第186話 ミスリル加工師の工房 前編
王都滞在三日目の朝。
この地で迎える二回目の朝を、俺は最初のときと同じくアビゲイルが作った朝食と共に送っていた。
今日のガーネットは見慣れた少年的な服装で、昨日の装いとはまるで別人のようである。
「それにしても、昨晩は驚かされました」
食後の紅茶を配膳しながら、アビゲイルは呆れ混じりに口を開いた。
「お召し物をお買い求めにならなかったばかりか、よもや日没前にご帰宅なさるとは。ガーネット様は曲がりなりにも独り立ちなさった身。むしろ夜が更けてからが本番なのでは……」
「うっせーな。昨日の今日なんだし、そう簡単に関係は変えらんねぇよ」
ガーネットの言うとおり、俺達が護衛とその対象、あるいは店主と店員の間柄から一歩踏み出したのは、二日前に開かれた夜会の最中であった。
昨日は文字通り『それから一夜明けた』だけに過ぎず、たったこれだけで態度が豹変する方が不自然だろう。
「しかもまたもや普段と同じお召し物に……仕事着をお持ちしますね」
「いや、今日はいいんだ」
食堂を離れようとしたアビゲイルを呼び止める。
「ミスリル加工師の組合とサンダイアル商会の本部に行くつもりだから、その間の護衛を頼もうかと思ってるんだ」
「なるほど、本日はルーク様のお仕事のご用件なのですね。差し出がましいことを申し上げてしまいました」
「組合の方は仕事っていうより見学だけどな」
国王陛下が王都に戻ってくるのは明後日の夜の予定で、それまでにこなしておきたい残りの予定がこの二つ。
どちらも今日中に終わらせてしまえば、明日一日と明後日の夜までを丸ごと空き時間にすることができる。
何かしらのトラブルが起きた場合に対応できる時間を用意する意味でも、ガーネットと仕事抜きで過ごす時間を増やす意味でも、余裕のあるうちに用事を済ませておいた方がいいだろう。
朝の支度を終わらせ、向かった先は王都の一画に位置するミスリル加工師組合の本部。
建物の外観は周囲の風景に溶け込んだ造りで、看板がなければそうとは気付かなかったであろう見た目をしている。
例によって――かつて訪問したトライブルック・シティの鍛冶屋組合の建物と同様に、あくまで組合の事務仕事をこなすための建物であり、個々の組合員の仕事場は別にあるのだろう。
「かなり警備が厳重なんだな」
「そりゃそうだ。王都に入ってくるミスリルは一旦全部ここに集められて、その上で配分される仕組みになってるんだぜ」
「へぇ……」
詳しいんだなと言おうとして、その言葉を飲み込む。
ガーネットは母親をミスリル密売組織に殺され、その仇討ちのために騎士になったのだ。
ならばミスリルの正規流通システムについて詳しくて当然。
下手に踏み込んで辛いことを思い出させるのは避けたいところだ。
警備の騎士に身元を証明して建物に入れてもらった直後、受付カウンターの方から年配の男の怒号が飛んできた。
「おいこら、どういうことだ! 配給量が減ってるじゃねぇか!」
思わず驚きそうになってしまったが、怒号の矛先は俺達ではなく受付の係員だった。
係員に食い下がっているのは、全体的にごつごつとした印象の大男で、それを正反対の外見の少女が困り顔で窘めている。
「ったく、なーにが貴族の急な注文だ。貴族お抱えだか何だか知らねぇが、順番は守れってんだ」
「もう……やめてよね、お父さん。優先順位があるのは規約どおりでしょ」
「その規約がおかしいつってんだよ、俺は。だいたい俺はな……ん?」
お父さんと呼ばれたがっしりした男がこちらに気付き、怪訝そうな顔から何かを思い出そうとする表情を経て、やがて驚いた様子で強く手を叩いた。
「ちょっと待った、そこの兄ちゃん! あんたひょっとしてグリーンホロウのルークじゃないか?」
「……どこかでお会いしましたか?」
生憎だがこれっぽっちも見覚えがない相手だ。
ガーネットも訝しんで腰の剣にそっと手を掛けている。
どこかで見たことがある気がする、という程度の印象すらなく、初対面だと断言できるレベルで面識がなかった。
「お父さん! いきなり話しかけるなんて失礼だって、何度も言ってるじゃない!」
娘と思しき少女は父親を叱りつけてから、こちらに向かって丁寧に頭を下げた。
「父がすみません。あなたのことは人伝に伺っているだけなんです。それなのに馴れ馴れしくしてしまって……」
「もしかして……というか、やはりミスリル加工師の方なんですか?」
「はい。この近くに一家で工房を構えさせていただいています」
そうして加工師の親子は手短に自己紹介をした。
父親のクレイグは工房長であり、王宮からミスリル取扱の認可を受けた名義人。
娘のキャシーは加工師見習いで認可は受けておらず、父親が雇った従業員という体裁でミスリルに関わっているらしい。
うちのホワイトウルフ商店でいうと、取扱認可を受けているのは俺だけだが、届け出を出した従業員であるノワールとアレクシアもミスリルを商品に使っているのと同じことだ。
「ホワイトウルフさんはどんなご用件で王都に?」
「別件が色々と。でもせっかく王都に来たんですし、他の職人さんの仕事を見てから帰ろうかと思いまして」
「へぇ、そうだったんですか! でしたら……」
「だったらうちの店に来ねぇか? いい茶菓子も入ったばっかりだからよ」
キャシーの言葉にクレイグが割って入る。
強引な乱入に一瞬だけ迷惑そうな表情をしたものの、キャシーはすぐに気を取り直して会話を再開した。
「うちの工房は装飾品専門なので、武器屋のホワイトウルフさんの仕事の参考にはならないかも知れませんけど……ミスリルが一般的にどう使われているのかは分かると思います」
「ありがとうございます。それじゃあお言葉に甘えさせていただいても?」
「はい、歓迎します!」
話が纏まったので、クレイグとキャシーの案内で二人の店へと向かうことにする。
それは組合本部の建物から二つほど区画を進んだ先にある、華やかな雰囲気の装飾品店であった。
店内も実に洒落ていて、従業員の数も多く、来客も裕福層が中心のように思える。
王都の中心近くにある装飾品店としてはイメージ通りなのだが、何というかこう……。
「お父さんのイメージと違いすぎてびっくりしました?」
「えっ? いやまぁ、そういうわけじゃないですけど……」
笑って誤魔化しながら店内を見渡す。
すると、見覚えのある拵えのミスリル合金製の剣が視界に入った。
「……もしかして……」
間違いない。あれはホワイトウルフ商店が販売している、俺が【合成】で作り上げたミスリルの剣であった。
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本当に素晴らしいイラストです。