第222話 想定外の遠回り
何はともあれ、崩落したと報道されているアークライト大橋の様子を見に行かなければ始まらない。
準備の整った馬車に乗り込んで再出発し、そのまましばらく先へ進んだところで、ガーネットが忌々しげに口を開いた。
「しっかし、勇者か……ファルコンのせいで全くいい印象がねぇな」
「勇者はあいつだけじゃないんだ。大陸中に何十人もいるんだから、真っ当な奴も世の中にはいるさ」
かつて俺をAランクダンジョン『奈落の千年回廊』の底で切り捨て、魔王ガンダルフに破れて竜人に作り変えられ、一時的にせよ人類と敵対した男、勇者ファルコン。
あいつを勇者の典型例と見なすのは他の勇者達に失礼だ。
勇者とは王宮に実力を認められ、人類にとって脅威となる魔物や魔族を討つことを役目とする存在。
ダンジョンから抜け出してしまった魔物の討伐も仕事のうちであり、さっきの新聞で報じられていた勇者はきちんと役割を果たしていたのである。
「というか、俺じゃなくてお前がファルコンのことを根に持ってどうするんだよ」
「根に持ってるってわけじゃねぇけど……なんつーかこう、イライラするっつーか。相手がお前じゃなきゃ違ったんだろうけどさ……」
「そりゃどうも。けど俺はそれなりに割り切ったつもりだから、あんまり気にしなくたっていいんだぞ」
言い換えれば、それくらい大事に思われているということでもあるので悪い気はしなかったが、こんな理由で不快にさせるのも申し訳ない。
一言では言い表せない感想を抱えたまま、馬車に揺られてアークライト大橋へと向かっていく。
王都へ移動していたときは多くの馬車や旅人がスムーズに往来していたのだが、今は大河の畔で数えきれないくらいの人々が足止めを食らっていた。
「こいつは酷ぇ。橋が跡形もないじゃねぇか」
ガーネットと一緒に馬車を降りて、人混みを抜けて川辺から現状を観察する。
「白狼の、これ修復せそうか?」
「ちょっと待ってろ」
川の水に手を付けて【解析】の魔力を川底に流してみる。
把握できた範囲には橋の残骸が全く見当たらない。
底に残骸が残っていれば力尽くで【修復】できたかもしれないが、これでは手の施しようがない
「駄目だな。残骸がないんじゃ【修復】のしようもないぞ」
「くそっ、とりあえず状況を知ってそうな奴は……おっ、あいつならどうだ」
川辺では騎士達と思しき集団が人混みを整理している。
さすがに鎧は着込んでいないものの、服装や立ち振舞いが明らかに騎士のそれであり、遠くからでもそれと判別することができた。
「すみません。少しお話を伺いたいんですけど」
「ん? ああ、ちょっと面倒なことになっていてね」
騎士から聞いた話によると、アークライト大橋は構造の大部分が木材で作られていたため、シーサーペントに破壊された残骸がほとんど下流に流れてしまったらしい。
木製ゆえに前々から老朽化が進んでいたこともあり、これを機に石造での建て直しが決定されたが、実際に作業が開始されるのはもう少し後になるそうだ。
現状、足止めを食らっている旅人達は渡し船によって運ばれているが、船の大きさの都合で馬車の運搬は不可。
馬車は残して川を渡り、反対側で乗合馬車に乗り換えるしかないとのことだった。
「ところで、シーサーペントを倒した勇者はどこに? あとシーサーペントの死体も見当たりませんね」
「魔獣の死体は冒険者ギルドがすぐに片付けてくれたよ。勇者エゼルの一行はすぐに出発してしまって、今はどこにいるのやら」
勇者エゼル――聞いたことのない名前だ。
王宮から認定を受けて日が浅い勇者なのかもしれない。
知りたかったことはおおよそ聞くことができたので、一旦ガーネットと合流して意見を求めてみることにする。
「乗合馬車か。どうする?」
「あんまり気は進まねぇな。単純に遅ぇし、遠回りするのと変わらねぇんじゃねぇか?」
ガーネットは乗合馬車の利用に乗り気ではないらしい。
馬車の移動速度は、繋げられている馬の頭数と車体の大きさによって変わってくる。
シンプルな話、馬が多くて荷物が軽ければ速く移動することができるわけだ。
その点、乗合馬車は条件が良いとは言い難い。
大勢が乗り込めば必然的に『積荷』が重くなるし、こういう状況なら一度にできるだけ多く乗せることになるから、移動速度はまるで期待できないだろう。
「しょうがない。とりあえず、予定より遅れるっていう手紙をグリーンホロウに出しておいて、遠回りのルートを考えるとするか」
「手紙? ……ああ、言われてみりゃそこら中に運び屋がいるな。ここぞとばかりに稼ぎにきてるってわけか」
大河の両方の川岸にごった返した人混みのうち、一割くらいは旅人ではなく輸送業者のようだ。
渡し船、乗合馬車、そして荷物の運び屋。
新たに見つかったダンジョンに冒険者が群がるかのごとく、シーサーペントの大暴れで生まれた突然の稼ぎ時を逃すまいと、色々な業者が集まってきている。
もしも俺が橋を【修復】できていたら、旅人達からは喜ばれたかもしれないが、あの業者達からは心底恨まれていたかもしれない。
「んじゃ、馬車に戻ろうぜ」
ガーネットと馬車まで引き返し、そこで 馬車の御者も交えて遠回りルートを考えることにした。
「そうですね……ひとまず回り道の候補は二つほどございます」
御者の男が地図を広げ、俺達に別ルートの候補を説明する。
「一つ目は上流の街道の橋を渡る経路です。いくつかの町の近くを通過するので補給はしやすいのですが、相応に遠回りをしてしまうことになりますな」
地図をぱっと見るだけでもそれはよく分かる。
元々通る予定だった街道が直線に近いのと比べて、複数の町に立ち寄るために経路が大きく歪んでいて、見るからに最短経路よりも道中の利便性を重視している。
「もう一つは下流の湖に沿って迂回する経路です。これが極めて大きな湖でして。馬車でも一周するのに最低二日は掛かるとされ、前者の経路ほどではないにせよ時間が掛かります」
「乗合馬車に乗り換えるのと比べたらどっちがマシだ?」
「湖を迂回する方がよろしいかと。何より乗合馬車は環境がよろしくありません」
馬車での長距離移動に慣れているだけあり、御者の意見はかなり参考になった。
この条件なら湖を迂回する経路が一番――
「それと、湖の周辺は風光明媚な土地柄でございます。最寄りには神秘的な白狼の森もございますので、この機会に立ち寄ってみられるのもよろしいかと」
――訂正、やっぱりやめよう。
ああそうだ、大きすぎるせいですっかり意識から外れていたが、この湖にはこれがあった。
「やっぱり上流の街道から行こう。湖の周りは本当に寂れてるから、万が一のことがあったら大変だ」
「いいや! こっちで決まりだ!」
ガーネットが俺の背後から肩に腕を回すようにして覆い被さり、にいっと満面の笑みを浮かべた。
言外に笑顔の意味がひしひしと伝わってくる。
悪意だとか困らせようとかいう気持ちが一切混ざっていない、純粋な喜びの色。
「お前の故郷にも行ってみたかったんだ。な、いいだろ?」
「……まぁ、いつまでも連絡一つ寄越さないってわけにはいかないか」
帰れない理由があるわけじゃない。
身内と顔を合わせることに不都合があるわけでもない。
ただ単に、冒険者になりたいと言って故郷を飛び出しておきながら、大成できずに十五年も経った気まずさがあったというだけのこと。
後はそれに加えて、グリーンホロウに来てからの環境の激変が凄まじすぎて、どうにも報告しにくかったというのもある。
けれど、これからもずっと連絡を絶ち続けるわけにはいかない。
騎士叙勲のことも、ガーネットとの関係も、できるだけ早く伝えなければとずっと思ってきた。
心の準備だの何だのと理由をつけて後回しにしていたら、きっといつまでも先延ばしにし続けてしまうだろう。
「お前とのことも親兄弟に報告しておかないと。さすがにこればっかりは事後報告にできないからな」
「お、お前なぁ……! そーいう話は……考えてなかったわけじゃねーけどよ……」
ガーネットが言葉を濁して視線をさまよわせている間、御者の男は素知らぬ顔で席を外し、まるで『全く話を聞いていませんよ』と言わんばかりの態度で馬具の手入れをしていた。
……やっぱり、ガーネットの事情を把握したうえでの気遣いだったりするのだろうか。




