第212話 黒尽くめの殺人人形
――『叡智の右眼』を通して黒尽くめの人影を直視した結果、俺は言葉を失って困惑せざるを得なかった。
「(周りに、何も視えない……外部から干渉されてるわけじゃないのか?)」
あの黒尽くめの人影が、何者かに操られている様子が全く見受けられないのだ。
仮に人影の正体が魔法によって操られた人形なら、先ほどガーネットと交わした会話のとおり、それらしき干渉の様子が視えるはずだ。
……厳密には、見えるという確たる根拠があったわけではないが、視えないのは不自然だという感覚があった。
魔力で編み上げられた糸。
指向性を持たせた魔力の投射。
あるいは広範囲への魔力波の拡散。
操り人形であればそういう干渉が視えるはずだという確信があったのだが、あの黒尽くめの人影は完全に独立、あるいは孤立していた。
「(だったら、格好が同じだけの人間なのか? いや、だとしたら、あんな視え方はおかしいだろ……!)」
この右目――『叡智の右眼』は、どの場所にどのような形で【修復】スキルを使えばいいのかを示してくれる。
効果対象は通常の【修復】だけでなく、派生機能である【分解】も含まれている。
そして今、人影の全身は『ここを【分解】できる』と暗示する淡い光に塗り潰されていた。
「(あれが人間なら【分解】はできないはず……なのにどうして……)」
操作されている様子はなく、しかし生物とは思えない反応を示すという矛盾。
それを一挙に解消できる仮説もあるにはあるが、安易に断定できる代物ではなかった。
「白狼の! 何が視えた!」
「……魔法で操られてるわけじゃない! だけどあれは……!」
ガーネットに『叡智の右眼』で視えた光景を伝えようとした瞬間、黒尽くめの人影が凄まじい速度の踏み込みで間合いを詰めてきた。
二振りのミスリルの短剣が目にも留まらぬ連撃を繰り出し、ガーネットが一振りの長剣でそれを凌ぎ切る。
「このっ!」
ミスリルの長剣に刻まれた魔法紋が励起し、振り抜きと同時に魔力の衝撃波を叩き込んで人影を大きく後方へ退かせる。
間髪入れず、ガーネットは黒尽くめの人影へ肉薄して追撃を繰り出した。
恐らくあいつは、敵を俺の近くから引き剥がそうとしているのだ。
近くで戦えば白兵戦に巻き込んでしまうかもしれないから。
不意に湧き上がってきた無力感に歯を食いしばる。
こんなことになるなら、ノワールやアレクシアに頼んで、スキルとは無関係に戦える装備を用意してもらえばよかった――そんな後悔が脳裏を掠めたが、今となってはどうしようもない。
無意味な後悔を頭の中から追い出して、自分にできることをしなければと思い直す。
「ガーネット! そいつは人間じゃない! 人間のはずがない!」
「何ぃ!?」
驚きの声と同時に長剣が一閃。人影の右手に握られた短剣を弾き飛ばす。
次の瞬間だった。
黒尽くめの人影の右前腕部の側面から、まるで折り畳みナイフのように刃が展開してガーネットを斬り裂いた。
「……っ! ガーネット!」
「甘い!」
長剣が逆巻くように斬り上げ、素顔の見えない人影の顔面を下から縦に叩き斬る。
そして両者はほとんど同時に後方へ飛び退き、一定の距離を保ったまま睨み合いの体勢に入った。
どうやらお互いに攻撃が浅かったようだ。
ガーネットが斬られたのは着衣の胸部分だけで、露出した素肌には傷一つ――胸元の古傷は別として――刻まれていない。
一方、黒尽くめの人影も、断ち切られたのはフードの下で素顔を隠していた無地の仮面だけだったらしく、破壊された仮面の残骸が地面に転がっていた。
「仕込み刃か。なるほど確かに、あいつは人間じゃねぇらしい。さっきの人形の戦いを見てなかったらヤバかったな」
「良かった、無事か」
「当然だろ? しっかし、人間じゃないうえに魔法で操作されてねぇとか、一体どういうことだ?」
「手足だけが作り物ってだけなら簡単だったんだけどな……俺の『右眼』には、胴体も手足と同じ造りだとしか視えないんだ。つまり……」
にわかには信じがたいことだったが、考えうる可能性を全て潰した後に残ったものであるのなら、どんなに異常でもそれが真相のはずだ。
「……あいつは自律式の人形なんだ。人間の達人並みか、それ以上に強い人形だ」
「馬鹿馬鹿しい! ……って言いてぇところだが、そう考えりゃさっきの戦闘も納得できるぜ。だが、一体どこのどいつが造った代物なんだ? また魔王ガンダルフのトンデモ技術か?」
ガーネットは油断なく長剣を構え続けている。
しかしどういうわけか、ガーネットと対峙していた黒尽くめの人影が一方的に構えを解き、ゆらりと姿勢を自然体に戻した。
「参りましたねぇ。まさか視ただけでそこまで見抜かれるなんて」
それはどこかで聞いたことのある声だった。
「大抵の人は操り人形と誤認して、本体探しに無駄な隙を晒してくださるんですけど。これじゃ正体隠し損ですよぅ」
黒尽くめの人影が自らフードを外す。
露わになったその素顔は、オーガスタ一座のアズールの容貌をしていた。
「はぁい。お久し振り」
ひらひらと、まるで気楽な挨拶でもするかのように、アズールは笑顔を浮かべて手を振った。
「……ああそうか……そういうことだったのか……!」
あの黒尽くめの正体が本物のアズールに成り代わった何者か――即ち俺達が出会ったアズールだと分かった瞬間、頭の中で全ての糸が繋がった。
「本物のアズール達を殺して立場を奪い取ったのは、彼女達が王都に持ち込んだ人形だったのか! その人形がお前なんだな!」
奇しくも俺は、カーマインとの会話の中でその事実に近付いていた。
――わざわざ成りすます労力を払ったということは、そうしなければ身動きが取れなかった人物が真犯人ということ。
こう言ったものの、あのときは具体的にどんな立場の人間なのか想像もできなかった。
元々の肩書で生活しつつ犯罪に手を染めるのではなく、身元が不確かで立場も不安定な旅芸人にあえてなりすますメリットが分からなかったのだ。
けれど、その解答は単純明快。
真犯人の正体が、実在する人間から立場を奪わなければ、まともに人前へ出ることもできない存在だったからだ。
「ご明察っ。やり辛いったらありゃしない」
アズールは口元をにんまりと歪め、人形とは思えないほどに生々しい笑みを浮かべた。
――アレに殺されてしまった本物のアズールの恐怖は察するに余りある。
自分達に似せた顔を嵌め込んだ人形が、あんな不気味な笑顔を浮かべて殺しにかかってきたのだから。
現実を把握せずに息絶えていたことを祈るばかりだ。
「念入りに隠してた割には、あっさり素顔を晒したもんだな」
油断とも余裕ともつかないアズールの振る舞いを前に、ガーネットが長剣の切っ先を振り向ける。
身体機能を強化したガーネットであれば一息で踏み込める間合い。
たったそれだけの距離が果てしなく感じるほどの不気味さを、あの生き人形は笑顔のままに放ち続けていた。
「オレ達を舐めてやがるのか?」
「まさかまさか。甘く見てないからこそですよぉ。人間と思い込んでくれたら隠し武器で殺せますし、人形だと気付いたら本体探しに躍起になって隙だらけですけど、こうなったらもう隠し損ですから」
アズールがゆらりと体を揺らして構えらしきものを取る。
「人間も同じこと考えると思いますよ? 仮面もフードも感覚器の邪魔になって、煩わしいったらありゃしない。だから、ね?」
次の瞬間、アズールが凄まじい速度で距離を詰めた。
最初の激突と同じように刃がぶつかり合い、ミスリルの長剣と短剣、そして右腕から直接出現した隠し刃が火花を散らす。
数秒間の息もつかせぬ応酬の末、今度はアズールが自ら後方へ跳んで間合いを離す。
一番最初の攻防はお互いに無傷のまま終わった。
しかし今回は――
「ぐっ……!」
ガーネットの二の腕が深く裂けて鮮血が吹き出す。
「……なるほどな。さっきよりもよく見えるってわけか」
「ええ、ええ。ここからが本番ということです。手早く死んでいただけると有り難いんですけど」
「ほざきやがれ!」
両脚に込められた魔力が一気に解き放たれ、スカートを激しくはためかせながら、ガーネットの肉体が機械弓の矢弾のごとく一直線に加速した。




