第199話 事件に挑む者達
今回は再び「一方その頃」回です。
前回の続きは次回の第200話をお待ち下さい。
――その日の夜も、銀翼騎士団の本部では大勢の騎士が業務に追われていた。
平時であれば日没から間もなく帰宅することもできるのだが、近頃は夜の切り裂き魔関連の業務が立て続けに積み上がり、なかなか帰るに帰れない状況が続いていた。
「団長殿。被疑者リストと被害危惧者リストの最新版が上がってきました」
「見せてくれ。ああ……やっぱり厚みが増してるなぁ」
騎士団長のカーマインは、二種類の書類を受け取ってげんなりとした表情を浮かべた。
――被疑者リストは読んで字のごとく、連続殺人事件の犯人である疑いが持たれた人物の一覧表だ。
しかしながら、犠牲者の共通点すら完全には絞り切れていない現状では、被疑者をごく少数まで絞り切ることも難しく、その人数はかなりの数に及んでいた。
無論、嫌疑者全員を考えなしに列挙した雑なリストではない。
念入りな検討によって重み付けがなされ、嫌疑の度合いに応じて段階ごとに区分されている。
――もう一方の被害危惧者リストは、それとは逆に夜の切り裂き魔の犠牲となることが危惧される人物がまとめられている。
こちらもまた厳密には絞りきれておらず、想定される危険の大きさに応じて分けられている段階だ。
内訳の大部分は高ランク冒険者が占めているが、他の共通点を根拠とした指定もいくらか含まれている。
「ロイ君も読むかい。何かの参考になるかもしれないよ」
「よろしいんですか?」
カーマインは同じ部屋で報告書の作成に勤しんでいた青年に、二種類の書類の束を手渡した。
顔に獣の爪痕を残した青年――百獣平原のロイ。
彼は銀翼騎士団の構成員ではなく、冒険者ギルドから捜査協力のために派遣されたAランク冒険者である。
冒険者ギルドは第二の事件で現役Aランクを、第三の事件で元Aランクの幹部を殺されたことで捜査に惜しげのない情報提供をしてくれていた。
しかし第四と第五の事件の犠牲者までもが引退冒険者だったと判明したことで、情報提供だけでは足りないとばかりに、名の知れたAランク冒険者を送り込んできたのだ。
ギルドとしては調査の進展を急かす圧力も兼ねているのだろうが、彼自身はそんな雰囲気を感じさせない好青年だ。
長らく捜査のために拘束されており、通常の依頼を受けられない日々が続いているようだったが、ギルドに対する奉仕義務の消化でもあるので問題はないとのことだった。
「じゃあ失礼しまして……ふむふむ……やっぱりマーブル一座とオーガスト一座は全員が嫌疑者ですか。それも警戒度かなり高めの」
「どちらも構成員の前歴が不明瞭だからね。しかも最初の事件の直前に王都で活動し始めて、その後も決定的な潔白の証拠がないときた。組織的犯罪の可能性も捨てきれないくらいさ」
旅芸人に限らず、各地を転々とする職業は何らかの事件があった際に疑われやすい傾向にある。
これは偏見ではなく現実的な判断の結果だ。
定住者とは異なり、以前どこで何をしていたのか調べることが難しく、荷物をまとめて一夜のうちに姿をくらますのも容易で、どこかに旅立ってしまえば足取りを追うのも至難の業。
官憲としては注視しないわけにはいかない存在なのである。
「もちろん、入城手続きの段階で所持品検査はしたらしいんだけどね。脱出や切断の奇術に使う人形の腹の中までさ。それでもミスリルの凶器は発見されていない……んだけど、現地調達も不可能じゃないからなぁ」
「現地調達ですか。王都はミスリルの加工師が大陸で一番多いと聞きます」
「加工師関係からも調査はしてるんだけど、これはこれでなかなか大変なのさ」
カーマインは椅子の背もたれに体重を預けて長く息を吐いた。
「それだけに、君が協力してくれているのは本当にありがたいよ。おかげで第五の犠牲者からしばらく何も起こらなかったわけだからね」
「買いかぶりすぎです。結局は第六の事件を防げなかったんですし」
「僕は六番目の事件を模倣犯だと睨んでいる。もしくは衝動的な殺人を夜の切り裂き魔の仕業に見せかけた偽装工作だ。それくらいに、あの事件だけは違和感がある」
謙遜するロイに対して、カーマインは鋭い視線でそう言い切った。
身元不明の第一の事件の犠牲者二名は除外するとして、第二から第五の事件の犠牲者は全て現役か引退済みのAランク冒険者である。
しかし第六の事件の犠牲者二名は、どちらも冒険者ギルドと関わりのない人間だった。
善良で真っ当な王都民……とは言い難いはみ出し者ではあるものの、以前の犠牲者との共通点はまるで見出すことができない。
更に、使用された凶器の形状も他の事件と異なることが明らかになっており、本来であれば即座に無関係と判断される案件であった。
にもかかわらず、六番目の事件に位置付けられている原因は、どちらも凶器にミスリルが用いられていたからだ。
「最新の被疑者リストには、第六の事件のみを考慮した被疑者も追加されている。君の仕事も増えてしまうことになるけど、よろしく頼むよ」
「分かりました。監視用の精霊獣を増やしてそちらに回します。大量生成すると一体あたりの性能は落ちますけど、人間の見張りを付けるのと同程度には働けますから」
ロイは手元で素早く魔力を編み上げ、魔力によって構成された半透明の小鳥を生成し、すぐにかき消して魔力を体に還元させた。
「最大でどれくらいまでいける?」
「同時運用の自己記録は三百体です。そこまで増やすと小動物レベルにしかできませんけど」
「十分だ。冒険者ギルドはいつも的確な人材を送ってくれるから助かるよ」
百獣平原のロイという呼称は出身地由来のものだが、主力としているスキルもその名に似つかわしいものだった。
これはカーマインの想像に過ぎないが、そのようなスキルを与える神が信仰されているからこそ、百獣平原という地名が生まれたのかもしれない。
「ところで、団長さん。被疑者リストの方にAランク冒険者が入っているのは間違いじゃないんですよね」
「血染めの刃のブルーノだね。彼は両方のリストに記載されてるよ。第六の事件の発生当時に現場付近で目撃されたそうだ」
「なるほど……」
ロイも知らない相手ではなかったらしく、厄介事を見つけてしまったかのように眉をひそめている。
冒険者が絡む問題なら冒険者に意見を求める――それは確かに有効な手段なのだろうが、カーマインがまっさきに思い浮かべる冒険者は白狼の森のルークであった。
強力で特殊な【修復】スキルも、魔王軍との戦いの中で目覚めたという新たな力も、事件解決の助けになる可能性はかなり高い。
だが、あれは駄目だ。今は協力を求められる状態ではない。
その理由は一個人の私情などではなく、政治的な手続き上の問題である。
騎士団から冒険者や民間人への協力要請は簡単に行えるが、騎士団が別の騎士団に協力を要請する場合、口頭要請だけでなく正式な手続きを経る必要がある。
戦場のような極限状態なら緊急措置で事後承諾とするのも認められるが、平時の犯罪捜査で認められるのは間違いなく難しい。
――では、相手が新設予定の騎士団の場合は?
彼は自らを棟梁とした新騎士団の設立に同意し、その旨を王宮に伝達した。
この状況で協力を要請するには、果たしてどのような手続きが必要なのか――答えは『不明』である。
新騎士団の設立は前例がない事態であり、一介の民間人でありながら騎士団長候補でもあるという彼の状況も前代未聞。
国王陛下が裁定を下せば即座に解決する問題ではあるが、白狼の森のルークの返答から陛下の帰還までは三日間のタイムラグが存在した。
つまりその三日間は、各騎士団から白狼の森のルークに協力要請を出す場合の手続きが、未決定のまま宙吊りになってしまうのだ。
「(三日間っていう短さがまた面倒なんだよな……これが一ヶ月とかなら、王宮が代行して裁定を出してくれるんだろうけど、たったの三日じゃ『陛下の帰還を待て』としか言ってくれないからなぁ)」
国権の代行者たる騎士団だからこそ、各種の手続きは制度に則って進めなければならない。
さもなければ、かつては敵同士だった各騎士団が、身勝手な暴走を引き起こしかねないからだ。
「(まぁ、陛下が帰還すれば全て解決するんだ。それまでは俺達で頑張らないとな)」