第192話 王都万神殿
「これが王都の万神殿ですかぁ。意外と神殿っぽくないんですね」
アズールが興味深そうに言ったとおり、目の前の建物は神殿らしさがあまり感じられない見た目をしていた。
大きさはかなりのもので、外装も豪華絢爛だが、神殿というよりも劇場に思えてくるデザインである。
中央に大ホールがあり、左右に一回り小さいホールが設けられている――劇場ならそんなレイアウトになっていそうな造りだ。
「王国中のあらゆる信仰を一ヶ所に集めた代物だからな。特定の信仰に偏るのはマズイってことで、建物の造りはあえてそれっぽくないようにしたんだとさ」
なるほど、ガーネットの説明のとおりなら納得だ。
このウェストランド王国では、地域ごと職業ごとに異なる神々が異なる様式で信仰されている。
それらを同じ神殿でまとめて祀ろうと思ったら、まずは神殿の様式から盛大に揉めまくるに決まっていた。
地域単位の小規模な万神殿なら妥協点も探れるだろうが、王国全域を対象とした王都の万神殿ではどう考えても不可能だろう。
「いやぁ、さすがは王都って感じですね。どこを見てもスケールが段違いっていいますか」
「待ち合わせ相手は見つかりそうか?」
「この辺にはいないみたいです。多分もう中に入っちゃってますね。それじゃあ私はこの辺で。助かりましたよぅ、ほんと」
アズールは笑顔で礼を述べてから、入り口の短い階段を一足で登りきり、踊るようにくるりと振り返った。
「あっ、そうだ! 一応お名前聞いてもいいです? 芸名とか筆名でもいいんで。私も『アズール』っての本名じゃないですし」
「俺の名前か? ルーク……白狼の森のルークだ」
「どうもどうも。また見に来てくれたらサービスしますね、ルークさん」
軽やかな足取りで万神殿の中へと姿を消すアズール。
ガーネットの名前を聞かなかったのは、きっと昨日の観客の少女とは別人であると認識したからだろう。
再び二人きりになったところで、俺達も万神殿の正面入口を潜る。
「……こいつは凄いな」
その先に広がっていた光景に思わず息を呑む。
内部もまるで荘厳な大劇場のようだったが、俺達が立っているのは劇場でいうステージ部分で、客席部分にあたるスペースには小規模な祭壇が規則正しく大量に並べられている。
もちろん二階席や三階席にあたる部分も満員御礼。
まるで各種の信仰の祭壇と神殿様式の見本市だ。
そして数えきれないほどの祭壇の間を、これまた大勢の人々が絶え間なく行き来し、目当ての祭壇に祈りを捧げたり、普段は縁遠い神々の祭壇を興味深く見物したりしている。
ここは王都で暮らす人々や、王都を訪れた人々にとって、地元の神々に変わらぬ祈りを捧げられる場所であると同時に、他の神々への見聞を深められる場所でもあるのだ。
まぁ、単純に観光地の一種として見学している者も多いのだろうけど。
「大したもんだろ。王都に来たら一度は見とけって言われてる場所の一つなんだぜ」
「祭壇がこんなにあったら、目当ての場所を見つけるだけで日が暮れそうだ」
「そこは心配いらねぇよ。案内図やら一覧表やらもあるからな」
ガーネットに先導されてメインホール脇の案内図の前へと移動する。
この図によると、万神殿は中央のメインホールの左右に東館と西館が隣接し、そちらにもここと同じように祭壇が並んでいるらしい。
「うちの騎士団に関係してる祭壇はあの辺だな。冒険者連中が信仰してるようなのは……多分あれか?」
壁に掛けられた大きな案内図を指さしながら、ガーネットは楽しげに微笑んでいる。
「そうだけど、最後に拝んだのは何年前だったかな」
「やっぱ、ずっとスキルが貰えねぇから愛想つかしたのか」
「さすがに十年経っても一つだけじゃ、なけなしの信心もなくなるもんさ。神様って奴が実在しようとしまいと、信仰するつもりはさっぱりだ」
「……そうか」
何故かガーネットは気まずそうに視線を伏せてしまった。
ひょっとしてあれか。
神様の温情を信じなくなった俺を万神殿に連れてきたのは良くないことだったのではと、見当違いな誤解をしてしまっているのだろうか。
「一応言っとくけど、信じれば必ず御利益があるとかいう話を信じなくなったってだけだからな。観光気分で見て回る分には好きなくらいだ」
「そうなのか?」
「嫌なら断ってるに決まってるだろ。俺とお前の間柄なら遠慮なんて必要ないんだ」
「……確かに! 言われてみりゃその通りだ!」
ガーネットは普段通りの雰囲気を取り戻して笑った。
それを見て俺もつい頬を緩ませてしまう。
こいつが落ち込んでいる姿なんて見たいと思うわけがない。
原因が俺にあるなら尚更だ。
「ところで、まさか隣のあれが一覧表か? 案内図より大きい気がするんだが」
「分類違いの一覧が何種類も用意してあんだよ。文字順に地域別に職業別に……目当ての祭壇がどこにあるのか分かんねぇ!って苦情が後を絶たねぇんだろ」
「公共施設は大変だな」
案内図の隣に掲示されたリストを見上げながら、ふと思い浮かんだ神名を探してみる。
「(アルファズルは…さすがにないな。いくらなんでもドワーフの神様は対象外か)」
魔王城における戦いで、死に瀕した俺の意識の中に現れた謎の存在。
あれは『魔王城領域』のドワーフが『奈落の千年回廊』の創造者として崇める神と同じ名前を――アルファズルを名乗った。
他にもいくつか別名を挙げていたが、俺にとって分かりやすいのはその名前だろうとのことだった。
「(ハールバルズ、ガグンラーズ……他の名前も見当たらないな)」
昔から記憶力には自信がある。
アルファズルが口にした別名を探して一覧表を眺めてみるが、それらしき名前は今のところ見当たらない。
――ハールバルズ、ガグンラーズ、あるいはシンプルに知恵者……呼ばれ方は色々あったからなぁ。君に分かりやすい名前なら――そうだな、アルファズルと名乗ろうか――
あのとき耳にした言葉を思い返しながら、文字順に並べられた一覧を、今度は最後の方から読み返す。
一種類だけでも長大なリストの末尾に、それは当たり前のように名を連ねていた。
「――知恵者――」
うわ言のようにその名を口にする。
見つけた――見つけてしまった。
俺の右眼球に『叡智の右眼』を宿らせた存在。
あいつの正体に繋がるかもしれない、ささやかな糸口を。