第209話 エンバーミング
「王都万神殿に魔法的な手段で保管されている、第一の事件の犠牲者二名の亡骸。君にはそれらを【修復】してもらいたい。せめて顔だけでも分かれば、いくらでも調べようがあるからね」
――王都万神殿に保管された死体。
その話なら前にも耳にしたことがある。
昨日、王都万神殿に安置されているアイリス・クリスタルを鑑賞させてもらった帰りに、若い神官長と老齢の神殿長がそんな会話を交わしていた。
ガーネットは『身元不明なので事件が一段落するまでは保管する』と言っていたが、まさか自分が解決に一枚噛むことになるとは。
「保管場所は北館の地下だ。防犯用の結界が起動しているから、注意しながらついて来てくれ」
俺達の先導と警備担当の騎士達――どうやら銀翼とは所属が違うらしい――への状況説明を的確に済ませながら、カーマインは遠慮なく万神殿の北館に踏み込んでいく。
地下階に繋がる階段へ向けて廊下を駆けていると、地味なローブを羽織った神官長が合流してきた。
前に会ったときとは装いが違い、仕事を終えて寛ぐための格好といった風体である。
「一体何事ですか、カーマイン卿!」
「夜の切り裂き魔の事件に進展がありました。すぐにでも例の遺体を復元します」
「ええっ!? で、ですが明日というわけには……」
「いきません。今夜中に追い詰めなければ逃げ果せられる恐れがありますから」
カーマインの威圧感に押され、神官長は大慌てで追随した。
もしも夜の切り裂き魔があの『人形』を操って犯行を重ねていたのなら、凶器が破壊されたうえ銀翼騎士団に押収されたのを受けて、王都からの迅速な逃亡を選んでも不思議ではない。
ならば、少しでも早く手がかりを掴みたいと考えるのは当然だ。
にもかかわらず、カーマインは俺に協力するか否かの選択権を与えた。
恐らくは俺に対する心遣いとして。
「……きちんと【修復】できるかどうかは分かりませんけど、全力は尽くします」
「気負わなくてもいいさ。気楽にやってくれたまえ」
階段を降りた先の地下室には、寝台とも祭壇ともつかない台座が鎮座しており、その上を眩いばかりの魔力の輝きが満たしていた。
地下室の内部を見渡せば、用途が分からない魔法的な装置がいくつも設置され、それらが床面に刻み込まれた文様を介して台座に連結している。
具体的な仕組みは全く理解できないが、この大掛かりな仕掛けによって遺体を保管していることは容易に想像できた。
「……あちらの祭壇で御遺体を保管させていただいております。ですが、その……あまりに惨たらしく、正視に耐えうるものではないと申し上げますか……」
神官長は口元を手で抑えながら俺達の反応を窺っている。
とりわけ、少女の格好をしているガーネットのことを気にかけているようだ。
バラバラ死体なのだから惨いのは承知の上。
耐えられそうにないなら最初から同意などしていない。
「で、ではこちらにどうぞ……」
すっかり顔色を悪くした神官長が、祭壇の魔法紋に触れて遺体を覆う光の眩しさを低下させる。
寝台のような祭壇の上に横たえられていた亡骸――いや、この表現は不適切だ。
横になるという動作が成立するほどの部品が揃っていない。
不慣れな人間なら、この惨状を書き表した文章を読むだけで気分を悪くしかねないし、直視すれば胃の中身を全て吐き出さずにはいられなくなってしまうだろう。
そう、部屋の隅に逃れて必死に嘔吐を我慢している神官長のように。
「ルーク君。【修復】はできそうかな」
「完全に元通りというのは不可能だと思います。これ、二人分の遺体なんですよね。全部合わせても一人分の量もなさそうですけど」
「どうせ野良犬やらカラスやらに持っていかれたんだろうな。顔だけでも直せりゃいいんだから、さっさとやっちまおうぜ」
惨殺死体を前に平然と会話を交わす俺達に、神官長は信じられないモノを見る目を向けてきた。
「み、皆さん……何だか平気そう、ですね……」
「冒険者を続けてたら、行き倒れた冒険者の腐乱死体やバラバラ死体は嫌ってほど目にしますからね。さすがにこれほど手際がいいのは珍しいですけど」
「銀翼騎士団でやっていくなら、死体に慣れるのは絶対条件ですよ。犯罪捜査には付き物ですし、自分達が死体の山を築くことだってありますので」
俺達は揃いも揃って、職業上の理由で惨殺死体には慣れていた。
魔獣に殺されて食べ残しになった同業者の成れの果てなどは、どんな冒険者でもCランクに上がるまでに最低一度は出くわしてしまうものだ。
むしろ業界内ではある種の通過儀礼であり、心が折れるようなら冒険者には向いていないので、これを機に転職したほうがいいと勧められてしまうほどである。
騎士団の場合もカーマインが言ったとおりだろう。
そもそも夜の切り裂き魔事件は銀翼騎士団が捜査しているのだから、犠牲者の惨状を平然と直視できないようでは問題外である。
「では、【修復】を試してみます」
祭壇に手をかざしてスキルを発動させる。
保管されている量からして完全な【修復】は不可能。
要請どおり、頭部と顔だけでも復元できるように努力する。
――突如、自分のものではない記憶が脳裏を過る。
これまでにも何度か【修復】の過程で起きた現象。
対象の記憶を垣間見る制御不能の効果。
しかし以前のそれとは異なり、浮かんでくる映像は酷く傷んでいて雑音も凄まじい。
どうにか内容を読み取ろうとした結果、二人の少女が怪しげな商人から等身大の操り人形を二体、格安で購入しようとしていることだけは理解できた。
耳障りな雑音混じりだが、脱出や人体切断などの奇術の替え玉に使うという話も聞こえてきた。
少女達の顔までは判別できない。
だが、それさえ分かれば全ての疑問が氷解するという予感がする。
やがて精一杯の【修復】が完了し、魔力の光に覆われた祭壇の上に、肩口から上だけの少女の亡骸が――
「まさか、こいつは」
――俺はその少女の顔に見覚えがあった。
生気は根こそぎ失せ、特徴的な化粧も施されていなかったが、それでも間違いないと断言できる。
ありえない。信じられない。けれど否定できない現実だ。
「アズール……オーガスト一座の、アズールだ……!」




