第194話 アイリス・クリスタル 前編
「ったく……どうなってんだこりゃ」
公爵との会話の間ずっと黙っていたガーネットが、吐き捨てるように口を開く。
正直な感想は俺も同じだ。
アルファズルが別名の知恵者名義で王都万神殿に名を連ねていただけでも驚きだというのに、問題はそれだけには留まらなかった。
知恵者が信仰されている土地にキングスウェル公爵領が含まれていたうえ、更に『奈落の千年回廊』が知恵者に関わり深いダンジョンだと言い伝えられていたなんて、事前に予想しろという方に無理がある。
もちろん、呼び名がどちらも知恵者というだけで関連はない、という可能性も皆無ではない。
しかしそんな楽観論に逃げるほど、今の俺には余裕がないわけではない。
「本当なら無視できないけど、少なくとも現状だと何もできることはないな。調べて分かるようなことでもないだろうし、そもそもどうやって調べたらいいのやら、だ」
「……まぁ、そうなるよな。いざってときに忘れねぇようにしとくしかねぇか」
現状はまだ『新事実が判明した』という段階でしかない。
これですぐさま何か変わるということはなく、何かを変える後押しになるわけでもないのだ。
とにかくこの新しい情報を記憶に刻み込み、今できることを順番にこなしていくしか――
「失礼、ルーク様」
そんなことを考えていると、公爵の護衛の一人が近付いてきた。
「公爵閣下がこちらを貴方にお渡しせよと。お受け取りください」
「……何ですか?」
折り畳まれた紙片のようなものだ。
広げてみると、短いメッセージとキングスウェル公爵の署名、そして小さな印章が記されていた。
「神殿長殿に要請する……この者達にアイリス・クリスタルの拝観許可を与えられたし……?」
「王都万神殿の北館に安置された、王国の至宝の一つと言われる存在です」
「北館ですか? 案内図には西と東の別館しかなかったような」
「万神殿の宝物庫と神官の住居を兼ねておりますので、一般には公開されておりません」
いまいちピンと来ていない俺の隣で、ガーネットが驚いた様子で声を上げる。
「アイリス・クリスタルって、まさかアレか!? オレも話にしか聞いたことがねぇんだけど、普通なら一年に一度の限定公開が関の山っつー……」
「はい。ルーク様にはわざわざ王都までご足労いただきましたので、この機会に是非ともご覧になっていただくようにと」
「マジかよ、太っ腹にも程があるぜ。さすがは公爵ってことか」
ガーネットの反応を見る限り、アイリス・クリスタルは見学できる機会すら極めて希少で、その機会をメモ書き一つで融通できるのも普通ではないらしい。
護衛の説明だけなら眉唾だったが、ガーネットが言うならそうなのだろう。
こういう状況で大袈裟な表現をするような奴ではないのだから。
今度こそ公爵と護衛達が西館から立ち去っていった後で、改めてメッセージ入りのメモに目を落とす。
「王国の至宝ね……せっかくだし見に行った方がいいのかな」
「そりゃあな! 今日はまだ時間があるんだし、行ってみようぜ」
ガーネットも乗り気なら行かない理由はなかった。
元々、今日の残りの時間は王都観光に充てる予定だったのだ。
至宝とまで呼ばれる貴重な代物を観る機会。貴重な時間を割くだけの価値はあるだろう。
というわけで、ひとまず万神殿の北館へ移動することにする。
宝物庫兼住居という特殊な用途だからか、本館に直結した西館と東館とは違い、北館の建物は本館から少しばかり離れ、屋根付きの連絡通路で繋がっている。
その連絡通路に入ろうとしたところで、見張りの騎士が俺達を呼び止めた。
「止まれ、そこの二人。ここから先は関係者以外立ち入り禁止だ」
「キングスウェル公爵からの紹介を受けたのですが」
「む? ……またあのお方か。少し待て」
公爵の護衛から渡されたメモを見せると、見張りの騎士は困り顔で眉をひそめた。
そして見張りの騎士は俺達を通路の扉の前に待たせ、代わりの見張りを呼んできてから連絡通路の扉を開けた。
「私が先導する。許可されていない場所には踏み込まないように」
「ええ、分かっています」
見張りの騎士の先導で連絡通路を歩きながら、ガーネットと小声で会話を交わす。
「警備は騎士がやってるのか。人材や資金に余裕のない地方の神殿には騎士が派遣されるって話だけど、ここなら自力で何とかできそうなものなんだが」
「この万神殿は色んな意味で特別だからな。ここだけは自分達に守らせろって騎士団の側がうるさかったらしいぜ」
程度は様々だが、神殿には信仰者達からの寄付や昔から伝わる神宝などが集まっている。
当然というか、世の中にはそういう財産や財宝を狙う不届き者も存在する。
自分が信仰する神とは違う神殿を狙ったり、昔から敵対関係にあったので攻撃の意図を持って盗みに入ったりするのはもちろんのこと、信仰しているはずの神様の神殿から盗もうとする奴までいたと聞いている。
もちろん神殿の側も無策ではなく、あれこれと工夫を凝らすことで盗みを未然に防いでいるのが現状だ。
神殿で働いている人間がスキルで対応できるのが最も低コストで、資金に余裕があれば冒険者やその他の人員を雇ったりする。
そして、どちらもできそうにないところには、専門の騎士団から戦力が派遣されることになっている。
「王都万神殿は例外ってことか」
「さっき見てきたとおりにな。しかもこの先に保管されたお宝は、大陸に二つとない代物ばっかりだ。万が一のことがねぇように、しっかり守りたくなるのが人情ってもんだろ」
連絡通路を通り抜ける短い間にも、大勢の騎士とすれ違ってきた。
通路の窓の外を見てみれば、中庭にすら厳重な警備が敷かれているのが分かる。
そんな建物に保管された王都の至宝、アイリス・クリスタル――今更になって期待が湧き上がってきた。
だいたい、冒険者が秘宝だの何だのに興味を示さないはずがないのだ。
未知。希少。至宝。伝説。
冒険者はこういうモノに惹かれる奴が大部分を占めているし、俺だって例外ではなかった。
「んっ? お前も興奮してきたみてぇだな」
「当たり前だろ。そういうのに興味がない奴は冒険者になんかならないさ」
お前も、ということは、ガーネットも興味が湧いて仕方がないらしい。
やがて連絡通路を通り抜け、厳重に警備された北館を騎士の先導で奥へと進み、一階の最奥の大きな扉の前で立ち止まる。
「ここがアイリス・クリスタルの安置室だ。間違っても触れようとは思わないように。私を含む警備騎士には自己判断による殺害が許可されている」
騎士は本気の表情と声色で忠告をしてから、大きな扉を押し開けた。
というわけで観光再開です。