第202話 夜の王都に
それからも俺達は、二人で王都の色々なところを訪れた。
足を運んだのは武器屋の仕事や騎士団の任務とは関係ない、純粋に楽しむための施設や名所ばかりだ。
大温室を擁する植物園や、俺でも名前を知っている画家の個展。
芸術的な造形の噴水で有名な公園に、俺達が行ったこともない地方の珍しい料理を出す小さなレストラン。
やがて黄昏時も過ぎていき、空が暗くなり始めた頃合いになって、運河沿いの小さな広場の腰掛けに座って一休みをする。
「いやー、歩いた歩いた。普段と違う格好だから余計に疲れたぜ」
ガーネットは前に両脚を投げ出して、充実した様子で笑みを浮かべた。
丈長とはいえスカートなのに不用心だなと思ったが、ここには他に誰もいないので、いちいち注意することもないだろう。
「にしてもよ、ここまで着飾っても意外と怪しまれねぇもんだな」
「だから怪しまれる要素が全くないだろ。前にも言ったかもしれないけど」
一昨日の外出で問題が起きなかった時点で分かっていたことだと思うのだが、実際に着替えていたガーネットにとっては、今日と一昨日とでは明確に何かが違うのかもしれない。
「お前を知ってる奴は『アルマお嬢様のお忍びだ』って考えて邪魔をしないだろうし、そうじゃない奴らにしてみれば……」
ただ単に、見知らぬ美少女が健全に逢引をしているだけだ。
頭に浮かんだ言葉は、とてもじゃないがそのまま口にできるものではなかった。
間違いなくガーネットを怒らせるだろうし、何より俺が気恥ずかしい。
なのでもう少し遠回りな表現を選ぶことにした。
「お前は気付かなかったみたいだけど、今日はすれ違った連中から何度もじろじろ見られてたんだぞ」
「えっ、マジか!? どっかが怪しかったりしたのか……?」
「違う違う」
ガーネットがあまりに真面目な反応を見せたものだから、つい笑いをこぼしてしまう。
「可愛い子がいたら思わず振り返る奴は当然いるし、その子と一緒に歩いてる奴が羨ましくなるもんだろ。そういう視線だよ。やっぱり気付いてなかったんだな」
「……あー、くそっ。やっぱ慣れねぇことはするもんじゃねぇな……」
ガーネットはベンチに腰掛けたまま、うずくまるように頭を抱えた。
やはり、目の前のことに精一杯すぎたせいで、周囲から向けられていた嫌疑とは違う視線……美人に目を奪われるという当然の反応を察することができなかったらしい。
「それともお前、もしかして『自分の見た目が人一倍良い』って自覚すらなかったりするのか」
「んなもんあるか馬鹿! ……つーか、お前から見てもそうだったりするのかよ」
「当たり前だろ? それと念のため言っておくけど、今日みたいな格好してるからじゃなくて、普段から思ってることだからな」
「余計なこと言うんじゃねぇー……」
語尾に行くに従ってどんどん声を小さくしながら、ガーネットは更に深々とうずくまった。
少しばかり踏み込みすぎた発言だったかもしれないが、今みたいな格好をしているときしか魅力を感じない、なんて誤解は受けたくなかったので仕方がないと思いたい。
ガーネットが冷静さを取り戻すのを待つ間に、何気なく周囲を見渡してみると、見知った少年少女が広場に隣接した道を歩いているのが視界に入った。
「(あれは……クレイグさんのところのコリンと……オーガスト一座のアズールとピンキーか? 衣装じゃないから断言はできないけど……)」
そういえば、コリンはオーガスト一座やマーブル一座の女性芸人に入れ込んでいて、無駄遣いが多くなってクレイグさんにどやされていたのだった。
コリンが上手くやったというべきか、それともいいように乗せられているというべきか。
どうも三人の様子を見る限り、後者の可能性が高そうだ。
明らかにコリンは舞い上がってどぎまぎしているし、アズールとピンキーはそんなコリンを弄って面白がっている。
頼むから犯罪沙汰にだけはなるんじゃないぞと心の中で思っている間に、三人の姿は夜の闇へと消えていった。
「……ふう」
「落ち着いたか?」
ようやくガーネットが顔を上げ、短く息を吐く。
「やっぱ、まだ慣れねぇわ。こんな格好するのも、お前と……その、お前との関係が変わっちまうのも」
「焦らなくてもいいさ。どっちの服も似合うんだから、好きな格好をすればいい。お互いの態度だってやりやすいようにやればいい。どっちも急に変える必要なんかないんだからな」
「そりゃそうだけど……ああくそっ、考えがまとまらねぇ」
ガーネットは綺麗な金色の髪をがしがしとかき乱してから、脚を振って反動をつけて勢いよくベンチから立ち上がった。
「うしっ! こういうときに考えたって時間の無駄だな! 今日のところは帰ろうぜ!」
何ともまぁ潔い切り替えっぷりである。
さっき『焦らなくてもいい』と言ったばかりなので、実際アドバイスの通りではあるのだが、ここまで即効性があると逆に尊敬すらしたくなってしまう。
「何もせずに帰ったら、またアビゲイルから色々言われそうだな」
俺も後に続いて腰を上げ、軽く伸びをして背筋を伸ばす。
「あいつにゃ好きに言わせときゃいいんだよ。つーかお前、何もって何のこと言ってやがるんだ?」
「……ノーコメントで」
「ふーん、ほーん。へー?」
蹴るというよりもスカート越しに膝を押し付けるように、ガーネットが俺の太腿にぐりぐりと攻撃を加えてくる。
さすがにガーネットも『何かする』という婉曲表現の意味は理解できている様子で、至近距離からじとーっと俺の顔を覗き込んできている。
「それはいいから。もう帰るんだろ」
誤魔化しながら一歩下がり、かき乱されたせいで乱れっぱなしの金髪を軽く直してやる。
ガーネットは髪を整えられ終わるまで大人しく待ってから、俺の背中を強く叩いて歩き出した。
「まぁいいや。その話はまた後でな」
「後でまだするのかよ」
「そりゃあお前、夜会であんなこと言っといて……違う違う! やっぱ今のなし!」
長めのスカートをはためかせながら、ガーネットは大股歩きでずんずんと前に進んでいく。
俺も駆け足気味に隣へ行き、速度を緩めて歩調を合わせる。
「そうだ、白狼の。あっちの裏道通ったら近道になるぞ」
「止めとけって。今は丸腰なんだから」
「剣ならお前が持ってるだろ」
今日のガーネットは帯剣が似合う格好ではない。
なので俺が代わりにガーネットの剣を腰に付けて歩いていた。
二人とも丸腰で歩くという選択肢はなかった。
護衛ができないのは絶対に駄目だと、ガーネットが強硬に主張したからだ。
「まぁいいか。別に急ぐ理由も――」
――そのときだった。
風向きが不意に変わり、裏道の奥から吹き抜けてきた一陣の風に、警戒心を最大まで引き出さざるを得ない臭気が混ざっていた。
「おい、白狼の。まさか……」
「間違いない……血の臭いだ」




