にある、何の変哲もない平穏な村落。
特筆すべき特徴があるわけではなく、しかし寂れているというわけでもない。
とてもありきたりで、だからこそ懐かしい俺の故郷。
ガーネットと一緒に馬車を降りて、村の前に立って懐かしさに耽っていると、記憶の奥底を揺り動かすような柔らかな声が投げかけられた。
「あら? あの、もしかしてあなた……ルーク? ルークなの?」
振り返ると、そこには十五年前よりも加齢の目立つ、けれど決して忘れることなどできない女性が、口元に手を当てて目を丸くしていた。
こんなときは何と言うべきか――予め考えていた小賢しい言い訳は既に消え失せ、あるがままの言葉が溢れる。
「ただいま、母さん」




