第213話 戦う者、直す者、
「ほざきやがれ!」
両脚に込められた魔力が一気に解き放たれ、スカートを激しくはためかせながら、ガーネットの肉体が機械弓の矢弾のごとく一直線に加速した。
凄まじい踏み込みと剣撃に石畳の路面が悲鳴を上げ、付近に立つ街灯が暴風に晒されたかのごとく揺らぎ軋む。
ガーネットはスキルによる瞬間強化を絶え間なく発動させ、嵐のような斬撃を加速させ続けた。
しかし曲芸じみた不規則な回避を重ねるアズールには命中させられず、黒衣を裂き無機質な体の表面を浅く削るに留まってしまう。
合間を縫って繰り出される隠し刃が、少しずつ着実にガーネットを傷つけ、石畳の路面に痛々しい鮮血を散らしていく。
「ぐうっ……!」
突然、触れられてもいないガーネットの左大腿部から血が吹き出す。
ガーネットはミスリルの長剣に魔力を込めて振り下ろし、魔力の斬撃で路面を吹き飛ばして、その余波でアズールを後方へと退けた。
「ったく、今どこから撃ち出しやがった。無茶苦茶な体しやがって」
「人形ですからねぇ。あちこち空洞だらけなので」
太腿に刃渡りの半分ほどが突き刺さった、柄のないナイフ程度の長さの刃物を引き抜いて、ガーネットは再び油断なく構えを取った。
俺の目には全く映らなかったが、どうやらアズールが体のどこかから隠し刃を放ったらしい。
オーガスト一座のアズールとピンキーの演目は軽業と奇術。
今になって思えばどちらもアズールの戦闘スタイルそのものだ。
観客を沸かせた名演が、よもや殺人技術の一端だったなど果たして誰が想像しただろう。
「おやぁ? おやおやぁ? 動きが鈍くなってますよぉ?」
「人形がペラペラ喋ってんじゃねぇよ。怪談話の化物は黙って殺すのが王道だぜ? 口が軽ぃと興醒めだな!」
アズールの余裕ある煽りにガーネットが応じるも、動きが精彩を欠きつつあるのは否定できない現実だった。
原因は間違いなく、今も出血を増す左脚の負傷である。
踏み込みや足運びに支障が生じているのはもちろんのこと、激痛を堪えるたびに上半身の動きも遅れ、攻撃を当てられずに負傷ばかりが増えていくという悪循環が生じていた。
――『右眼』を通して視る左脚の負傷は、明らかに迅速な治療を必要とする深手だった。
傷が深くないように思えるのは、それが刺し傷だからに過ぎない。
切創は一目で酷さを理解できるが、刺創は外観では深さの推測が難しく、肉の奥を流れる太い血管を傷つけている恐れもある。
とにかく【修復】をしようと駆け出そうとした瞬間、ガーネットが鋭い声を上げた。
「来るんじゃねぇ!」
「……っ!」
「こいつはオレがやる! 手当は後でいい!」
己の不甲斐なさに思わず歯を食いしばる。
現状、俺はガーネットとアズールの戦いから完全に締め出されている状態だ。
恐らくガーネットはこれが俺を守り切る最善手だと確信し、意図して離れた場所で戦い続けようとしているのだろう。
情けないことに、その選択の正しさは俺自身が一番良く分かっていた。
すぐにでも駆けつけて傷を癒やしてやりたい。
しかしそんなことをすれば、アズールが俺までも攻撃対象に加えてしまうだろう。
自分が傷つくことは全く怖くない。
俺の負傷ごときでガーネットの傷を癒せるのなら、比較するのも馬鹿らしいくらいに安いものだ。
だが、きっとガーネットは俺を守ろうとするだろう。
俺がガーネットの傷を治したいと思うのと同じくらいに全力で。
そのせいで余計に深手を負わせてしまったら。
戦闘不能に陥ったガーネットと無力な俺が、揃ってアズールの凶刃に晒されることになってしまったら。
理性的な思考は『だから行くな』と訴える。
しかし感情は『構わず走れ』と吼えたける。
数日前の俺なら理性に従って冷静に行動していたことだろう。
けれど今は。今となっては。
体が走り出そうとしたまさにそのとき、暗い夜には似合わない甲高い鳥の鳴き声が周囲に響き渡った。
「なっ……?」
「んっ……?」
ガーネットとアズールが揃って何事かと動きを止める。
異常とは言い難いが異質な出来事。現状把握を優先するのは当然だ。
「今のは……そうかっ!」
そして俺は、何の躊躇いもなく一直線に駆け出していた。
感情の暴走などではなく、純粋に理性的な思考に後押しされて。
「来るなっ! ルーク!」
ガーネットが叫ぶ。
アズールは頬が裂けんばかりの嘲笑を浮かべ、ガーネットの脇を抜けて俺めがけて飛びかからんとした。
「馬鹿が! まずは治療師から――」
その瞬間、半透明の狼がアズールの脚に牙を突き立てた。
「――なあああああっ!?」
精霊獣。魔力によって編み上げられた肉体なき獣。
アズールが体勢を戻すより先に、裏路地から駆け出てきた精霊獣の大熊が前脚を振り抜き、アズールを狼ごと弾き飛ばした。
文字取り玩具のように水平に吹き飛ばされ、石畳の路面をバウンドするアズール。
そこにすかさず十体近い精霊獣が殺到し、牙と爪を立て続けに叩き込んでいく。
俺はその間にガーネットのところまでたどり着き、唖然とするガーネットの体に【修復】スキルを発動させる。
「お、おい! なんだありゃ!?」
「ロイのスキルだ。さっき団長から精霊獣の鳥を預かったろ。そのときに気付いたんだよ。ロイが騎士団に協力してるんだなってさ。だから、現状で送り込める精霊獣を全部寄越せって言ってやったんだ」
事情を説明しながら、可能な限り迅速に【修復】を完了させる。
ガーネットがどこを負傷したのかはおおよそ把握済みだ。
すぐにでも治してやりたいと願いながら視界に収め続けていたのだから。
「よく鳥一匹で気付いたな」
「そりゃ気付くさ。なんてったって、ロイの奴が気に入ってた形をしてたからな」
三年前、最初にロイを見つけたとき、あいつは精霊獣の鳥だけを供にして、弱りきった姿で街角に座り込んでいた。
カーマインから預かった鳥は、まさしくその姿をしていたのだ。
一通りの【修復】が終わったところで、アズールを攻撃していた十体近い精霊獣の群れが、瞬き一つの間に斬り刻まれて霧散する。
「がああああああああああっ!」
声というよりも騒音に近い咆哮を上げてアズールが立ち上がる。
腕からも脚からも隠し刃が伸展し、胸部も肋骨が開いたかのように複数の鎌状の刃が展開されている。
その全てがミスリル細工。
ことごとくが何かしらの魔法的効果を帯びているらしく、精霊獣といえど全出力の一部を割いただけでは太刀打ちできないのも当然の代物である。
「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔ッ! こいつらあたしの邪魔ばっかしやがる! 決めた! お前らの次は飼い主だ! どいつもこいつもサイコロよりも細切れにしてやるよ!」
アズールの黒衣はそこかしこがちぎれ落ち、人形そのものとしか言いようのない胴体と関節構造が見え隠れしていた。
損壊は顔面にも及び、人間を模した表層部の左半分が欠け落ちて、人形の素体の顔面が露出している。
顔の半分が怒りに歪んだ笑みを浮かべ、もう半分が人ならぬ素顔を晒している様は、思わず目を背けたくなるほどに不気味であった。
「助かったぜ。後はオレが……」
「いいや、俺も戦う」
「無茶言うな! さすがにお前を庇いながら戦える相手じゃねぇんだぜ」
「手段は考えてある。一瞬でいい。俺の手が届く範囲であいつの動きを止めてくれ」
構えを取ったガーネットの後ろから肩に手を置き、ぐっと力を込める。
ガーネットはそれだけで俺の意図を察し、両足で石畳の路面を力強く踏みしめて、人形の本性を露わにしたアズールと対峙した。
「してあげましょうか! バラッバラにねぇ!」
隠し刃を全展開したアズールが、一瞬のうちに最高速度まで加速して肉薄する。
俺ではとてもじゃないが反応しきれない超高速を、ガーネットは完全に見切って最初の一撃を受け流す。
だが一振りの長剣で一度に受けきれるのは一太刀のみ。
もう片方の腕の刃が肩を貫き、膝の刃が膝蹴りと同時に細い胴体の急所を刺し貫く。
「あはははは! ――は?」
「――逃がすかよ」
ガーネットはアズールの脚を抱き込むようにして捕まえていた。
ほんの一秒、たったそれだけの静止状態。
短いわけがない。足りないはずがない。ガーネットが俺を信じてもぎ取ってくれた隙なのだから。
全力でガーネットの肩越しに右腕を伸ばし、半壊したアズールの顔面を鷲掴みにする。
俺の『右眼』は確かに捉えている。
アズールの額の奥に秘匿された魔法文字――ゴーレムとしての全機能を統括する急所中の急所を。
「おおおおおおっ!」
右手を介して全身全霊の【分解】の魔力を注ぎ込む。
その力は表層を砕き深層を崩し、魔法文字が刻まれた箇所を刹那のうちに粉砕した。
「あ、がっ! ひぎっ! があああああああっ!」
人形の頭部が弾け飛ぶ。
中枢を破壊された無機質な躯体は、それまでの生々しい動きぶりが嘘のように、がしゃりと音を立てて石畳の路面に崩れ落ちた。
ガーネットの腹に突き立てられた刃も血糊の糸を引いて抜け落ち、水風船が破れたかのような大量の血を噴出させる。
俺はすぐに腹と肩の傷に手をあてがい、ガーネットを後ろから力の限り抱き締めながら、ありったけの魔力を注ぎ込んで【修復】を発動させた。
「へへっ、うまくいったみたいだな」
「ああ……だけど無茶しやがって……」
「無茶させたのはお前だろ? それに、お前がいれば平気だって信じてたからな」
ガーネットは俺に背中を預けたまま視線を上げ、屈託のない笑顔を浮かべたのだった。




