第193話 知恵者(ワイズマン)
「知恵者? 今お前、そう言ったよな? 確かそれって……」
「アルファズルが名乗った別名の一つだ。ガーネット、こいつの祭壇がどこにあるか分かるか?」
「ええと、案内図でいうとだな……あった! 西館の三階!」
すぐにメインホールを後にして、参拝客と観光客でごった返す中をくぐり抜け、西館の三階に向かって駆け出していく。
西館も建物の造り自体は本館とよく似ている。
演劇場の二階席や三階席のような吹き抜けの階層構造になっている点も、劇場なら客席になっている部分に祭壇が並べられている点も共通だ。
壁沿いの階段を登って三階部分まで直行し、知恵者が祀られているという祭壇まで急ぐ。
そこには予想外の先客がいた。
数名の護衛を引き連れた小柄な初老の貴族――俺達にとっては記憶に新しく、見間違えるはずなどない人物。
「キングスウェル公爵……!」
俺が大急ぎで王都へやって来た翌日、陛下からの提案に対する返答を持って王都に向かったときに応対をした貴族だ。
そして自己保身のためと称し、かつて俺に勇者殺しの濡れ衣を被せた大臣でもある。
どうしてそんな人物がここに……いや、万神殿にいること自体には何の不思議もない。
大臣や貴族であろうとウェストランド王国の一員であり、万神殿に祀られたいずれかの神を信仰しているはずなのだから。
問題は、目の前の祭殿に祀られている神だ。
「おや。奇遇だね、白狼の森のルーク君」
公爵も俺達がここに姿を見せたことは予想外だったらしく、意外そうな顔で振り返った。
しかし、すぐに何かを思い直したような表情を見せ、納得したように深く頷いた。
「……こうして鉢合わせたのは偶然だとしても、君達がここを訪れること自体は必然だったな」
「知恵者……ですね」
「うむ」
公爵は俺の発言をあっさりと肯定し、護衛達に手振りで指示を送って離れた場所へ移動させた。
あのときと同じ、邪魔が入らない状況で話をしようという誘いだ。
誘いに乗る方が公爵にとって有利な展開なのだろうとは、薄々察しがついている。
だがそれでも、俺の選択は変わらなかった。
公爵が情報の出し方をコントロールしてくるのは百も承知。
それを踏まえた上で、必要な情報を引き出せるように努力するだけだ。
「とはいえ単純な話だがね。私の領地を含む地域一帯において、知恵者は知識と学問の神として信仰されているのだよ」
個人名のような神名ではなく、一般名詞的な呼び方をされている神は、珍しくはあるものの不自然ではない。
俺が知っているパターンには『神の名を軽々しく口にするのは畏れ多いので、遠回しな別名で呼んでいたら、いつしか本当の名前を知るものがいなくなってしまった』というものもある。
知恵者がそれに該当するのかどうかは分からないが、呼び名としては違和感のある話ではなかった。
「学者や教師、あるいは政治に携わる者が主な信仰者だ。スキルとしては【分割思考】や【高速思考】、一般的なものだと【鑑定】なども授かるようだな」
「キングスウェル公爵領で信仰されている知恵者と、アルファズルが別名として名乗った知恵者……何か関係があるんですか」
「それが分かれば苦労はないとも」
公爵は声を潜め、肩を揺すって笑った。
――これは裏を返せば、公爵は二つの知恵者が同じ存在を指しているのかどうかを気にかけ、しかし断定できずに困っているということだ。
「だが、無関係と考えるには符合する点が多すぎる」
老いてやつれた人差し指を立て、公爵は『まず一つ目』のジェスチャーをした。
「私の領地における知恵者の信仰者は、君が彷徨った『奈落の千年回廊』のことを、知恵者が人間には与えられぬと判断した叡智を隠した迷宮であると考えている」
「……その奥の『魔王城領域』に住むドワーフは、アルファズルのことを迷宮の創造者と考えていました」
「で、あろう? これは実際の歴史的事実を異なる側面から見た結果である……とまで言い出すのは早計だがね。信仰の源流は同じなのかもしれん」
迷宮だけに関わる存在だとばかり思っていたアルファズルが、予想外の形で地上に関係していた可能性が浮上してきた。
さすがに不気味さのようなものを感じずにはいられない。
死に瀕した俺が見た光景の中で、アルファズルは魔王と戦うために俺の体を明け渡せと要求してきた。
事が済んだら返してくれるつもりだった……などという楽観的な考えはできない。
最悪の場合、俺の体で地上に行こうとしていた可能性も考慮するべきだろう。
……そこまでは前々から想定できていたが、よもや地上でも神として信仰対象になっていたとは。
「ちなみに信仰者達の間では、迷宮を荒らして叡智を求めると地上に神罰の使徒が遣わされる、などと言い伝えられておってな」
「ドラゴンのことですか? 勘弁して頂きたいものですね。それだと俺が罰当たりなことをしたみたいじゃないですか」
「ははは! 実際、彼らはそう考えているようだな。まだ詳細は知り得ぬはずだが、ひょっとしたらお主への評価がこの世で最も低い集団になるやもしれぬぞ」
キングスウェル公爵領に行くときは夜道に気をつけよう。
今のところそんな予定はないけれど、用心をしっかり心に刻み込む。
「それはともかく、まさかとは思いますが、公爵閣下の兄君が『奈落の千年回廊』の調査に執心していた理由は……」
「大いに有り得るが断定はできぬ。叡智を隠したというのは、知恵者の信仰者以外は全く真に受けておらん話だが、それを我が兄が信じたというのも否定できん」
公爵は溜息混じりに首を横に振った。
「もう一つ、とても無視できぬ符合があるのだが……百聞は一見に如かずというな。祭壇に祀られた像を見るがいい。知恵者の姿を象ったものだと言われておる」
言われるがままに視線を祭壇に移し――そして俺は言葉を失った。
祭壇に鎮座するフードを被った老人の立像。
あくまで想像図だからか、立像の顔立ちは俺が見たアルファズルの姿とはあまり似ていない。
その右眼部分には、まるで炎のように鮮やかな濃紺色の宝石が埋め込まれていた。
「(確かに……こいつは無視できないよな……)」
思わず自分の目を手で押さえる。
俺が叡智の右眼と仮称する、アルファズルによって与えられたと思しき謎の力。
右眼球を【分解】して捧げることで発動する、視界に収めたものを『理解』できる青い炎のような魔力の塊――立像の宝石がそれを模していることは明白であった。
「……閣下。一つ質問があります」
「言ってみたまえ」
「最初にお会いしたときに、この話をなさらなかったのは何故ですか?」
公爵は想定外の質問だと言わんばかりに眉を動かし、口元に笑みを浮かべて一切の淀みなく回答を返した。
「この前の機会に語らなかったのは時間の都合だ。これから長い付き合いになるだろうから、いずれ折を見てと考えたまでだ」
「そうですか……ありがとうございます」
もっともらしい理由だ。
本当は教えない方が好都合だったのとしても、違和感なく誤魔化すことができる。
「すまないが、そろそろ時間だ。また会おう」
公爵は一方的に話を打ち切って、離れた場所で待つ護衛のところへと戻っていった。
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書籍版の挿絵サンプルの公開許可が下りました。
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