第205話 血みどろの決着
乱れた前髪の下から覗いたブルーノの目は、もはや正気を失ったとしか思えないほどに見開かれていた。
大量出血のショックから回復しきれずに錯乱しているのか、それともこれが今のブルーノの考えなのか。
どちらだろうと知ったことではない。
重要なのはただ一つ。あいつはガーネットを傷つけた。それだけだ。
「ブルーノ、貴様!」
「邪魔する奴はなぁ! 殺してやるよ! 誰だろうと!」
俺の言葉などまるで耳に届いていない様子で、ブルーノは素早く逆手に持ち替えたミスリルの剣を倉庫の壁面に突き立てた。
「来るぞっ!」
「ブッ潰れろ!」
逆手で振り抜かれた刃から放たれた斬撃が、数軒の倉庫を横一直線に斬り裂いて崩落させ、雪崩のような瓦礫を俺達に降り注がせる。
倉庫が瓦礫と化す騒音の中、ブルーノの哄笑が響き渡る。
「どうだ! ミスリルの剣があれば! 俺は昔の力を――!」
「なるほど、動機はそれか」
瓦礫の崩落が停止し、まるで虚空を逆流するかのように元の位置へと戻り、倉庫街の形を取り戻していく。
俺はブルーノのスキルを知っている。それらをどう応用するかも含めて。
だからこそ、対応策も素早く講じることができた。
理屈としては、魔王戦争における拠点防衛で使った手段と同じ。
強烈な斬撃で倉庫を破壊し、生き埋めを仕掛けてくると察した直後に、予め【修復】スキルの魔力を周囲に流しておいたのだ。
瓦礫が逆流して道が開けた直後、ガーネットが正面から突貫してブルーノに刃を叩き込む。
激突し絶叫する二振りのミスリルの剣。
ガーネットもブルーノも搦手に使えるようなスキルは持っていない。
愚直に正面からぶつかり斬り伏せ叩き潰す。
シンプルであるがゆえに言い訳が利かない真っ向勝負。
ブルーノの優位はベテランとしての技術と経験。
攻防の一手一手が的確であり、肉体の衰えを差し引いてもなおガーネットに遅れを取っていない。
対するガーネットは、技術面の不利を猛烈な攻勢で押し切ろうとしている。
ガーネットの身体強化スキルは瞬間的出力に秀でた型で、ブルーノのそれはサクラと同様の継続的出力に秀でた型だ。
短期決戦にさえ持ち込めば、素の身体能力と体格差を考慮してもガーネットに分がある。
しかし、そんなことはブルーノも知り尽くしているはずであり、正気と一緒に剣士としての勘すら失っているのでない限り、それを踏まえた上での戦いを繰り広げるはずだ。
その証拠に、一見するとガーネットが有利に立ち回っているようでありながら、その実ガーネットの方に負傷がどんどん蓄積していっていた。
「ガーネット! 一旦回復を!」
「そうしてぇのは……山々なんだがな!」
「まったくよぉ! 調子に乗ってんじゃねぇぞ、ルーク!」
壮絶な斬り結び合いを繰り広げながら、ガーネットとブルーノが吼えるように声を上げる。
「【修復】しかできなかったド三流が! クソ生意気に力を付けて! 俺の邪魔をするとはなぁ!」
「ほざくんじゃねぇ! テメェが勝手に落ちぶれただけだろうが!」
理屈も何もあったものではない感情のぶつけ合い。
俺ではこの激しい打ち合いに割って入ることはできないと判断し、黒尽くめの人形に倒された騎士の治療に取り掛かる。
今の自分にできることをする――それこそが俺達のすべきこと。
だからこそガーネットは剣を振るい。俺は傷を癒やすのだ。
「クソガキが! ルークがいなけりゃ死んでたくせによぉ! 偉そうな口叩きやがって!」
「ああ、そうだな! オレはルークがいなけりゃとっくに終わってた!」
互いに相手の剣を弾こうとする一撃が激突し、凄まじい音が裏路地に響き渡る。
ガーネットは瞬間的な強化で後方に飛び退くと、ミスリルの刃に魔力を込めて振り抜き、ブルーノめがけて魔力の斬撃を撃ち出した。
狭い路地であるため回避は至難と思われたその一撃を、ブルーノはあっさりと切り払って打ち消した。
「ぬるいぞ、クソガキが!」
「くそっ!」
凄まじい速度の踏み込みで間合いを詰めんとするブルーノ。
ガーネットは長めのスカートの裾を掴み上げ、ミスリルの刃を滑らせて、スカートの側面を根本まで一気に引き裂いた。
「――死ねぇ!」
目視すらできない速度で振り抜かれる剣。
しかしガーネットは、スカートを引き裂いたことで向上した脚の可動域を活用し、両脚を大きく開いて地面すれすれまで屈むことで回避した。
「おらぁっ!」
開放された撥条のようにガーネットの体が跳ねる。
脚をほぼ縦一直線に開いての突き上げるような蹴りが繰り出され、ブルーノの顎を蹴り砕いて体を宙に浮かせた。
「ぐがっ……! おおおおおっ!」
地面に足が付くのすら待たず、ブルーノが剣を振り下ろす。
ほぼ同時にガーネットも身を翻し、下から斜めに斬り上げるような斬撃を放った。
舞い散る鮮血。
ブルーノの刃がガーネットの頬を深々と斬り裂き、口腔の歯が見えるのではないかと思えるほどの裂傷を刻み込む。
そしてガーネットが繰り出した刃は、ブルーノの両腕を肘の辺りから完全に断ち切っていた。
「があっ……!」
「……ふっ!」
細い脚から放たれた回し蹴りがブルーノを倉庫の壁に叩きつける。
更に間髪入れず、全体重を乗せた渾身の刺突がブルーノの胴体を刺し貫き、その肉体を倉庫の壁に縫い止めた。
「……ごはっ……」
「【自己再生】が使えるなら、これくらいじゃ死なねぇだろ。騎士が来るまで大人しくしてやがれ」
言葉を発するたびに頬の傷が痛々しく動き、顎と首筋に赤い血を垂らす。
すぐに【修復】するため駆け寄ろうとしたところで、ガーネットは哀しげに笑いながら振り返った。
それは本当に哀しそうで――何かを諦めたかのような自嘲の笑みであった。
「悪ぃ、白狼の。やっぱりオレ、こういう格好は似合わねぇみてぇだ」
アルマに似合うようにと発注した服は自分の血と返り血で赤く染まり、長めの愛らしいスカートは根本まで引き裂かれて片脚が露わになっている。
自嘲を浮かべる頬は無残に斬り裂かれ、見ているだけで痛々しい断面を外気に晒していた。
「オレは目的を果たすまで戦いを止めたりしねぇ。だから柄にもなく着飾ったところでこのザマだ。女みてぇな格好のオレが気に入ったんなら、今のうちに思い直した方が……」
「馬鹿だな、お前。本当に馬鹿だ」
「……んだよ」
何か言いたげなガーネットの反応を無視して、一方的に喋り続けながら【修復】を開始する。
「さっきも言っただろ。お前はどっちの格好も似合うんだって。俺は片方だけが気に入ったわけじゃないんだ。そもそも、お前が戦いを止めない奴だなんて最初から知ってるわけだしな」
頬の傷を塞ぎ、体中に負った切り傷を癒やしていく。
「いつものお前も、着飾ったお前も。たとえ血まみれになったって。俺は全部ひっくるめて受け止める……いや、受け止めたい、受け止めさせて欲しい……ああ、こっちの方が正確だな。とにかくそういうことだ」
服に染み込んだ血を【分解】で除去し、引き裂かれたスカートも足元にしゃがみこんで【修復】する。
「これでよし。似合ってるぞ」
「……お前ってさ、ほんと……」
「お前が身を削って戦うなら、俺は何が何でも修復してやる。だからお前は自分がやりたいようにすればいいさ」
「ま、まぁ……その辺については、信頼してるっていうか、だな……」
ガーネットは眉をひそめて口ごもりながら、淡く紅潮した傷一つない顔を逸らしたのだった。




