第2話 絶望的サバイバルとスキルの覚醒
「はぁ、はぁ……くそぅ……」
パラライズの効果が解け、石造りの床に膝を突く。
食料も冒険装具も全て勇者に持っていかれてしまった。
頼みの綱は【修復】スキルと刃こぼれだらけのボロい剣だけ。
絶望的過ぎる。
パラライズが解けるまでに魔獣に殺されなかったこと自体、奇跡以外の何物でもない。
「と、とにかく、こんなところで死んでたまるか……!」
死ぬのは絶対に嫌だし、魔獣に怯えながらダンジョンの中で一生を過ごすのも嫌だ。
「(まずは剣を【修復】しないと……鉄粉袋を持っていかれなかったのは、ほんとに不幸中の幸いだったな……)」
ベルトから提げていた小袋を手に取って、刃こぼれだらけの刃にあてがう。袋の中身は鉄粉や鉄片の詰め合わせだ。
「スキル発動、【修復】開始!」
鉄粉袋と剣に魔力が流れ込み、袋の中身の減少と引き換えに、刃こぼれが少しずつ塞がっていく。
冒険者用語でいう『スキル』とは、いわゆる技術とか技能のことではない。
魔力を消費して発動する特殊能力の一種である。
例えば俺の【修復】なら、充分な量の素材と時間さえあれば、刃こぼれだらけの剣だって元通り。
「剣はこれでよし……後は強い魔獣に見つからないようにしないとな……」
こうして、俺の絶望的なダンジョン脱出劇が始まったのだった。
ダンジョンの内部構造は千差万別。
百個のダンジョンがあれば百通りの分類が生まれるとまで言われている。
そして勇者パーティが挑んでいたこの『奈落の千年回廊』は、広大な地下迷宮が何層にも積み重なった造りをしている。
一般に迷宮タイプと呼ばれるダンジョンだ。
正直、暗くて狭くて息が詰まる。
俺が一番苦手なタイプのダンジョンである。
ただし、暗いと言っても真っ暗ではない。
光を放つ苔がそこら中に自生しているので、夜中の屋内でランプを灯した程度の明るさはある。
「腹減った……樹海タイプのダンジョンなら、そこら中に食べ物があるってのに……」
俺はふらつく足で地上を目指して歩き続けていた。
勇者達に捨てられてから約半月。
その間、俺は食べ物を何一つ口にできていなかった。
装備と一緒に、保存食も残らず没収されてしまったからだ。
出現する魔獣も、スケルトンやマッドゴーレムなどの無機物系やゴースト系が中心なので、食料にすることができない。
というか、スケルトンならまだしも、ゴーレムやゴーストに出くわしたら間違いなく殺される。
きっと逃げることすら不可能だ。
もちろん生物系ならネズミやコウモリに似た魔獣もいる。
勇者パーティの食料を食い荒らしたのもそいつらだ。
しかし、その手の魔獣は毒素を体に帯びているので、そのままでは食べることができない。
食べたければ白魔法系のスキルなどで浄化する必要がある。
そう、ブランが習得していたような。
『奈落の千年回廊』がAランク評価を与えられている理由の一つがこれだ。
食料を途中で補給できないというだけで、攻略難易度が爆発的に跳ね上がってしまうのだ。
「……確かこのダンジョンって、死因の半分が、空腹に耐えかねて猛毒の発光苔を食ったからなんだっけか。ははっ……笑い事じゃないな……」
俺は目の前に転がる白骨死体を見下ろして、頬を引きつらせた。
死体の近くの壁だけ発光苔が少ない。
恐らくこいつは空腹のあまり発光苔を食べまくって毒死したのだろう。
死体は魔力的な作用で分解されて、発光苔の栄養になったに違いない。
「人間が断食に耐えられるのは、だいたい一ヶ月……折り返し地点は過ぎちまった……いや、それも希望的観測って奴だよな……」
一ヶ月というのは、体をあまり動かさなかった場合の上限値だ。
脱出のために歩き回っている分だけ、俺のタイムリミットは短い。
とはいえ、一日中ずっと歩いているわけでもない。
魔物に見つからないよう息を潜めたり、何度も長い休息を挟んだりしている。
そうでなければ、何日も前に力を使い果たして行き倒れていただろう。
更に何より幸運だったのは、迷宮の各所から地下水がにじみ出ていることだった。
水分補給の問題がないだけでもありがたいが、ここの地下水には魔力が溶け込んでいる。
聞いた話だと、辺境で暮らす隠者や賢者の中には、魔力が豊富に溶け込んだ水だけで何十年も生きている奴がいるそうだ。
原理までは知らないし、ただ飲むだけで意味があるのかは分からないが、この水を飲んでいれば少しは『長持ち』するかもしれない。
むしろ、俺がこうして動けていること自体がその恩恵という可能性もある。
「にしても……降りるときは三日で済んだのにな……こんなに迷ってりゃ当然か……」
勇者は俺と違って多くのスキルを持っていて、その一つが【地図作成】スキルだった。
【地図作成】は紙に周囲の地形を映し出す迷宮殺しのスキルだ。
迷路としての難易度が強みの迷宮は簡単に無力化されてしまう。
こんなスキルを持つ勇者だからこそ『奈落の千年回廊』の攻略を命じられたのだろう。
「……先を急ごう。ひょっとしたら、他の冒険者パーティに見つけてもらえるかも……」
さっきからずっと独り言をつぶやいているのは、そうしないと気が変になりそうだったからだ。
白骨死体をまたいで先に進もうとした途端――
――――カタンッ。
「くそっ……!」
振り返りざまに全力で剣を振るう。
白骨死体が今まさにスケルトンとなって立ち上がろうとするところだった。
先制攻撃で頭蓋骨を砕いたことでスケルトン化が停止し、再び物言わぬ白骨に戻る。
スケルトンが脅威になるのは集団で現れた場合。
単体なら今の俺でも安定して対処可能だった。
しかし、勢いよく振りすぎたせいで剣が迷宮の壁に当たり、甲高い音を響かせて先端が折れてしまった。
「……ちくしょう。素材なしで【修復】しすぎて脆くなってたのか……飢えたクラーケンが自分の足を食うようなもんだからな……」
毎日のように発生する刃こぼれを直してきたせいで、もうとっくに鉄粉袋は空っぽだ。
鉄粉や鉄片がなくても【修復】はできるが、その場合は他の部分を素材に使ってしまう。
やればやるほど刀身が脆くなったり薄くなったりしていき、最終的にはこのとおり使い物にならなくなるのだ。
「どうして俺がこんな目に……くそっ、くそおっ!」
苛立ちを爆発させながら、全力全開の【修復】スキルを折れた剣に叩き込む。
次の瞬間、刀身が細かな鉄の塊になって砕け散った。
「……え?」
まさか失敗したのか!?
慌ててもう一度【修復】をかける。
すると、細かな鉄の塊は何事もなかったかのように剣の形に戻った。
「びっくりした……何だったんだ、今の」
驚きが収まってくると、さっきの現象を冷静に分析する余裕が生まれてきた。
「そういえば、前にどこかで聞いたことがある……【修復】スキルは修復箇所と素材を瞬間的に分解して、混ぜ合わせてから元の形に戻してるんだって……」
もしかしたら。
とある考えが思い浮かび、迷路の壁に視線を向ける。
俺は迷路の壁に両手を突いて、さっきと同じように【修復】スキルの魔力を叩き込んだ。
――――ゴゴゴゴゴッ!
迷路の壁が轟音を立てて崩れ落ちる。
そして、人間が余裕を持って通り抜けられる穴がぽっかりと空いた。
「……はははっ」
思わず笑いが溢れる。
「壊れちまった! 勇者ですら壊せなかった迷宮の壁が!」