第221話 長い帰路の一幕
王都を後にしてしばらく経った頃。俺とガーネットはアージェンティア家所有の馬車に揺られながら、グリーンホロウ・タウンまでの道程をのんびりと進んでいた。
運転は専従の御者がやってくれるので、俺達は本当にただ馬車に揺られているだけだ。
当然ながら移動中は時間を持て余すことになってしまい、どちらからともなく色々な話題を持ちかけて、とりとめのない会話に興じることになった。
――例えば、俺が王都に来るまでの詳しい顛末。
ガーネットが本当の事情を……前騎士団長である父親からの『婚約者を見繕うため貴族の夜会に出席せよ』という命令を隠して発った翌日、エリカが間違えて廃棄した書類を【修復】した拍子に父親からの手紙まで復元してしまい、本当の事情を知ったこと。
トラヴィスを紹介すると約束してレイラから情報を引き出したり、ドラゴン絡みの探索に付き合うという条件で貴族の息子のセオドアに紹介状を書いてもらったりと手を尽くし、取引相手のサンダイアル商店の本部への出張という名目で即座に王都へ向かったこと。
大まかな事情は王都滞在中にも伝えていたが、詳細な経緯を聞かせるのはこれが初めてだ。
この話をしている間、ガーネットはずっと上機嫌な笑みを浮かべていて、こっちが視線の置き場に困るくらいだった。
――例えば、俺が到着するまでに王都で起きた出来事や、アージェンティア家の人々について。
夜会の席で対面したのは父親のレンブラント。
昔ながらの古い価値観を引きずった人物で、ガーネットに婚約者探しを要求したのも、結婚によって他の一族との結びつきを強めることが大事だという考えに基いているらしい。
他にも、あのときの王都にはカーマイン団長以外の兄姉もいたそうだ。
まずはアージェンティア家の次男ヴァレンタイン。
普段から手袋と外套で肌を隠し、穴の空いていない白い覆面で首元までも覆っていて、ガーネットも物心ついた頃から一度も素顔を見たことがない。
怪我のせいとも病気のせいとも言われていて、長男亡き後も後継者になれなかった原因はこの辺りにあると目されているようだ。
この男は身内にも滅多に姿を見せず、例の夜会には参加すらしていなかった。
もう一人はアージェンティア家の長女のスカーレット。
かなりの財力を誇る伯爵と結婚していて、本人もそれを誇りに思っており、ガーネットとは根本的に価値観が食い違っているという。
その伯爵が例の夜会の主催者だ。
俺も伯爵夫人が来客をもてなしている姿を遠くから目にしたので、スカーレットのことは顔だけは知っている。
スカーレットは客観的に評価すれば確かに美人だったが、母親違いの姉妹だからか、体格も顔立ちもガーネットとは全く似ても似つかなかった。
「んで、お前としてはああいう女ってのはどうなんだ?」
「何だよ急に。どうなんだって言われてもな……」
唐突過ぎる質問に戸惑いつつ、とりあえず返答を考えてみる。
とはいえ俺はスカーレットのことは遠巻きに目撃しただけなので、外見以外の評価基準は何一つ持っていないのだが。
「……見た目だけで言うなら、そこまで関心は引かれないな。美人だとは思うんだが、派手すぎるというか刺々しさが透けて見えるというか」
「ふぅん……確かにお前にゃ合わねぇかもな」
そう言って、ガーネットはにやりと笑みを浮かべた。
小馬鹿にするような不敵な笑い……と言いたいところだったが、長い間こいつの顔を見てきたせいで、別の本音が隠れていると察することができた。
例えばこの表情なら、嬉しさのために自然と浮かんでくる笑顔を、わざとらしい不敵な笑みで上書きしたのだろう。
もちろん口に出して指摘したりはしない。何も言わずに眺めるだけ。
こんな狭い場所で足を蹴ろうとされたら大変だ。
次の話題は何にしようかと漠然と思考を巡らせていると、馬車の手綱を握っている御者が、小窓を開けて俺達に話しかけてきた。
「ガーネット様、次の街道宿が見えてきました。馬を休ませたいですし一息つきませんか」
「そうだな、ちょっと休憩するか。白狼のもそれでいいか?」
「ああ、昼飯にもちょうどいい頃合いだな」
主要な街道沿いには一定間隔で宿屋が設けられている。
徒歩での旅人の食事や宿泊はもちろんのこと、馬を休ませるための備えも充実していて、馬車や騎馬での移動も手厚くサポートしてくれる施設である。
しかも常に何頭かの馬を飼育しているので、極度に急を要する用件の場合でも、馬を体力の限界まで走らせては乗り換えるという強行軍が可能となっている。
こういった街道宿は、いわば帝国の輸送網を支える屋台骨なのだ。
馬車が柵で囲まれた敷地内に入っていく。
俺達は途中で降りて食堂へ向かい、馬車は馬ごと専用の区域へと運ばれていった。
「とりあえず昼飯はここで食って、今夜の宿は二つか三つくらい先の街道宿だな。白狼のは何にする?」
「宿のおすすめ品はミートパイか……じゃあこれで。グリーンホロウまではあと二日くらいか? 先に送った土産はそろそろ届いてる頃合いかな」
大陸の大部分を版図に収めているだけあって、ウェストランド王国はとにかく広大だ。
優れた街道網を駆使しても、都市から都市までの移動は数日掛かりになってしまう。
とりあえずガーネットと一緒に昼食を済ませ、馬達の休憩が終わるまでの時間を潰すために、食堂に置かれていた王宮発行の新聞紙に目を通す。
情報のやり取りが迅速になったのも街道網の発達の恩恵だ。
俺が冒険者として現役で活動していた頃も、ギルド発行の機関紙から色々な情報を得たものである。
「ん、凄いな。夜の切り裂き魔事件が解決したって話、もう載ってるぞ」
「てことはオレ達、途中でその情報に追い抜かれたってことか」
ガーネットはデザートに注文したドライフルーツを摘みながら、愉快そうに笑った。
夜の切り裂き魔――長らく王都を揺るがした連続殺人事件。
まさか自分がその解決に関わるとは夢にも思わなかったが、どうやら公式には俺の名前は発表されていないらしく、紙面にも『冒険者を含む民間協力者』とだけ記されている。
それを見て思わず安堵する。
犯人と思われるアズールとピンキーの偽物の裏に、黒幕ともいえる連中が潜んでいないとも限らないのだから、こんな形で名前が広まるのは間違いなく危険だ。
そのまま新聞のページをめくり、次の見出し文に思わず目を奪われる。
「アークライト大橋、崩落……? 原因は海から溯行した魔獣シーサーペントの激突……出現地点は海底ダンジョンか……既に魔獣は勇者により討伐、しかし橋の復旧は未定……」
「おいおい、帰りに通る予定の橋じゃねぇか。冗談じゃねぇぞ。お前なら【修復】できねぇのか?」
俺が読み上げた内容を聞いて、ガーネットも眉をひそめる。
「現場を見てみないことには何とも。瓦礫の大半が水の底なら直しようがないかもな」
溜息混じりにテーブルの上で新聞紙を畳む。
どうやらグリーンホロウまでの帰り道も一筋縄ではいかないようだ。




