第181話 百獣平原のロイ
ひとまずエントランスホールに隣接する談話スペースに移動し、そこでロイと話をすることにした。
四人掛けのテーブルに俺とガーネットが隣り合って座り、ロイが俺の前に腰を下ろす。
「かれこれ二年振りですよね。全然変わってないから一目で分かりましたよ」
「そういうお前はまるっきり別人みたいだな。頭二つ分は伸びてないか?」
「いやぁ、なんか独り立ちした後で一気に成長期が来たみたいで。急に装備が入らなくなったから大変でしたよ」
照れ臭そうに後頭部を掻くロイ。
この癖は俺が知っている少年時代から変わっていない。
隣に座るガーネットが、どういう関係なのか説明しろと言いたげな眼差しを向けてきたので、とりあえずガーネットにロイのことを紹介しておく。
「こいつは百獣平原のロイ。駆け出し時代に一年くらい世話をしたことがあるんだ。例によってあっという間に追い抜かれて、こいつがCランクに上がった辺りで別れたんだけどな」
「Aランクまで上がったのはその後です。ルークさんに拾ってもらえなかったら、駆け出しにすらなれず野垂れ死んでましたよ」
ロイと出会ったのは、今からおおよそ三年前。四年は遡らないくらいだろう。
まだ少年だった頃のロイが、とある町の片隅で行き倒れていたところに、偶然にも俺が通りかかったというのがきっかけだ。
故郷の掟とやらを破って故郷を追放され、ボロボロになりながらも町にたどり着き、そこで力尽きたとのことだった。
ちなみに、ロイの顔に刻み込まれた獣の爪痕は、既にその当時からあったものだ。
「冒険者になることを勧めてくれたり、当面の生活の面倒を見てくれたり、冒険者稼業の基本を叩き込んでくれたり……恩人ですよ、ほんと」
「ギブアンドテイクだって言ったろ。お前がいるときは依頼をこなしやすくて収入も増えたから、そういう意味じゃお互い様だ」
俺とロイのやり取りを、ガーネットは横合いから口元を緩めて眺めている。
言いたいことがあるなら言ってくれていいのに、無言で見られていると何だかむず痒くなってしまう。
「……で、こいつはガーネットだ。俺がグリーンホロウ・タウンでやってる武器屋の従業員で、ダンジョンに潜らないといけなくなったときには護衛も任せてる」
「グリーンホロウ・タウンで……あっ! その節はすみませんでした!」
ロイはいきなりテーブルに手を突いて深々と頭を下げた。
「ルークさんからの招集があったのに、どうしても後回しにできない仕事を受けていたもので……しかもその仕事、まだ終わってないんですよね」
「気にする必要なんかないって。暇があったら来て欲しいっていうだけだったんだから」
俺が『奈落の千年回廊』を脱出し、グリーンホロウ・タウンに住むようになって間もなくのこと。
近隣ダンジョンの『日時計の森』にドラゴンとワイバーンが現れたうえ、魔王が支配する『魔王城領域』に直通の隠し通路が存在したと判明し、町の住人と冒険者が大混乱に陥ったことがあった。
危険から遠ざかろうとする若手冒険者。
冒険者が生む経済効果の喪失を恐れる町の住人。
この状況を打破するため、俺が選んだ選択肢は『知り合いの高ランク冒険者に声を掛け、若手達を引き止める材料にする』というものだった。
黒剣山のトラヴィスや二槍使いのダスティン、ドラゴンスレイヤーのセオドアはそれに応じてくれたAランク冒険者達で、ロイは応じなかった冒険者の一人だったという経緯だ。
「同じAランクだと、ブルーノなんかはわざわざ嫌味な断りの手紙まで寄越してきたくらいだからな」
「いえいえ! あの男は来ない方がマシでしょう!」
嫌悪感を隠しもせずロイは首を横に振った。
「あの男はルークさんを露骨に見下していましたからね。最近は冒険者としての実力も落ちてきたみたいですし。Aランクらしいこともあまりしてないんですよ」
「……あいつ、そんなことになってるのか……」
ロイの背丈もそうだが、最後に顔を合わせてからの期間が年単位になってくると、やはり頭の中の知識と現状のギャップが大きくなってしまう。
やはり定期的な情報更新が必要なのは分かっているが、常にそういう暇があるとも限らないのが悩みどころだ。
漠然とそんなことを考えながら、隣に座るガーネットに視線を向ける。
「悪いな、昔の知り合い同士で盛り上がっちまって」
「別に。退屈なんかしてねぇよ」
笑みを浮かべてひらひらと手を振るガーネット。
退屈していないのならいいのだが、聞いていて楽しい会話ではないような気がする。
ロイは俺達のやり取りを見て、今までのやり取りが第三者を置き去りにしていたことに気付いたらしく、急に話題を切り替えてきた。
「そういえば、彼女さんはどうなさったんですか?」
「……は?」
ただし、全く以て身に覚えがない話題へと。
「あれ? 同棲なさってる女の人がいませんでした?」
「いや待て。お前を拾ってからは浮ついた話とは縁がなかったぞ。一体何の話をしてるんだ」
ガーネットの反応を確かめるような勇気はなく、正面のロイだけを真っ直ぐに見据えて問い質す。
しかし、ロイが戸惑った様子で視線を左右させているせいで、笑って聞き流しているわけではないことだけは伝わってきた。
「ほら、僕が独立して半年くらいの頃に、一度挨拶に伺ったことがあったじゃないですか。そのとき若い女の人と一緒の宿屋に泊まってたから、てっきり彼女さんだとばかり」
「お前と最後に直接会ったときだな。てことは二年前か……」
急いで記憶の糸を手繰り寄せる。
のんびりしていたらテーブルの下で強烈な蹴りを浴びせられそうだ。
二年前……宿屋の同じ部屋……若い女……。
「……思い出した! それ、多分アレクシアだろ!」
「アレクシアって、うちの店のアレクシアか?」
ガーネットは呆気にとられた意外そうな声を漏らした。
「駆け出し時代のあいつに色々と世話を焼いたって話、前にしただろ? あいつ、薬品の調合ミスで部屋の内装を台無しにしたことがあって、清掃代の弁償が終わるまで俺の部屋に転がり込んでたんだよ」
思い出してみれば納得の誤解だ。ある種すっきりした気持ちにすらなってしまう。
もちろんアレクシアとは一切合切そんな関係はなかったが、あの場面だけを見れば誤解されても仕方がない。
「いやぁ、そういうことでしたか。良かったような残念なような」
ロイは後頭部を掻きながら、微笑と苦笑が入り混じった笑顔を浮かべた。
「実は、僕なんかの世話をしてるせいでお相手が見つからなかったのかなって、ずっと申し訳なく思ってたんです。僕が独立してようやく彼女さんを作れたんだなって」
とんでもない誤解だが、理由が理由だけに怒る気は全く湧いてこない。
自分なりに俺のことを気遣ってくれた結果だったのだから。
「それにしても、僕の後にも駆け出し冒険者を助けていたんですね。やっぱり凄いなぁ……」
まっすぐな眼差しでそう言われ、俺は思わずガーネットからもロイからも視線を逸らしてしまったのだった。