第177話 王都で迎える最初の朝
その日、俺はいつもより遅い時間に目を覚ました。
ベッドから起き上がると、そこは見るからに高級な屋敷の一室。
ホワイトウルフ商店の自室はおろか、春の若葉亭で最も高価な部屋ですら及びもつかない造りの内装だ。
寝ぼけている頭に気合を入れ、ここで一夜を明かすことになった経緯を思い起こす。
――王都に里帰りをしていたガーネットが、実は父親から結婚相手を探すように要求されていたことを知り、手を尽くして王都に急行し、父親に俺とガーネットの関係をある程度認めてもらった――
それが昨日の夜のこと。
あの後、色々と急ぎ過ぎて今日の宿も探していなかったことを伝えたところ、アージェンティア家が王都に保有する別邸の部屋を貸してもらえることになったのだった。
「さすがに少し……寝過ごしたかな」
とりあえずベッドを降りたところで、寝室の扉がノックされて聞き覚えのない声が投げかけられた。
「お目覚めください、ルーク様。朝食のお時間です」
「え? あ、はい」
我ながら間の抜けた返事をして扉を開ける。
寝室の前に立っていたのは、ロングスカートの黒い服の上から白くて大きなエプロンを着用した、見るからに使用人だと分かる少女だった。
暗い色の髪を綺麗に揃え、喜怒哀楽を抑えた面持ちのその少女は、まるで俺を品定めするかのように視線を上下させた。
「まずは朝食の前に身支度ですね。ご案内致します」
促されるままに移動し、顔を洗って髪を整え、それからようやく食堂へと案内される。
先ほどの寝室よりも更に上等な内装の食堂。
そこには案の定な先客の姿があった。
「遅かったな、白狼の。よく眠れたか?」
調度品と同じくかなり高価そうな椅子に、ガーネットがいつもどおりの少年的な格好で、いつもどおりの雑な座り方で腰掛けている。
俺にとっては安堵感すら覚える見慣れた態度だが、この屋敷の雰囲気とはかなりのギャップがある。
「朝食を運んで参ります。お座りになってお待ちくださいませ」
使用人の少女はガーネットの行儀が悪い振る舞いを咎めもせず、すぐ隣の椅子を引いて『そこに座れ』と無言の指示を出してから、食堂に隣接する厨房へと向かっていった。
とりあえず、促されたとおりガーネットの隣の椅子に腰を下ろす。
「今の子は?」
「アビゲイルだ。伝聞だが、曾祖母の代からうちの家で働いてる家系らしい」
ガーネットはテーブルに頬杖を突きながら答えた。
「オレも母上の件があってからしばらくは、アビゲイルの母親に育てられたようなもんだし、なんつーか、妹分みてぇなもんかもな」
「私の方が少し早い生まれですよ。見栄を張らないでください」
アビゲイルが厨房からひょっこりと顔を出し、そしてすぐに引っ込んでいった。
「見栄じゃねぇよ。ったく……」
むすっとした顔になるガーネット。
こうしてガーネットの実家での振る舞いを見るのは、何だか新鮮な気分だ。
「そういえば、ここはアージェンティア家の別邸なんだよな。他の家族は本邸で暮らしてるのか?」
「こっちは基本的に、貴族以外の来客や呼び出しを掛けた部下を泊める場所だ。当面は使う予定がねぇらしいから、寝泊まりするのはオレと白狼のと、本邸から連れてきたアビゲイルと、後は泊まり込みの管理人だけだ」
アビゲイルと会ったのは今朝が初めてだが、管理人とは昨夜にも顔を合わせていた気がする。
恐らく俺達を迎えてくれた初老の夫婦がそうだ。
普段はあの夫婦が普通に暮らしながらメンテナンスを行い、必要なときだけ使用人を派遣して来客を歓待するという形なのだろう。
「それにしても、まだそういう呼び方なんだな」
「あん?」
「白狼の。最初に会った頃からずっとこうだったけど、今はもうこれまでとは違う関係なんだろ。だったら、それらしい呼び方に変えてもいいんじゃないか?」
俺がそう言うと、ガーネットは目を丸くしたまま、ほんのりと頬を赤らめた。
「けど白狼のは白狼ので……他の呼び方って言われてもよ……普通に名前で呼ぶくらいしか……」
「それじゃ駄目か?」
「……考えとく」
ガーネットは小声で返事をして顔を背けたかと思うと、急に「あっ!」と大きな声を出した。
厨房に繋がる扉の陰から、アビゲイルが顔を半分だけ覗かせてこちらの様子を窺っている。
「おっと。私のことはお構いなく。ガーネット様が『お嬢様』だった頃からお仕えしておりますので、秘密の漏洩を気にする必要はございません」
「構うし気にするに決まってんだろ!? いいから仕事しろっての!」
ガーネットが声を荒げたのとほぼ同時に、アビゲイルは素早く体を引っ込めて、すぐに料理を載せたトレーを持って戻ってきた。
「お待たせしました。何やらガーネット様が良い雰囲気になられていたようでしたので、配膳を少々見合わせておりました」
「……お前さ、会うたびにどんどんいい性格になってくよな」
「お褒めに預かり光栄です」
「褒めてねーよ」
真顔のままスカートの裾をつまみ上げて頭を下げるアビゲイルに、ガーネットは唇を歪めて辛辣に言い返した。
妹分と称したのも納得の関係だ。
気が置けない間柄というか何というか、騎士団長の家系の令嬢とその家の使用人という主従関係をあまり感じさせない。
やはり、一時的にとはいえ同じ女性に育てられたということが、二人の関係に大きな影響を与えているのだろうか。
二人のやり取りを眺めながら、俺は自然と口元に笑みを浮かべていたのだった。
朝食を終えた後、俺とガーネットは綺麗に片付けられた食堂で今後のことを話し合うことにした。
「んで、白狼のはどれくらい王都に滞在するつもりなんだ?」
「まだ何とも言えないな。とりあえず今日は王宮に例の件を受諾することを伝えに行くつもりだ」
例の件――俺を最初の構成員とした新騎士団の設立。
既存の騎士団からの誘いを受けず、王宮から提案されたこの案を受けることに決めたものの、正式な返答はまだ済ませていない。
これから様々なことをしなければならないのだろうが、何をするにしてもまずは返答だ。
「報告をして『王都でしばらく待て』と言われたら当面は王都に滞在するし、逆に『沙汰は追って知らせる』なんて言われたら、最低限の用事だけ済ませてグリーンホロウに帰るよ」
「ふぅん。最低限の用事ってのは?」
「今後の仕事のために、サンダイアル商会とミスリル加工師の組合に行こうと思ってる。それといい機会だから、冒険者ギルドの本部に立ち寄ってみるのもいいかもな」
そもそも俺は、表向きには『急な出張』という名目で王都に来ている。
ホワイトウルフ商店の経営に関わる何らかの成果を持ち帰らなければ、本当は一体何をしに行ったんだと怪しまれてしまうだろう。
「分かった、それなら」
ガーネットは身を乗り出して、白い歯を覗かせて笑った。
「オレが王都を案内してやるよ。なーに、安心しろって。家の領地よりも王都で過ごした方が長いくらいだからな」
第五章は恐らく王都編になるものと思われます(予定)




