第204話 入り乱れる戦局
ブルーノが倒れ込んだその後ろには、フードで顔を隠した黒尽くめの人影が佇んでいた。
袖付きの外套は丈が長く足首までも覆い隠し、やや前屈みになった体勢も相成って、目測では体格を推し量ることすら難しい。
二人の騎士は突然の出来事に対する驚愕から二秒と経たずに復帰し、ブルーノを襲撃した謎の人物を新たな脅威と見定めて、即座に切っ先を振り向けた。
「武器を捨てて投降せよ。これは最後通告である」
国権を担う騎士団の一員としての、受け入れられないことを前提とした形式的な通告。
黒尽くめの人影は、ブルーノに追撃を加えようとするかのような素振りを見せていたが、その動きすら致命的な隙になると判断したのか、短剣を手にしたまま騎士達へと向き直った。
ゆらり――と。人間味を感じさせない不気味な動作。
あれは本当に生物なのかという、根本的な疑問すら浮かんでくるほどの異物感。
「俺がやる。お前はブルーノの確保を」
「はい」
二人の騎士は視線を交わすこともなく、最短のやり取りで役割の分担を完了し、即座に行動を開始した。
突風じみた踏み込みから繰り出される剣閃。
俺の目では振り抜き終えるまで気付くこともできなかった一撃を、外套姿の人影は後ろに引っ張られたかのような速さで飛び退いて回避する。
間髪入れずにもう一人の騎士が前に出て、首を斬り裂かれて倒れ伏したブルーノへと駆け寄った。
「呼吸あり、脈拍あり。出血停止。頸動脈からの大量出血による一時的な昏倒か」
それを聞いて、物陰で安堵の息を吐く。
病気で体が弱っているのは懸念事項だったが、ブルーノの【自己再生】スキルが十全に機能しているなら、問題なく回復できるダメージだ。
あいつが大量出血で意識を失ったことは前にも何度かあったが、その度に平然と復帰してきた。
人間性はともかく、回復力と剣の腕前だけは尊敬に値する男だったが――それでも勝てない病というのは、本当にどうしようもない代物なのだろう。
「白狼の。何ホッとしてやがるんだ? あいつとはろくでもねぇ関係だったんだろ」
「それでも、顔見知りが死ぬのは気分がよくないんだ。そんなことより俺達も手伝わなくていいのか?」
「いきなり出ていったって、無駄に驚かせて足引っ張るだけだ。ちゃんと機会を伺って――」
その『機会』は、嘘のようにあっさりと、何の前触れもなく訪れた。
俺などが割り込む余地もない高速の大立ち回りの末に、前衛の騎士が遂に黒尽くめの人影の短剣を弾き飛ばす。
人影の体勢が崩れ、誰が見ても決定的と分かる隙が生じる。
ここで致命的な一撃を叩き込めば、確実に命を奪うことができただろう。
しかし、銀翼の騎士は『可能であれば犯人を捕らえなければならない』という制約を背負っている。
対峙する相手は敵兵ではなく犯罪者。
やむを得ない状況であれば殺害も躊躇しないが、生きたまま捕らえることこそが最大の任務なのだ。
さもなければ、事件の全貌の解明が果てしなく遠ざかってしまう。
故に、この局面で彼が選んだのは、最小限の手傷で動きを止めること。
「ふっ――!」
白刃が黒尽くめの人影の脚を深く斬り裂く。
迅速に手当をすれば命には関わらず、後で治癒魔法を掛ければ完治させられ、それでいてこの場では立ち上がることも困難にする――まさに弛まぬ訓練の成果と呼ぶに相応しい一撃だった。
ところが、黒尽くめの人影は一滴の血を流すこともなく、あろうことか斬り裂かれた脚を振るって、後方に宙返りするかのように蹴撃を放った。
予想もしない反撃を紙一重で避ける銀翼の騎士。
その胴体に縦の切れ込みが入り、大量の鮮血が迸った。
「な、に……!?」
間髪入れず、黒尽くめの人影は無傷の片脚で跳躍し、今度は横回転を加えて半分切断された脚を振り抜いた。
前衛の騎士は首の横に剣と腕をかざし、頸動脈を狙った蹴りを――否、爪先から生えた短剣による斬撃を防ぎ止めた。
剣身が断ち切られ、腕に刃が食い込み、血飛沫を撒き散らす。
「こいつは、まさか……!」
叫びと共に夥しい吐血が吐き出される。
黒尽くめの人影が無傷な脚で騎士を蹴り飛ばし、その反動で高く跳躍して、更に倉庫の壁を蹴って高度を稼ぎながらもう一人の騎士の頭上を取る。
その騎士は即座にスキルを発動させ、引き絞られた矢のように人影めがけ跳躍。すれ違いざまに人影の胴体を両断する。
だが二つになった胴体のうち、上半身は騎士の腕をしっかりと掴み、腹から上だけで身を捩って背後を取ったかと思うと、肘から生えた刃を肩口に突き刺した。
「ぐはっ……!」
受け身も取れずに頭から落下する銀翼の騎士。
黒尽くめの上半身は腕だけで跳ねて宙を舞い、迎えに来るように駆け寄る下半身の腰を掴み、自身を元通りの位置に据え直した。
時間にしてほんの数秒――果たして十秒と経過していたかどうか。
「……下がってろ、白狼の!」
ガーネットが剣を手に物陰から駆け出す。
割って入る間もない瞬間的な凶行。
最初から飛び出していればよかったと後悔するのは、無価値で無根拠な結果論に過ぎない。
するべきは後悔ではなく行動。
現状で打てる最善手を取り続けるだけである。
だからこそ俺は、躊躇することなく右目に手をかざし、眼球を【分解】して『叡智の右眼』を起動させようとした。
――その直後のことだった。
「…………おおおおおおおっ!」
咆哮を上げながら振り下ろされる剛剣。
ガーネットを新たな敵と認定したかのように振り返った黒尽くめの人影が、頭頂部から股まで真っ二つに叩き斬られた。
血は流れず、臓腑の臭気も溢れ出ず、陶器を落としたかのような無機質な音だけが裏路地に響く。
恐らくは騎士達が倒される前に気付いたとおり、黒尽くめの人影の正体は人形であった。
魔法で操作されているに過ぎない人形が、騎士達を打ち倒すほどの強さを発揮できるものなのか――そんな根本的な疑問は、目の前の光景から受けた衝撃にかき消されてしまう。
黒尽くめの人形を両断したのは、意識を取り戻したブルーノが繰り出した斬撃であった。
そして僅かに遅れて発動した『叡智の右眼』は、その手に握られた得物の正体がミスリルで表面処理された剣であると告げていた。
いや、そんなことはどうでもいい。
どうしてその剣が――返す刃でガーネットを刺し貫いているんだ。
「ガーネットっ!」
「があっ……!」
絶叫して駆け寄ると同時に、ガーネットが強化された脚力で後方へ退いて、背中から俺の腕の中へ飛び込んでくる。
その華奢な体を受け止めると同時に【修復】スキルを発動させ、負傷を跡形もなく回復させながらブルーノを睨みつける。
「くくく……ははは……お前らも俺の邪魔をするんだな? この剣がありゃあ俺だって……俺だってなぁ……! だからよぉ、誰にも邪魔はさせねぇ……! 誰にもだ!」
乱れた前髪の下から覗いたブルーノの目は、もはや正気を失ったとしか思えないほどに見開かれていた。
ランキングタグの方でも書いてありますが(2019/05/17現在)、第一巻が重版決定し、コミカライズの連載もスタートしました。
これからも応援よろしくお願いします。




