第191話 旅芸人アズール
ドロテアとのやり取りが終わってすぐに、ガーネットと合流してサンダイアル商会の本部を後にする。
太陽はまだ高く、日没まで充分な時間が残っている。
せっかく時間の余裕が生まれたのだから、有効活用しない理由はないだろう。
「んじゃ、次はどこ行く? 仕事絡みの用件は終わったんだろ」
ガーネットも同じことを考えていたらしく、本部の建物を出た後の第一声がこれであった。
「そうだな、ここから近い観光地だと何がある?」
「どこ行っても王都は観光客がいると思うけど、やっぱこの近くなら万神殿じゃねぇかな」
「万神殿というと、王国で信仰されてる神様をまとめて祀ってる神殿か」
「大抵は地域一帯の信仰対象の寄せ集めなんだが、王都の神殿は正真正銘の全部だぜ。王国中の信仰対象を丸ごと全部完全網羅だ」
俺の少し前を後ろ歩きで進みながら、ガーネットは自慢げに王都の万神殿のことを説明した。
まるで自分のことのような語り口だなと思ったが、そう言えばガーネットにとって王都は第二の故郷も同然だった。
「全部の神様となると、かなり大きな神殿なんだな」
「そりゃあもう。つーかここからでも見えてるぞ」
ガーネットが指さした先に目を向けると、建ち並ぶ背の高い建物の頭越しに、質感の違う建物の頭が覗いているのが見えた。
あれは万神殿の屋根だったのか。
王都に来てから何度か目にした記憶があるが、正体は今になって初めて知った。
グリーンホロウ・タウンのように一本のメインストリートに沿って町が広がった造りではなく、大きな道が何本も交差している大都市なので、これまでにあの建物が――万神殿がある通りに立ち寄ったことがなかったのだ。
目的地が決まったので、そちらに進行方向を変えようとした直後、どことなく見覚えのある雰囲気の少女が話しかけてきた。
「ハァイ、そこのお二人さん。ちょっと道を聞きたいんですけど、お時間いいですか?」
「えっと……」
見たことがあるような、ないような。
思い出せそうで思い出せず、もどかしくてしょうがない。
首周りで揃えられた黒い髪を青い染料でまばらに着色し、同じ色のアイシャドウで彩った、人形のように整った顔立ち。
にやにやとかにまにまとか、そんな擬音が付きそうな笑みを浮かべている。
黒い長袖に長ズボンに黒手袋。
首元もハイネックで顔から下の肌の露出が全くない格好であり、拘りの配色なのか着衣にも青い差し色が施されている。
少女の容姿をそこまで観察したところで、やっと記憶の糸を辿り切ることができた。
「もしかして、大道芸人のオーガスト一座のアズール? アクロバットと手品をやってた……」
「おやっ、覚えていてくれましたか」
広場で興行をしていたときのアクロバット映えする衣装と違い過ぎたせいで、すぐには気付くことができなかったが、間違いなくあのときの二人組、アズールとピンキーの片割れだ。
こうして近くから改めて見てみると、ガーネットと大差ないくらいの小柄な背丈かつスリムな体型で、曲芸に向いた体をしているのがよく分かる。
体重は軽い方が軽やかに動きやすく、筋肉が少ないことによる出力不足はスキルで補うことができるのだから。
「実はですね、今日は興行がお休みなので観光でもと思っていたのですが、待ち合わせ場所の万神殿がどこなのかさっぱりでして。よろしければ教えていただけません?」
何となく演劇っぽい態度で、アズールは俺達に道案内を頼んできた。
万神殿ならまさしく俺達が向かおうとしていた先だ。
ガーネットにちらりと視線を向けると、あちらもこくりと頷いて同意を示した。
こういうのはもののついでだ。
遠回りが必要なら口頭説明で終わらせていたところだが、目的地が同じなら道案内くらいはしてもいいだろう。
「俺達も万神殿に行くところだから、ついて来るか?」
「ぜひっ!」
アズールは形の良い歯を見せてにかっと笑い、俺達の後ろをひょこひょこと歩き始めた。
目的地に向かって通りを歩く間、アズールは何かを察したような態度でガーネットの顔を伺っていたが、決して自分からは話しかけて来ようとはしなかった。
そんな不可解な態度に業を煮やしたのか、ガーネットは足を止めてアズールと向かい合った。
「さっきから何なんだ? 言いたいことがあるなら言えばいいだろ」
「いーえいえ、別に何も。ただちょっと、二日連続で逢引だなんて羨ましいなぁとか、思ったり思わなかったりしてるだけですよ?」
「なあっ……!?」
しまった、そういうことだったか。
先日、俺はアビゲイルの仕事着を借りたガーネットと一緒に、王都の広場でオーガスト一座の興行を見物し、直接アズールから見物料を催促された。
そのときに、ガーネットも顔をしっかりと覚えられてしまったのだろう。
「あーいや……それはだな……」
「昨日の子はこいつの双子の妹だよ。王都を観光したかったから道案内を頼んでるんだ」
「なるほどなるほど。そっくりなわけですよ」
アズールは納得した様子でガーネットをまじまじと見つめている。
表向き、ガーネットとアルマは双子ということになっているわけだから、今回もそういう誤魔化し方で問題ないだろう。
「ピンキーと私も姉妹なんですけど、あんまり似てないんですよねぇ」
「そうなのか? けっこう似てる印象だったんだが」
「メイクで似せてるだけですよ。芸をするときは顔立ち似てる方がウケるんで。おっと今のは内緒ですよ?」
にんまりと口の端を上げて笑うアズール。
曲芸や手品を演じていたときも同じような笑い方をしていたが、やはり興行中とそうでないときとでは印象が変わってくる。
「私達、王都に来て一座に加わったはいいんですけど、あんまり王都のこと知らないんですよねぇ。だからよく迷うこと迷うこと」
「王都に来て、一座に加わった……?」
「そのまんまの意味ですよ? 二人で奇術の大道芸をしながらあちこち旅してたんですけど、王都はどっかの一座に加わった方が場所を借りやすいらしくって」
「規制があんだよ。広場を借りたいって奴が多すぎるんで、好き勝手にやらせてると収拾がつかねぇからな」
アズールの雑談に、王都で暮らし慣れているガーネットが補足を加える。
いわゆる旅芸人という奴だ。
冒険者以上に不安定で大変な仕事だと聞いているが、それで食べていけるのならかなりの腕前なのだろう。
そうこうしているうちに短い道程を歩き終え、俺達は王都万神殿の前まで辿り着いていたのだった。